不在伴奏.長い長い十日間(中日-後編)
「戻らないとは、どういうことです? 老師」
「先日ここを訪れた時と比べて、お前さんの魔力は今、姫の魔力に上書きされている。そして、その上書きされた魔力に適合するように器が変化している」
「器が変化……?」
「お前さん、どこかで祝福を受けただろう?」
「精霊に、祝福を……」
「やはりな。姫の魔力は、人のそれとは全く異なる。質、密度や濃度、どれをとっても人の器におさまるものではない。それを体内に入れお前さんは祝福を受けた。だとすれば、器は既に姫の魔力の規格に合ったものに変化している。故に、お前さんの魔力が元に戻ることはない」
「では、私はずっとこのままということですか?」
スーロの言葉に少し驚いた様子を見せるも、思いのほか冷静なハークハイトは、そのまま会話を続ける。
「見た目だけで言えば、それはわからない。魔力の質が今は姫のそれになってしまっているが、お前さんの魔力がいずれまた姫の魔力を上書きすれば元に戻ることもあるだろう。また、魔力の生産量は器に伴い今のまま変わることはないが、お前さんの身体がそれに順応する可能性はある。子どもが大きくなり体内に魔力を全ておさめられる様になるのと同じ様にな。だが、そのいずれでもなく今のままと言う可能性も大いにある。……こればかりは、正直わからん」
「そうですか」
「帰って姫に聞いてみるのが一番だろう」
スーロの話からすると、レパルが金環を用意してくれるのを待って、それから戻ってシロに聞くしかない様だ。
「帰るにもそのままでは帰れないのだろう。ここなら、お前さんたちを探しに他の騎士が来ても気付くまい。それに、水の中ならばその魔力の影響も和らぐ」
「助かります」
こうして、俺たちはしばらくの間この湖で過ごすことになった。
夜も近づいたので、カスクを家まで送りカスクの父親にしばらく連絡役としてカスクを借りる話をとり付けた。
ベルリナの家にも寄り、しばらく湖に滞在する旨を伝えた。
湖へ戻るとすっかり夜は更けていて、俺がいない間にハークハイトからシロと俺たちとの出会いやこれまでの話など色々聞いたらしいスーロは満足そうに寝ていた。
やっと少しはゆっくりできると思うと俺も身体の力が抜けた。
まさか人生で、水中で眠る日が来るとは思わなかったけれど、泳ぐ魚の背景に月の光が差して、まるで夜空を魚が泳いでいるようだった。
こんなことでもなければ、一生できなかった経験だろう。
その翌日、朝食を終えるとスーロに呼ばれ俺たちは水中から出た。
「お前さんたち、滞在中どうせやることもなかろう。せっかくだ、その魔力、姫のために使え」
「どういう……?」
なんとなく嫌な予感がして、スーロに問いかけると、彼はにやりと笑った。
「以前来た時、姫からは薬草の匂いがした。そして、昨日お前さんたちは姫から薬をもらったと話した。そこから推察するに、姫は日常的に薬草を扱うのだろう? ならば、姫に手土産のひとつでもと思ってのぉ」
「まさか……」
「ただぼけっとしていれば雑草しか生えん。だが、幸いなことに薬草となる植物ならこの湖の周りにもたくさんある。行って、黒の騎士の魔力で育て、収穫しろ。おぉ、ちょうど童たちも来たか」
「童たち……?」
スーロの提案にまじか……と思っていると、おーいと手を振るカスクとユンの姿が見えた。
「すみません、妹が一緒に行くって聞かなくて……」
「私も梟さん見たかったんだもん!」
「子どもは賑やかでいいのぉ」
意外なことに子どもが好きなのか、スーロはさっさとカスクの肩に移るとユンに撫でまわされていた。
「ユーリ様、ベルリナさんから伝言で、レパルさんの手元にある金環四つを今日中には届けてくれるそうです。それ以上はもう少し時間が欲しいとのことでした」
「そうか。連絡ご苦労」
四つとなると、一日も経たずダメになる。下手にファーガス団長たちと連絡が取れない今、早く基地へ戻らなければと思うが、状況的に帰るに帰れないので、追って金環が到着するのをただ待つしかない。
「童たち、お前さんらもちょいと手伝え」
「手伝い?」
そうして俺たちは、それから湖の周りを歩き草を育てては採集、育てては採集を繰り返した。
ハークハイトの魔力は尽きることを知らず、いつまでも繰り返すことができたが、正直俺は慣れない姿勢に、だいぶ腰にきていた。
そんな日が何日も続けば、最初は貴族相手に遠慮がちだった子どもたちともよく会話をするようになった。
「あの、ユーリ様……」
「どうした?」
「やっぱり、平民じゃ薬師になんてなれないですよね」
その日もいつもの様に薬草の採集をしていると、カスクが恐る恐ると言った感じで俺に尋ねて来た。
「カスクは薬師になりたいのか?」
「俺、今回のユンの時もですけど、死んだ母ちゃんの時も何もできなかったんです。ただ弱っていく母ちゃんを見ていることしかできなかったことがずっと心残りで、悔しくて。でも、シロさん見てたらやっぱすごいなって、こんな風に人を助けられる人になりたいって思ったんです。もちろん、平民が薬師になれないなんてことはわかってます。俺の父ちゃんは町の自警団の兵士で、それも人を守ってるって言われたらそうだけど、俺はもっとシロさんみたいに人を助けたいって思うんです。だから、自警団には入りたくなくて……」
貴族も平民も、よほどの事情がない限り仕事はほとんど同性の親と同じ職業に就く。それは長男、長女ならばなおさらのことだ。
カスクの年齢ならば、そろそろ見習いを終え、本格的に親の元で仕事に就く頃だろう。
「そうだな……」
カスクの雰囲気からして、本人はそれなりに本気なのだろう。
けれど、平民が薬師になるなど聞いたこともないし、彼には気の毒だが現実問題無理だ。
その事実をどう言ったものかと考えていると、
「無理だな」
そばで聞いていたハークハイトがそう言い捨てた。
「ハークハイト、もう少し言い方ってものをだな」
「それが現実だ」
「やっぱり、俺が平民だから……」
「だから無理だと言うのだ」
「どういう意味ですか?」
「自分は平民だから薬師にはなれないと君自身が決めつけている以上、そんなものなれるわけがないだろう」
「じゃぁ……」
「だがな、君が例え貴族であっても薬師になるのは難しい。薬師とはそれくらい知識が必要で、他人の命を預かる責任が常に付きまとう。薬の知識を身に付けたにも関わらず身近な誰かを助けられなかった時、君は母君の時以上に苦しむこととなるぞ」
その言葉はまるで、ハークハイトが自分自身に言っているようだった。
幼い時から複雑な事情で薬に詳しかったハークハイトは、若くしてガンフ殿の一番弟子となった。
けれど、そんなハークハイトも父親の病気の前では無力で、日に日に弱っていく父親を見ていることしか出来なかった。
どれほど周りから認められようと、いざと言う時に役に立てなければ何の意味もないと無力さを噛みしめ、そう言葉にしたハークハイトの姿を俺は今でも覚えている。
「それは……」
「身の程を知れ。現実は君が思うほど甘くない」
「ハークハイト、子ども相手に言い過ぎだって」
普段から他人を突き放すように話すハークハイトの言葉は子どもにはきつ過ぎる。
「それでも俺は、俺は……」
案の定、俯いて拳を握りしめたカスクの足元にはぽたぽたと雫が落ちた。
「はぁ……。まずは文字の読み書きを覚えなさい。そんなこともできないようではスタートラインにも立てん」
「え……」
「手に入れたい未来があるのならば、がむしゃらにもがけばいい。貴学院など行けない平民でも、知識を集める方法は必ずあるはずだ。どんな目標を見据えるにしても、まずは自分がどこに立っていて、目的のために何をしなくてはいけないのかを正しく判断しなけれ間違った道を進むだけだ。そのために、私は身の程を知れと言ったのだ」
「黒の騎士、お前さんは随分言葉足らずで不器用だのぉ」
カスクとハークハイトのやりとりの行方を黙ってみていたスーロがハークハイトの肩に飛び移る。
「カスクよ、この老いぼれからもひとつお前さんにアドバイスしてやろう。人も魔獣も、弱肉強食、それが世の常だ。だが、どんな時代も弱き者は力ではなく知識を身に付けることで強者を凌ぎ生き抜いてきた」
「知識……」
「だが、一から全てを得るには人の身では短かろう。姫がお前さんをここへ寄こしたのも何かの縁。この黒の騎士が言う様に、お前さんが身の程を知り、それでもなお、血の滲むような努力を惜しまないと言うのならば、文字の読み書き、植物や魔獣たちに関する知識、そなたに教えてやろう。簡単な薬くらいなら作れるようになるぞ」
「老師、人の文字を読み書きできるのですか?」
「昔、珍しく私に話しかけてきた人間がおってな、こちらの知識を与える代わりに人間のことを色々と教えてもらった。ちょうど、元の黒の騎士の様な漆黒の髪をしたおなごじゃったよ」
それって……。
ハークハイトの母親なんじゃ、と思いながら、スーロに毛繕いされているハークハイトが面白くて、そう言いだす前に笑いを吹き出さないよう口元を押えた。
「俺、勉強します! どんなに大変でも、絶対薬師になります!」
「君の人生だ。好きにしなさい」
決して器用ではないハークハイトの言葉は、ちゃんとカスクに届いたらしい。
「カスクよ、まずはここで薬草を採集しながらその名称と効能を覚えなさい」
「はい! スーロ様!」
俺たちは、その後も薬草採集を続け、気付けばシロへの土産は持ち帰れないほどになっていた。




