#09 【災厄の甕/Pandora】
Rの眼前に座るショコラは、猫の耳を押さえて「うぅぅ~」と蹲っていた。
ったくよぉ……。好奇心猫を殺すっていうが、安請け合いも同じだっていうのが、未だに分かってねーんだよなァ、この先生は。
思案投げ首の体で、「う」から「お」へとサイレンのような呻き声を変えたポンコツ猫は、メッシュの頭から今にも煙を噴き出しそうだった。
「ぉぉぉぉぉ~ぉ……。い、一応信じるけど……。『死んで蘇った』、ねえ……。【終了】してないのなら、私のフレンドリストのRが反応してるハズなんだけど?」
「ほほ~、システム面で疑いますか、先生? それじゃあ、俺の記憶を証明するために、ニャンコ先生のこっ恥ずかしいネタを披露しますぜ? えぇ、証明のためにね~ぇ」
「うっ……。OK」
大義名分が得られたので、Rはアルカイックスマイルを浮かべて顎を擦った。水脈もいる手前、バラせる範囲は限られるが、なに、ダサ猫先生の残念エピソードには事欠かない。
「じゃ、手始めにこれでいきますか。二年ほど前、俺と先生とランペルと蛙で蒲田に集まりましたっけねぇ。四人集まる……そりゃもう麻雀ですな」
「そんな『世界の常識』を持ち出されても、信じらンねーミャ」
「まままま、これからです。で、その卓はすンごい大荒れでしたが、オーラスでニャンコ先生が四暗刻を張りまして。お目々ぐるぐるで、二重の意味でテンパってましたっけ」
「んー、あったかミャァ……」
まだピンと来ないらしい。――好都合だ。
「そんでまァ、俺が異様に萬子を集めてるのを見て、他二人は冷やかしながら下りてましたが、先生は自分のツモ牌を見て、『ぐわー!』って、まるでガチョウを絞め上げたみたいな声で悶えてたんですよね」
「うっせーミャ。でも……、うーミュ?」
「ンでもって先生は、その牌を握り締めたまま、俺の捨て牌を穴が開くほど凝視した挙げ句、『ちょりゃー! 女の、ロマーン!』とか言って……」
「思い出したっ!!」
猫がテーブルを飛び越えてRの口を押さえに来たが、もう遅い。
「バチーンと六萬を捨てたんです! ええ、浪漫で六萬! ハッハー、オモシロッ! あんまり面白いんで、俺が和了しちゃいました!!」
「黙れよ、もう!」
《神業》込みで口を抓もうとしてくるショコラだったが、Rは立ち上がって応戦する。こんな時ほど、無駄にクリティカルで防御できてしまう。
「先生は、『どーせチンイツじゃろ!? 四暗刻なら突っ張るわーい!』とか強がりを言いましたが、俺の宣言で吹っ飛びましたねえ。――そう、『九連宝燈』って!!」
「あっぎゃぁ~~っ!!」
Rの口撃を防げなかったショコラは、耳を押さえて頭を激しく振り回した。
「その後、地べたをのたうち回ってグニャ~ってなるわ、『ロマーン!? ロマーン!!』とか連呼するわ、もう散々でしたねえ」
「あああぁぁぁあああああばばばばばばばば!」
今のショコラも、怪しい挙動をしている点ではそう大差ない。水脈も若干引いてるし。
「あぁ、そうそう」
Rは駄目押しとばかりに人差し指を立てた。
「その後の罰ゲームで、一週間『お師匠様』と呼んでもらうのも、実に興趣をそそられましたねぇ。――なあ、ポンコツ弟子よ?」
「悪かった! ワシが悪かった! ギブアーップ!」
「いや~、こんなのまだ序の口ですって。他にも残念なお話は山ほど……」
「お前なコラ! 人がマジで頼んでンだからやめろよ!?」
すぐさま逆上したショコラは、猫パンチでRを連打した。腰が入っていて結構重い。
「だいたいお前さァ! ワシの捨て牌から上がりすぎなんじゃよ! いっつもいっつも迷惑ばっか掛けるしよお! 今度の件だって、どーせ九連上がったから死んだんじゃろ!? 報いじゃっ、バーカ!!」
その瞬間。
Rの笑みは凍り付いた。
※ ※ ※
【災厄の甕/Pandora】
紫/レベル3/ハイクラス
分類:領域
効果:確率系呪文の効果が最低になる。
「絶望だけなら諦めればいい。だが、そこに一粒の希望があると、人はそれを欲してもがいてしまう。手に入らなくてもな。――あんたには、これを言った方がもがいてくれると思ったから伝えるんだぜ。良い奴だろ、ん?」
――“希望”の悪魔、レスペイド
213/350
収録版:初版
※ ※ ※
ショコラの他愛ない言葉は意外なほど深く突き刺さった。
本心なわけがない、軽く笑い飛ばせばいい――。そう分かっているのに、ぎこちなく頬が引き攣るだけで、かえって動揺を曝け出してしまう。
「あっ……!」
ショコラも、口走ったそばから「しまった」という顔をした。
「え、えぇっと……」
ぐっと語気を弱めたショコラは、焦ったようにRの顔を覗き込んできた。
「そ、その……。R、――さん?」
「何でしょう、ショコラさん」
「えっと、その……。ご、ごめん、なさい……」
「ああ、いえ。――俺の方も、言葉が過ぎました」
互いに頭を下げる。水脈が所在なげにオロオロするなか、ショコラはすっかり気落ちした様子で席に戻った。
重苦しい沈黙が場を支配する。Rは渋い顔でテーブルの茶を手に取ると、唇を湿らせた。
「以上だ、先生……。納得したかい?」
「――う~みゅ。まぁ、Rの事情はよく分かったミャ」
顔を上げたショコラは、なんとか口調だけ演技を再開すると、茶を一気に飲み干した。
「どうしてRが復活したのか、だミャ? 残念ながら、分からないミャ」
「あぁ、知ってたよ」
まったく、頼りすぎると共倒れ。なのに、ドンドン任せろと言ってくる先生。調子に乗って暴れ回った挙げ句、我に返った時には相手以上に傷ついちまうんだから、実際敵わねえよな。
Rはぞんざいに頭を掻いた。
「そんなにすぐ分かるネタでもねェだろうしなぁ……」
「ま、待つミャ! ミャーだって推測ぐらいは出来るミャ!」
期待から失望への変化に焦ったのか、ショコラは慌てて呼び止めた。
「ミャー達OK社は、アップデート用にマホロバのバックアップを各地で取っていたはずミャ? だから、そのタイミングでたまたま死亡したとかなら成立するミャ」
「――ふむ」
Rは居住まいを正してショコラに向き直った。
「つまり、先生の見解だと、死んだ瞬間に丁度バックアップの検査をやられた場合、その一瞬は『人じゃない』から、PCじゃなくてNPCとしてデータを拾われたってことか?」
「そうだミャ。だから、次のアップデート実行時に、OK社が用意したNPCとしてRが出現したミャ。――もっとも、あくまでミャーの仮説だけどミャ」
「一応スジは通るが、どんな天文学的な確率だよ」
「隕石に当たるより低いかもだミャ」
「その喩えは、岩になった俺への当てつけか?」
「はうぅっ!」
ショコラはどんよりと打ち沈んだ。
Rとしては、軽口で返してもらう思惑だったのだが、今回は予想以上に凹んでいたらしい。侘しげに頭を垂れるショコラを見て、隣の水脈が肘を入れてくる。
深々と溜め息を吐いたRは、ベッタベタのヨイショ作戦を開始した。
「あとなあ、これは先生にしか聞けない、とても重要な事なんだが」
ショコラはぴくりと耳を動かした。
「俺んちのタンスが開かなかったのは、NPCの表示と関係があるのか」
「ん、んーみゅ……」
ショコラはまたぞろ復活した。深刻ぶりながらも口元が満足げに緩んでいるあたり、頼られると弱いネーサンなのだ。タチの悪いヒモに引っ掛からないか心配である。
「ん~っと、PCだったRがNPCになっているんだから、以前のRと今のRは、データ的には別人扱いだミャ。当然、他人のモノを勝手に使ったりは出来ないミャ」
そこでショコラは、Rの顔をマジマジと見た。
「――Rクン」
「何だよ、先生」
「あの、私はサラッと言っちゃったけど……。Rクン、本当に大丈夫?」
「だから、何だっての」
「これって、データとして再構築されただけで……、あなたは、真のRクンじゃないかもって話なのよ?」
「ああ、そのことか」
まるでSF……、いや、哲学だな。
Rは、本来の自分とはかけ離れた繊細な銀髪を、数本摘まんで縒り上げた。
いつもは口が悪いショコラ先生だが、その反動故か、肝心な時には限りなく優しい。真のRじゃない「かも」とは言ったが、本物はドナーとなって臓器を提供し、火葬場で焼却されたのちに骨壺へと収まったのだろう。一応、更新時に「荒巻良太郎」という全データを吸い上げたのち、肉体のほうを抜け殻とした本人の精神の線もあるにはあるが、複製品と考える方がシックリきてしまう。
Rは、渚の冷ややかな対応を思い返していた。兄の名が穢れる。――ああ、全くその通りだ。俺の家族は……いや、この記憶にある「荒巻良太郎」という男の家族は、そうそう都合良く考えてはくれまい。むしろ、「偽者がRのフリをしている」と白眼視されるのが普通だろう。向こうからすれば、突然死者の名を騙る岩石が勝手にしゃしゃり出てきたんだからな。これ以上に苛烈かもしれない。
だが……、解決策はいたって簡単だ。笑えるほどにな。
Rは指を組むと、背もたれにどっかりと体を預けた。
「ここにいる俺は、たまたま名前にRってついただけの、『ン五六ん56・R』っていうNPCだ。過去の記憶? さっきまで何かくっちゃべってた気はするが、とんと覚えがねえぜ」
水脈がギョッとした顔でRを見てきた。
「ちょっとR! 何言ってるの!? さっきまで、散々ショコラさんと師弟の関係でやり合ってたじゃない。あたしとバジルを助けたときも……あと、バジルが惚れたときも、凄いリアクションしてたでしょ。あんた人間よ!」
「それを本気で言い出すと、家族に辛い思いをさせるんだよ」
「どうして!? マホロバに生きてるってだけでも……」
「偽者だと思われるのが関の山だ」
「そんなの、やってみなくちゃ……」
「やったんだよ」
Rはテーブルの茶をぐいと呷った。
「Rは死んだ。それでいい」
チリチリと胸を焦がす熱さは、茶を含んだせいだな。そう、他意はない。
まだ何か言いたげな水脈だったが、口を引き結んで俯くと、両手を押さえて黙りこくってしまった。
「ふ~みゅ……。それがRの判断かミャ?」
「ああ」
本来はよさこい峠で朽ち果てた……いや、三ノ輪の研究所でくたばったはずの命だ。それを思えば、忘れるぐらいどうって事はない。
「先生から何かアドバイスはあるか?」
「んーみゅ、忌憚のない意見で良ければ、その方がミャーも望ましいとは思っていたミャ。相続を始め、人権とか記憶とかで色々と身辺が騒がしくなるし、あと、これは言いづらいけど、OK社を敵に回す可能性があるミャ」
「だろうな」
首肯するRに、水脈は当惑顔を上げた。
「え、えっと……なんでOK社が敵になるの?」
「それはな、水脈。仮に俺が家族に受け入れられた場合、今度は、『俺をなぜこんな形で生かした』って訴えが起こせるからさ。『意志が残せるなら、火葬場で焼かなかったのに。OK社は、ちゃんと死なない設備を用意し、それをアナウンスすべきだった』とかな」
これは、OK社の法務部が今もって多数の訴訟を抱えていることにも関係している。巷で法律マターがよく話題になるのは、「変則呪文に課す制限が違法」という案件だったり、「回復呪文の回復量の多寡」などといった魔法ルールに関するものが多数だが、当然、マホロバの最初期に発生した無数の脳死裁判も取り扱っている。
15年も経つと、さすがに継続中の案件は少なくなったが、それでも、まだ続いている。
一見平和なマホロバだが、未だに「殺人機械」としての側面は色濃く残っているのだ。
ショコラは、バツが悪そうに耳の根元を掻いた。
「ミャーの立場だと、水脈ちゃんにはすンごくドライな言い方になってしまうけど、マホロバの開始日から一週間経過した後の脳死については、周知がなされたものとみなして自己責任になっているんだミャ。これは、感情がどうこうよりも、そういう仕組みなんだと思ってほしいミャ」
「そうだな。だからこそ、そのルールに則って、脳死した奴はドナーになるってわけだ」
マホロバを行うさいは、脳死のときにドナー提供者になることという改正法が制定されている。臓器の移植に関する法律が施行されてから45年、節目節目で壮絶な議論を巻き起こしたが、今やこれも、「そういう仕組み」のひとつだ。
「だが今、大問題が起きた。『俺』という存在が現れちまったんだよ。これが公になると、今までの自己責任論が逆転しかねない。極論すれば、過去にマホロバで死んだ人間の遺族達が、全員訴えを起こせるわけだからな」
「もちろん、Rの遺族はそんな事をしないだろうけどミャ? 訴えを、起こせるようになるってのが問題なんだミャ。そうなると……、すんごくミャーの気持ちが重いけど、OK社はRを始末にかかることもあり得るミャ。そして、『なかったこと』にするかも……ミャ」
「酷い……」
すっくと立ち上がった水脈は、ショコラを見据えた。
「それが人道的な会社のすることですか!?」
「んーみゅ……。そこはもう、『本来お亡くなりになっていたRを、データだけでもたまたま助けた』と思ってほしいミャ」
「なら、みんな助けられるでしょう! そういう設備に出来るはずですよね!?」
「だから、【不可侵】を用意したミャ。これを導入すれば死なないミャ」
「それ無しでも死なないシステムに出来ないんですか!?」
悲憤慷慨する水脈に、ショコラは済まなそうに耳を倒した。
「残念ながら、今の技術では無理ミャ」
「じゃあ、強制的に【不可侵】だけにしたらどうですか?」
「実は、その試算結果、すでにあるミャ」
「どうだったんですか?」
「惨憺たるものだったミャ。マホロバとは別だけど、でもやっぱり『脳死が起きる』仮想現実系システムにみんなが乗り換えるミャ。そして、一からルールを模索する手探り状態のなか、脳死する人が激増してしまう……それだけミャ」
水脈は大きく息を吐いた。
「ならもう、ルールを変えるしかないですね。全てを【不可侵】だけというシステムにするため、日本政府に……いえ、それだけだと駄目だわ、全世界が団結して規制を……」
「おいおい」
Rは薄笑いを浮かべながら否定した。
「どれだけの根回しが必要か、少しは考えろよ。いいか? 名だたる大企業が軒並みこの仕組みを利用してるんだぜ? 規制によって魔法カードの販売量が激減する当のOK社も反対するだろうし、広告業界や不動産業界からも総スカンだな。電脳ドラッグが使えなくなるから麻薬もまたぞろ蔓延るし、臓器売買の闇取引なんかも再開されるってわけだ。銃問題に食料難……、治安が悪化すりゃあ、当然、一般市民もいい顔はしねえだろうよ。現実の凶悪犯罪の減少率見たか? 凄いぞ」
現実の一切合財の災厄をマホロバが引き受けたという話は、わりと人口に膾炙している。それを解き放つのは、パンドラの箱……いや、マホロバなら【災厄の甕】か、それをカチ割るに等しい所業なのである。
「だから、技術が進歩して、仮に死なずに体感時間が伸ばせるようになったとしても、それがマホロバに組み込まれるのはずっと先だろうよ」
Rがそっとショコラに目配せすると、彼女は本気で困ったような八の字眉をRに向けた。
噂はむしろ、裏社会の方がよく囁かれている。「本当は、死なずに済む仕組みが完成している」というのは、裏だと遍く知れ渡っている噂だ。
ただし、現実世界の枠組みがそれを許さない。ショコラがどこまでOK社の真相を知りうる立場なのかは不明だが、噂自体は当然その大きな猫耳で聞いているだろう。
もし、【不可侵】が全員に強制されていれば、Rも死なずに済んだかもしれない。――そう、死なずに。
神妙な面持ちで思索に耽っていたRは、フッと息を漏らすや、ワザとらしいまでに破顔一笑してみせた。
「マッア~! そんなの今更だよな~!」
「――Rクン?」
「いや、俺だってさんざっぱら手を汚してきたんだ。上辺の綺麗さと、裏に潜む泥臭さに惹かれたからこそマホロバに入ったんであって、ただの甘っちょろいゲームなら俺は仮想現実をやってねえ。実力不足でクタばっただけだし、この件でOK社を責めるのは筋違いだぜ」
「Rクン……」
「何より、俺の体はもう荼毘に付されちまったんだぞ? なら、無いものねだりをしたって仕方ねえだろ。この世界が俺の全てになった以上、OK社とは仲良くやりてえんだよ」
Rはパンパンと手を叩くと、朗らかに笑ってみせた。
「さあさあ! 辛気臭い話はこのぐらいにしとくか。こっからは楽しく、強化された話だ」