56.お金の勉強
魔獣の氾濫から一週間。私は再び城下を訪れていた。
延期になった薬草園へも行くつもりだったけれど、ルキシウスの都合がつかず、薬草園へ行くのはさらに延期となってしまった。
ハークハイトとユーリは城下まで一緒に来たものの、レパレント商会でレパルとの話を終えると、貴族が平民街に入るのは平民が委縮するからと、私の元にザビを置いて駐屯地で用事を済ませに行ってしまった。
今日は、馬車ではなくカオたちと来たから、ザビと魔狼たちがいれば駐屯地も近いし問題ないだろうという判断らしい。
「誰も、来ない……!」
簡単な準備を終え、診療所を開いたものの、街の隅にある柱も何もない倉庫の様な平屋の屋内に、木の椅子を数個並べただけの診療所には閑古鳥が鳴いていた。
患者用の待機場所は、最早魔狼たちの昼寝場と化している……。
「こうなるとは思ってたけどな」
「どうして、ザビ?」
人が入ってくる様子のない診療所の入り口を見つめ、ザビは苦笑いした。
「そりゃさ、今まで平民に手を差し伸べたことのない貴族や薬師が、いきなり診療所開いたって、警戒して来ないだろ。俺なら、先週怪我見てくれた分の治療費もこの機に取られるんじゃって思うね。それもとんでもない金額を請求されるんじゃないかって、怖くて来れねーよ」
「そんなぁ。私、そんなつもりないのに……」
先週の魔獣の氾濫で使った余りの薬も十分にあるし、今回は薬室に置いてある騎士団の分とは関係ない自前の薬もたくさん持って来た。
「気長に待つしかねーな」
「もっと普通に患者さん来てくれると思ったのに……。いっそこっちから見に行く?」
「やめとけ。また勝手に動き回ると主に怒られるぞ」
「確かに……」
森の魔獣だって、一度怪我を治してあげたからってまた怪我をした時に、見せに来ることなんてない。
騎士団の処置室に慣れてきたせいで、怪我や病気の人はみんな薬師を頼ってくれるものと思っていたけど、現実はそうとも言い切れない様だ。
「シロさん、ザビウス殿、調子はいかがですか?」
「レパル! 来てくれたの?」
「あまり患者は来ないのではないかと少々気になりまして……」
「レパルもそう思ってたんだ……。実は診療所開けてからまだ誰も来てないの」
私以外は皆わかっていたのかも知れないと思うとちょっと落ち込んできた。
「シロさんが、これまでの貴族の薬師とは違うと言うことをレパレント商会で噂として広める手もあったのですが、シロさんの存在については口外しないようにとハークハイト様から言われているため、街の人間の誤解を解くことも難しく……」
「ハークハイトもこうなることわかってたなら、教えてくれればいいのに……」
「勉強のためと思ったのでしょう。言って聞かせるのと、実際に経験するのとでは雲泥の差があります。あまり世情に通じていないシロさんに、貴族と平民の壁と言うものを教えたかったのではないでしょうか」
「貴族と平民の壁……」
私は貴族じゃない。かと言って魔力があるから平民でもない。そんなことを学べと言われても難しい。
「ですが、せっかくの時間ですので、私からアドバイスをと思い立ち寄ったのですよ」
「アドバイス?」
「私は生粋の商売人なので、商売のアドバイスしかできませんが、よろしいですか?」
「聞かせて」
「一時的とはいえ、診察、薬代はきちんと徴収することをおすすめします」
「どうして?」
「人間と言うのは一度甘い蜜を知ると忘れられないものです。お金がかからないうちはいいですが、お金がかかるようになれば客足は遠のきます。今は、シロさんが診てくださいますが、今後平民を診察しても良いと言う薬師が現れた時、患者は治療費を出し渋るようになるでしょう。その時、シロさんはただで見てくれたのに、金をふんだくるのかと思う人間も中にはいるでしょう。ですが、薬師とて生活がありますから、ある程度の利を上げなければ生きていけません。必要な道具をそろえるために資金もいるでしょう。いつかくるかも知れないそんな未来のことも考え、診察や薬代などはしっかり負担してもらう方がいいでしょう」
「でもそれが高くて払えないから薬師は平民を見ないんでしょう?」
「シロさん、料金と言うのは一律で皆同じ値段をつけなければいけないと言う縛りはありません。どれくらいの利益率で値段を設定するかは個人の自由なのです。今回は一時的な診療所ですから、診察代を一律で定め、薬代は材料費だけを取るようにすれば良いのではないでしょうか」
「そっか。でも私、そういうお金の価値が全くわからないんだよね……。薬の素材がいくらするのかも知らないし、そもそもお金も見たことないし……」
「では、少しお金に関して勉強してみましょう」
レパルは、懐から紙とペンを取り出した。
「城下で、平均的な平民の大人が一カ月生活するのに必要な金額が、だいたい三万ガルです」
「ガルはお金の単位?」
「そうです。三万ガルのうち食費などにおよそ二万ガル、その他生活必需品などを買うのに五千ガル。残りの五千ガルが交遊費や貯金など余白部分となります。患者が診療に充てるお金は、この余白から出ます。シロさんが薬師として商売をする上で、自分が最低限生きる三万ガルを診察代で稼ごうと思ったら、診察代はどれくらいを設定しますか? 今回は、わかりやすく月に訪れる患者の数は百人とし、薬代は含まないということにしましょう」
単純に考えるなら、必要な三万ガルを患者の人数で割れば良いと思う。でも……。
「三万を百人分で割るのが一番早いとは思うけど、薬師に頼り過ぎず、頼らなさすぎず、怪我した時も月に数回通える程度とするなら、私なら五百ガル、かな……」
「ほう。五百ガルに設定した根拠を伺っても?」
「最低限稼ぐなら、三百ガルでいいと思うけど、五千の余白に対して三百ガルは少し安い気がしたの。あまりにも気軽に薬師を頼れるのは、薬に依存していく可能性もあるし、患者の数が増えて薬師の時間を圧迫する。そう考えると、安すぎるのも良くないかなって。だけど、怪我をして感染症とかになった場合、こまめに診察が必要になる。その場合、月に五回通ってもらうと想定して、患者が診察代として五千ガルの半分を使うことになったとしてもあと半分で薬代も払えるかなって。よほど大きな怪我や病気でない限りになっちゃうけど。私がもらう分に薬代は含まないけど、患者は薬代を払うまで考えると、やっぱり診察代で取りすぎも良くないから、この辺が妥当かなって。稼いだ五万ガルのうち余った二万で診療所の設備を良くしたりもできるだろうし」
「シロさんは商才もあるかもしれませんね。五百ガルと言う設定は根拠に基づいたしっかりとした値段設定だと思います。商人にとって最も大切なことは、客の財布を空にしないことです。全ての商材に当てはまるとはいきませんが、継続的に買ってもらうためには、商品を買う対象の経済状況を把握し、その中で無理なく、かつ自分にとっても利が出る値段設定をすることです」
「じゃぁ、しばらくは五百ガルでいいかな?」
「はい。薬代については概ねの素材などは把握しておりますが、きちんとした値段を算出しますので、この診療所で多く使われるであろう薬の素材を薬ごとに書き出していただけますか」
「わかった」
私は紙に、薬の名前とそれに必要な素材を書き出して行くと、レパルが横でぱちぱちとそろばんを弾いて行く。
「貴族の薬師の場合、診察代ってどれくらいなの?」
「私もあまり詳しくはありませんが、高位の薬師であればざっと見積もって十倍です」
「じゅっ……十倍!?」
「診察代もですが、薬用の素材も良いものを使われますから、薬代もそれなりの金額になります。平民を相手にしないことがよくわかるでしょう」
そんなの詐欺なんじゃ……と思いつつも、確かにトグリル家の様な家を持って、ピシッとした服を着て、多分美味しくて贅沢なご飯を食べてと考えると、生活するお金だけで平民とは雲泥の差。
だとしても、魔素中毒を起こすかもしれないような薬を出してそんな高いお金をもらっているなんて責任感とか罪悪感とかないのだろうか。
「薬代に関しても、概ね百ガルから三百ガルですね。これならば、複数日分出したとしても、身を削らなければならない程になることはないでしょう」
そろばんを弾き終えたレパルが、私が書いた薬の横に、それぞれの薬がいくらするのかを書き込んでくれる。
「じゃぁ、これで診察代と薬代をもらって、そのお金でレパルから薬の素材を買えばいいんだね」
「レパレント商会をご利用いただけると、私としても大変嬉しく存じます」
「私もお金の勉強できて助かるよ」
「表に診察代を書いた看板を出してみてはいかがですか。はっきりと明記されれば、街の者も来やすいかも知れませんよ」
「そうしてみる」
私は早速、看板に診察代五百ガルと薬の値段をそれぞれ書いて表に出すことにした。
とは言え、看板を出したからと言って、患者がすぐに来るわけではないので、私はもう少し気になっていることをレパルに聞くことにした。
ザビは計算や商売の話にはあまり興味がないのかいつのまにか魔狼たちの中に混ざってお昼寝をしていた。




