~6~ サイラスの記録②
語り終えたディアンカは卵に頬を寄せると、まるで子守唄を聞かせるかのように喉を鳴らした。
そのときサイラスは、よその卵にもまごうことなき愛情を注ぐ慈悲深い母の顔を見て、とても感銘を受けたという。
ただ、同時に翳りを帯びているのも垣間見えたため、心の中ではまだ煩悶しているのだろう、とも彼は感じたという。
その後、サイラスはディアンカの巣でわずかなひと時を過ごしてから、そろそろ帰らなければ…と立ち上がった。
名残惜しそうに引き留める彼女といつかまた会う約束をかわした彼は、巣を発つと元来た山道を引き返した。
途中、彼は麓の町のことを思い出してピタリと足を止めた。
レッドドラゴンのいる山に登った見ず知らずの男が何事もなく町に舞い戻ったら、町民たちは再び好奇と驚きに満ちた眼差しを向けるだろう。
それがなんとなくイヤになったサイラスは、登ってきた道とはあえて反対側から下山することにした。
遠回りに下山したため、山を下りた頃にはすっかり日が沈みかけていた。
予定外の野宿になってしまったが、町民からの無遠慮な視線を浴びずに済んだだけまだマシだ、とサイラスはポジティブに考え一夜を過ごした。
それから2日後の深夜。
窓から吹き込む心地好い夜風に当たりながらサイラスが眠っていたとき、突然そよ風が強風に変わり室内の調度品をガタガタと揺らし始めた。
その音で目を覚ましたサイラスが何事かと窓の外を見ると、煌々と輝く月をバックに巨大な影が飛来していた。
影は、彼の住まいに向かってどんどん接近していた。
恐怖したサイラスがベッドの上で身を低くしながら窺っていると、巨大な生物がゆっくりと彼の家の前に舞い降りた。
月光に照らされたその正体は、レッドドラゴンのディアンカだった。
サイラスのニオイを辿って住まいを突き止めたというディアンカは、平地にポツンと佇む彼の家の前で念入りに周囲を確かめた後、自ら来訪したわけを説明した。
サイラスが巣に訪れた日の翌朝、ディアンカは日課である狩りに出かけた。
そのとき、麓の町がなにやら騒がしいことに気付いた彼女は、興味本位から様子を確かめてみたくなり、町民に気付かれない程度まで山を下りてみることにした。
町が一望できるあたりまで下りたディアンカは、優れた聴覚を駆使して町の人々の会話を拾った。
町では、レッドドラゴンのことを尋ね回った得体の知れない旅人が、単独で山へ立ち入ってからそのまま帰ってこないことを話題に盛り上がっていた。
ディアンカは真っ先にサイラスのことだと察したが、彼女は内容を深く聞き入ることなく狩りへと出かけた。
ドラゴンの自分が事情を説明しに行けるはずもないし、なにより消息を絶った旅人の身を案じるというより、それが町の悪い噂に繋がりかねないという理由で心配する住民たちの薄情さに幻滅したからだ。
それからまた次の朝。
目が覚めたディアンカは、いつも通り卵たちに頬ずりしてから狩りに出かけた。
そこそこの収穫に満足して帰還したとき、彼女はある異変に気付いた。
洞窟の出入り口に、あきらかに人間が行き来したとされる足跡が残されていたのだ。
それも、1人や2人ばかりではなく大勢のだ。
ディアンカはくわえていた獲物を落とすと、血相を変えて中へ入った。
幸い、巣の卵たちは無事で彼女は胸を撫で下ろした。
大胆にも巣に立ち入った人間の意図を探るため、ディアンカは先日と同じく街を一望できる地点まで山を下りてみることにした。
そして、彼女は町中に集う見慣れない集団を目撃した。
ミスリル性の頑丈な鎧に身を包んだ屈強な騎士を筆頭に、狩人のような軽装の若者たちや、ひと目で魔導士と分かるローブを風になびかせる者が、町民を前になにやら演説をしていた。
会話を聞き取った結果、彼らは近隣のとある王国でドラゴン討伐を生業とするドラゴン・ハンターたちで、山に巣食うドラゴン退治のため町民たちに雇われて来たことが判明した。
彼らは今朝、到着してすぐにディアンカの巣へと乗り込んだが、たまたま彼女が狩りで留守にしていたため討伐は失敗に終わった。
その代わり、巣に残された3つの卵を発見した。
本来、レッドドラゴンの巣にあるはずのないブルードラゴンの卵を発見した彼らは、なにか不吉な出来事が起こる前触れを表しているのではないかと一方的に勘ぐり、慌てて町へと引き返した。
すっかり怖気付いてしまった町民たちを前にドラゴン・ハンターたちは、王国の軍隊にも協力を要請し総力を挙げて本格的なドラゴン退治に乗り出す所存だと宣言した。
一刻も早く卵を安全な場所に匿わなければ…。
深刻な事態にディアンカは困惑した。
しかしどこへ?
自問自答した彼女の脳裏に浮かび上がったのはサイラスの顔だった。
これにより、ディアンカは夜が更けたのを見計らってから、3つの卵を抱えてサイラスの所まで飛んで来たのだ。
彼女の話を聞いた途端、サイラスは後悔の念にさいなまれた。
もしもあのとき、住民たちに注目されるのもいとわず町を通っていれば、こんな事態にならずに済んだのではないか、と…。
彼女の頼みに応え、サイラスは3つの卵の一時的な保護を引き受けた。
安請け合いと承知はしていたが、ディアンカに負い目を感じていた彼はどうしても断ることができなかった。
大げさなほど感謝するディアンカに、サイラスはこれからどうするのか尋ねた。
レッドドラゴンの巣にブルードラゴンの卵があったという情報を聞いた王国が、果たしてそれをどう捉えるかは定かではない。
しかし、ドラゴン・ハンターたちが動揺するほどの事象と分かれば、きっと彼ら同様に世界規模の異常現象が起こる兆候だと危惧する可能性は高い。
そうなれば、なんとしてでも災いを呼ぶ竜の討伐を果たそうと躍起になるはずだから、ドラゴンを討ち取るに充分な軍勢を組織し派遣すると考えられる。
ディアンカもそれを想定していたが、彼女は押し寄せる軍勢を迎え撃つ決意を固めていた。
彼女の身を案じたサイラスは、今の巣を手放して別の土地に新たな棲家を作ってはどうか、と提案したがディアンカは難しい顔でそれを拒んだ。
引っ越しを視野に入れるにしても、ドラゴンの巣となると理想的な場所など容易に見つけられないのが現実だったし、なにより今の棲家は亡くなった夫が苦労して探し出してくれた思い入れのある場所でもあるため、手放すのがとても惜しいというのが彼女の本音だった。
夫の遺してくれた巣で生涯を終える決心をしたディアンカは、なにがなんでも今の棲家を守り抜くつもりだと主張した。
なんとか穏便に解決したいと考えたサイラスは、自ら話し合いに乗り出し彼らの説得を試みようと考えた。
しかし、ディアンカはそれも首を横に振って断った。
ドラゴンのことで神経が高ぶっている中、消息を絶ったと思われていた男が突然姿を現わせば彼らはなおさら殺気立ち、最悪自分はおろかサイラスにも危害をくわえる恐れがあった。
それだけは避けたいとして、ディアンカは意気込む彼を戒めた。
サイラスは無力感にさいなまれたが、彼女の厚意をむげにしないため過ぎた真似は控えることにした。
ディアンカは人為的な卵の温め方についてサイラスに詳しく説明してから、しばしの別れを惜しむように我が子たちに頬ずりをし、必ず迎えに来ると約束した。
別れ際に、サイラスは反射的に彼女を呼び止めた。
「ブルードラゴンの雛を保護したキミの判断は正しかった…と、ボクは思ってる」
意を決して伝えたつもりが、最後はトーンが下がってしまった。
無言だったが、ディアンカは嬉しそうに微笑みを向けてから空高く飛び去った。
こうして、サイラスと3つの卵はわずかな期間を一緒に過ごすこととなった。
早速、サイラスは3つの卵を持って住居の裏庭へと移動した。
前に暮らしていた住民が農作物を育てるために用いていた庭らしいが、仕事で常に家を留守にしがちなサイラスには無縁だったため、今は手入れもされずそのまま放置されていた。
ディアンカから賜ったアドバイスに従い、サイラスはすり鉢状の穴を3つ掘った。
掘り終えた後、卵を1つずつ穴の中に入れて寒風にさらされないよう土をかぶせた。
卵を埋めると、その上から得意の火魔法を土の上から浴びせる。
こうすることで地中に熱が蓄積され、埋まっている卵は一定時間保温状態となる。
ドラゴンのブレスと比べれば取るに足らない威力ではあったが、サイラスはこのときほど習得しておいてよかったと思った日はなかったとしみじみ感じたという。
土に埋まっている限り、外敵に見付かって捕食される心配はない。
しかし、サイラスはなるべく卵たちのそばにいる時間を確保するため、行商の仕事範囲を近場に限定し日帰りできるよう取り決めた。
時々掘り返しては、燦々と照り付ける太陽の下で一緒に過ごす。
意味があるかどうかはさておき、行商先であったことや他愛のない身の上話を語り聞かせる。
外出の際は必ず一声掛けて留守番をお願いする。
サイラスは、あくまで卵の中の雛たちが孤独感を味わわないよう、真摯に向き合う努力をした。
そのまま1日…2日…そして、3日が経過した。
長いようで短い時間が刻々と過ぎていったが、依然としてディアンカが戻って来る気配はなかった。
日を追うごとにサイラスは不安を募らせつつも、卵の面倒には一切気を緩ませなかった。
しかし、1週間が経った頃になると彼はディアンカの帰還がもはや絶望的だと察すると同時に、卵たちのその後のことを案じて途方に暮れた。
先行きを不安視するあまり、彼は3つの卵が日に日に弱り始めていると錯覚するようになったり、その原因が自身の管理不足によるものだと思い込むようになったりと、次第に自信を失いかけていた。
このままでは衰弱死させてしまう…。
サイラスはとても焦った。
焦りが極致に達した結果、彼はその道の専門家に協力を得ようと決めた。
ドラゴンの卵を3つも預かっているなど本来なら口が裂けても言えないのだが、自分1人だけではどうしようもできない今は苦肉の選択に頼るしか術がなかったのだ。
熱の持続性を保たせるため穴の中にも炎を浴びせて卵を埋めてから、サイラスは著名な教授とブリーダーが共同でドラゴンの研究に打ち込んでいるという町に向かって出発した。
しかし、その道中で彼はバーバリアン・ウルフの群れに包囲されてしまった。
普段なら習得した魔法を駆使するいい機会だと胸を高鳴らせるサイラスだが、今回ばかりはそんな余裕に浸ることなくスキを見て彼らの間をかいくぐった。
サイラスは死に物狂いで走りながら、追尾するバーバリアン・ウルフの群れ目がけて攻撃魔法を繰り出した。
所詮は並の実力で程度は知れていたが、それでもサイラスは攻撃の手を緩めなかった。
どうにか逃げ延びることに成功したが、度重なる魔法と負わされた傷により疲労困憊したサイラスは、傷付いた体を癒やすため近くのヴァンハルトと呼ばれる王国へ立ち寄ることにした。
門番にギルドカードを提示してからサイラスは助けを求めたが、その最中に体力の限界を迎え意識を失ってしまった。
目を覚ましたとき、彼は王族が使っていそうな大層なベッドに横になっていた。
着ている服もズタボロの衣類ではなく、厚い布地の高価そうな寝間着だった。
状況が飲み込めず混乱する彼の前に現れたのは、ヴァンハルト王国を統治する国王だった。
彼は側近とともに街の視察中、門の人だかりを不審に思って確かめ倒れているサイラスを発見。
不憫に思い、手当てするために城へ運んだと言った。
相手の素性が分からないにも関わらず、国王は専属の魔導士を使って治癒魔法を施したり、女中たちに温かな食事を用意させたり、宿泊用の部屋を準備させたりするなどして、サイラスを最大限にもてなした。
まさに至れり尽くせりな待遇だったためサイラスはむしろ恐縮してしまったが、気前のいい国王は遠慮は無用と言わんばかりに彼を優遇した。
想像以上のもてなしぶりにサイラスは当惑しつつも、見ず知らずの哀れな人間にここまで善意を尽くす国王の寛容さに胸を打たれたという。
そしてその瞬間、彼は過保護なまでに世話好きのこの国王にある期待を見いだした。




