不在伴奏.シロの異変
※ザビウス視点
――コンコンコン。
ルキシウス様がティーカップをソーサーへ戻すと、ちょうど扉をノックする音がした。
俺は、扉の前へと移動し、扉を開ける。
「お取込み中失礼致します。ルキシウス様に至急の要件が」
立っていたのは、薬草園の薬師、ウェイン様だった。
「ウェイン、どうだった?」
「ルキシウス様、おめでとうございます」
「そうか!」
そう言って軽く頭を下げたウェインに、ルキシウス様は少し興奮した面持ちで立ち上がった。
「なんだ?」
「喜べ弟よ! 我が家に新しい家族が増えるぞ」
「そうか。それはめでたいな」
ウェイン様は、妊産婦を専門に研究している薬師様で、シリル様やシャロン様の出産にも立ち会っている。ユーリさんのお姉さんもお世話になっているとか。
ここ数年、領内もばたばたしていてもうお子様は作らないのだろうかと思っていたけれど、待望の三人目ができたようだ。
「ウェイン、引き続き頼むぞ」
「心得ております」
「それと、薬草園にシロが来ている。顔を出すついでに、魔狼たちを借りると伝えておいてくれ」
「かしこまりました」
すぐに移動の準備をする俺たちに、少し魔狼を見てみたいと言うウェイン様も、薬草園へ行くついでに同行することとなった。
最初に魔狼たちを待機させた場所へと移動すると、カオとヤヤ以外はだらりと横になって寝ていた。
若狼組は、人間社会に順応しているのかカオやヤヤに比べて警戒心があまりないように見える。
「これが魔狼……」
初めて見る魔狼を前に、ウェイン様は感動と恐れが入り混じったような声でそう呟いていた。
「カオ、ヤヤ、悪いが少し付き合ってくれ」
そう主が声をかけるけれど、カオとヤヤは立ち上がるそぶりを見せない。じっと主を見つめる目に、主が、
「シロか。ザビウス、悪いがウェインと一緒に薬草園へ行ってシロの所にいてくれ」
「わかりました」
そう俺に声をかけると、カオとヤヤが立ち上がった。
どうやら、来慣れない場所で、シロの姿がなかったことが気がかりだったようだ。
その後、領主城の敷地内になる騎士団の訓練場へ移動していく主と魔狼たちを見送り、俺はウェイン様と共に薬草園へと向かった。
それから、シロの元へ行き合流した。ガンフ様もウェイン様もいなくなった資料室で、シロは時折入り込む穏やかな風に頭巾の裾をひらひらと遊ばれながら資料を熱心に読んでいた。
特にすることもなく暇な俺は、後十年主が結婚できなくて、十年後もシロがまだここにいたのなら、主とシロが結婚すればいいのにとくだらないことを考えていた。
シロが成長していないと言うさっきの話が本当なら、十年後もこの姿なのか……? あり得ないだろう。けれどもし、仮にそれが本当だったとしても、俺とシロの関係性は何も変わらないと思った。妹みたいなシロがこの先も元気に今と変わらず過ごしてくれればそれで良い気がした。
***
城で魔獣の氾濫対策として魔狼たちの導入が正式に認められ、シロを薬草園へと迎えに来た主たちと合流した俺たちは騎士団基地へと帰って来た。
そして、その夜俺は基地の寮内に作ってもらった自室の窓から主たちの家を見下ろしていた。
主に私兵として召し上げられてから、毎日主の家を見て寝るのが日課だけれど、今日まであの家に異変が起きたことはない。
主が家の中にいる間は、主の家を覆う風の盾が展開されていて、あの家は安全だからだ。
「今日も、異常なし」
うっすらと見える風の盾に、そう呟いてそろそろ寝ようかと言う時、異変は起こった。
開け広げた窓を閉めるために手を伸ばしたその時、バンッ! と言う音と共に主の家の扉が開き、シロが飛び出してきた。
「シロ……?」
シロが基地に来てこれまでの間、シロが家に帰ってから家を出たという話は一度も聞いていないし、俺が見ていた限りでも一度もない。
真っ直ぐに基地の正門の方へと走り去っていくシロを追いかけようと、すぐさま窓から外の木に飛び移ったところで主も出て来てシロを追いかけて行った。
「シロ! 止まりなさい! シロ!」
前を走るシロを何度か主が呼ぶけれど、シロが止まる気配はない。
それに、道に点々と不自然に草花が咲いている。あれは、シロの涙か……?
「主」
俺は、すぐに下の道へと降り走る主に声をかけた。
「ザビウス、シロの様子がおかしい。すぐに家に行ってシロの部屋を見て来てくれ。何か手がかりがあるかも知れない。私はシロを追う」
「承知」
俺はすぐさま方向転換し、主の家へと向かった。
主には珍しく、玄関の扉は開けっ放しになっていて、主が慌てていた様子が伺える。
「シロの部屋は、と……」
魔狼が来て主の家に泊まった時に教えてもらったシロの部屋へと入ると、木でできた机にツタが巻き付き花が咲いていた。シロがここで泣いていたのだとすぐに分かった。
「ノート……?」
その机の真ん中に置かれていたノートが目に入った。
開いているページを見ても、シロとは違う誰かの字で書かれた何かの記録だということはわかったけれど、俺には何の記録なのかはよくわからなかった。
けれど、他に目につく物もないし、恐らくシロはこれを見ていたのだろう。
俺は、ノートを手にしてすぐに主の元へと向かった。
「主! これが机に」
「これは……。まったく、余計なことを……」
走って行くと正門のすぐ近くで、カオとヤヤがいて、カオに抱き着くシロに主が声をかけているところだった。
シロはまるで真冬の寒空の下にいるかの様に身体が震えていて、どれだけ主が呼んでも顔を上げようとはしなかった。
とりあえず部屋から持って来たノートを主に渡すと、酷く苦い顔をしてノートを見た後、チッと珍しく舌打ちをしていた。
「それ、なんなんですか?」
「ガンフが書いた私の昔の投薬記録だ」
「投薬記録……?」
昔主が、自分で毒を飲んで毒の耐性を獲得するようなことをしていたと言うのは、ユーリさんに聞いたことがある。
だとして、今現在主は元気だし、その投薬の記録を見てここまでシロが震えている理由が俺にはわからない。
「シロ、一体何があった?」
珍しいほどシロを心配している様子の主が、シロの背に手をあて声をかけるけれど、主の声が耳に入っていないのか、シロは身体を震わせているだけで、なんの反応も示さなかった。
カオとヤヤも心配そうにシロを見ているけれど、結局誰も原因はわかっていないのだ。
真っ暗な夜空の下、なすすべなく俺たちはただシロが顔を上げるのを待った。主がシロをカオから剥がそうと手を出すと、カオとヤヤが止めるので、待つしかできなかったのだ。
三十分か、一時間か、とにかく長い時間が経って、不意にヤヤが主の袖を咥えて引っ張った。
「なんだ?」
主が反応すると、ヤヤはシロを見つめ、座っていたカオが立ち上がった。
すると、シロの身体がゆっくりと地面へと倒れこみ、主がシロを抱きとめた。
「眠ったのか。それにしても、随分身体が冷えているな……」
主は羽織っていた上着をシロにかけ、シロを抱き直すと立ち上がった。
「カオ、ヤヤ、シロは眠ったようだし、とりあえず連れて帰る。お前たちも小屋に戻れ。ザビウス、お前は家まで一緒に来て私が片づけをする間シロを見ていてくれ」
「わかりました」
騎士団の制服から着替えていない辺り、主は仕事の真っ最中だったのだろう。
家に帰ると、主は自分の寝台にシロを寝かせ、部屋を出て行った。
「涙の跡……」
シロは滅多に泣かない。あの涙のせいで簡単には泣いてはいけないのだとわかっているけど、それとは違う意味で、シロは滅多に泣かない。
この年齢の子は転んだだけでも泣くことがあるのに、シロは怪我をしても泣かないし、森に帰りたいと泣くこともマオに会いたいと泣くこともしない。それは、それ程の気持ちということじゃなくて、マオやハクと共に過ごすことで培われた心の強さが理由だと思っている。
そんなシロが、あんな風に身体を震わせて泣くなんてきっと余程のことがあったのだろう。
「待たせたな。後は私が見るから帰って良い。遅くまで付き合わせて悪かったな」
「いえ。俺にできることなんて限られてますから。シロのこと、よろしくお願いします」
「あぁ」
俺は、主の返事を聞いて、寮にある自室へと戻った。
「シロの情報か……」
主の諜報員としての行動範囲は主にフェリジヤ領内に限られる。シロが基地へ来たばかりの頃も、シロの情報についてはあくまでも領内で情報を集めた結果だ。
メテルキアの動向を探るついでに、領内に入ることができればもしかしたら……。
そんなことを思いながら、俺は主たちの家が見える窓辺にもたれかかって眠りについた。




