嫌いな奴狩り①
翌日のオフィスは平穏な空気が流れていた。
昨日のことなど夢であったかのようにいつも通りの日常が送られていた。
田嶋さんの席を除いて。
まだ出社しない彼女は無断欠勤の扱いを受けていた。
まだ、誰も、田嶋さんが三代千草によって喰い殺されたことを俺を除き知らない。
「……」
なに食わぬ顔でキーボードを叩いている千草を見て、俺は昨日交わした会話を思い出す。
『卯槌さんて冗談言えたんですね』
俺の提案に千草は笑った。
『この場で冗談なんか言うかよ』
『提供? 私の食いぶちを? 職場でも随一嫌われ者の貴方が、どうやって、私の食卓に並ぶよう、獲物を誘き寄せるんですか』
『誘き寄せるのは俺じゃない。三代千草、あんた自身だ』
『はあ……私?』
首を傾げる彼女は訝しげな視線をこちらに向ける。
俺は唇の端を吊り上げ、言う。
『せっかくいい面してんだ。あんたは自分の持つ武器を理解した方がいい』
『武器……ああ、見た目が良い奴は色仕掛けして獲物を引っ掻けろと?』
『耳障りな言い方だな。俺は己の持つものは有効活用しろっつってんだ。戦略だ。あんたは、こそこそ隠れて獲物を狙うより、極上の餌垂らして一気にリール引く方が合ってる』
彼女の持つ武器は持ってない俺だからこそ使い道がわかるのかもしれない。
『まずは鹿島さんだな。自分に好意を向ける人間ってのは扱いやすい』
「驚きました。まさか、こんなにうまくいくなんて」
月夜の下、血のついた口元を拭い、後から駆けつけた俺に向け、振り抜き様に千草は告げた。
「ちょっと気のある素振りを見せたら向こうから人気のない場所へ誘ってきました」
「綺麗に跡形なく食えよな」
千草の目の前には無惨に食い千切られた小太りの男の死体があった。
つい数刻まで彼女に下劣な視線を送っていた人物は見事彼女の供物になった。
彼は殺されたわけじゃない。鬼の餌になっただけ。
「これ着ておけ」
俺は千草に羽織っていた上着をかけてやる。薄手だが、着てないよりはマシだろう。
彼女は血塗れだった。
上着は小柄な彼女をすっぽり覆い隠す。
「彼シャツというやつですか」
「んな甘いもんじゃねぇよ。それよかお前はもっと綺麗に食えるようになれ。毎回上着洗うのはごめんだ」
「毎回」
「どうだ、塩梅は分かっただろ。いつ来るか分からん獲物の機会を伺うより、自分から誘き寄せてかっ食らう方が合理的だってこと」
「ついでに貴方の嫌いな人間が私によって食われれば尚好都合と」
「ウィンウィンの関係だ」
「……いいでしょう。貴方の案は面白そうです。その言葉でいうと、次の食事も用意してあるんでしょうね」
「安心しろ。俺は嫌いな奴が多いからな」
「食糧が尽きたそのときは、貴方がその番になってもらいます」
夏の夜の風が吹く。
生温い風に鉄の匂いがのせられる。
身体に巻きついたこの香りは、たぶん、一生忘れない。
***
千草と契約ともいえる約束を交わした夜、俺は家に帰ると憎い奴リストを作った。俺の憎む奴らは彼女の餌になってもらう。
自分の嫌いな人間がいなくなってくれる絶好の機会だ。
殺してもいいと思う奴は誰にだって存在する。
人によって選出される人物は違ってくるが、間違いなく人は無意識の中で命の選別をしている。こいつは死んでもいい。こいつはダメと。
「ただ理性が枷となって殺すのを踏みとどまっているだけだ」
鬼の三代千草を利用して自ら手を汚さず復讐を果たせる。
リストに嫌いだった人間を次々と書き連ねる。あっという間にノートが埋め尽くされる。
俺が思うに、嫌いな人間を挙げろと言われて、すぐ名前が思いつく人間には二種類のパターンが存在する。
一つ目は、今現在俺が嫌いな人間。職場や近所にいる嫌な奴。毎日の俺の生活に存在し、関わりを避けられない日常の毒。
二つ目は、今現在の俺を造り上げた人間。過去に俺を苦しめ、俺の人生を大きく変えた、昔から憎しみが消えない奴ら。
「……よし、書けた」
書き連ねられた名前のうちの一つに、上からバツを上書きする。
「こいつは明日の千草の餌だ」
さっそく、明日、リストに書かれた人間が一人消える。
まずは目先の嫌な人間からだ。
***
「おい谷本」
昼休み。
俺は休憩しようとオフィスから出る谷本に声をかけた。
「なんだよ?」
声をかけられた谷本は不快そうな表情を隠そうともしない。
ちなみに谷本は俺の二年後に入社した後輩だ。
「万年平社員の卯槌さんが俺に何の用? 悪いけど俺、昼は先約いるんで。なくても一緒に食べませんけど。仲良いと思われちゃうじゃないですか」
後輩のクセにこの態度。先輩を敬うどころか対等に扱う気も皆無だ。
「いや、昼の誘いじゃないよ」
「なら何ですか。無闇やたらに呼び止めないでくれよ。俺は卯槌さんと違って一分だって有意義に過ごしたいんですよ」
谷本は向上心の塊だ。
入社当時から出世意欲に昇進願望が強く、本人のやる気と同等に重要な仕事も任されるようになった。俺よりも。
そのため、二年先にいた俺にも尊大な態度をとるようになり、今では完全に下の存在として見下している。
「三代さんが呼んでたぞ。なんでも、お前にしか話せない内容らしい」
「三代さんが?」
千草関連の話に谷本の眉が上がる。谷本が千草を密かに狙ってるのを俺は知っている。
「ああ。仕事終わったら駐車場近くで待ってるって」
「そうか。三代さんが……わかった」
谷本はそれを聞くと、俺が声をかけた時とうってかわってご機嫌な足取りで廊下を歩いていった。
……自分が餌として呼び出されるとも知らずに。
***
「画期的ですねこの方法」
夜の駐車場で谷本の死体を食いながら千草が言う。
相変わらず俺の上着を着ている。
「こんなにもあっさり引っ掛かるなんて、男はバカですね」
「劣情を抱いた人間なんて皆愚かだ。だからロマンス詐欺に結婚詐欺が消えないんだ。残さず食えよ。衣料品は燃やして処分するから」
谷本は律儀に就業後に駐車場を訪れた。
彼が駐車場の奥、会社の建物から死角に入ったのを見計らい、死角で待機してた千草が彼を奥へ引きずり込みそのまま彼の喉笛に牙を突き立てた。
「そいつ、お前のこと好きだったんだぜ」
「……」
無我夢中で死体の肉を喉に流し込む彼女の頭を、俺は飼い猫の頭を撫でるように手を滑らせた。
簡単に引っ掛かるもんで、この方法でオフィスから嫌いな奴が三人消えた。谷本の後に千草はもう二人男性社員を食った。
男は好きな女に対して呆れるほど無防備で隙だらけになる。
女も同じか。仮に千草が美少年だったら同じように群がる女を食い倒せるだろう。
色事ほど人間の足元すくいやすいものはないな。
「課長は試し打ちとして、谷本にその後長野と小嶋……これで、嫌な奴が四人消えた」
月夜の下。
いつもの駐車場の死角で俺の声を聞き、死体を食べ終えた千草が振り返った。
「そうですね。さすがにこれ以上は不自然に思われます。いくら完全に証拠隠滅できたとて、同じ会社の人間が全員行方不明だなんてけっこうな事件として扱われますよ」
「そうだな。不可解な事件として都市伝説にもなりかねない。今はネットもあるから面白がる人間も増えてくる」
「この前卯槌さんが見せてくれたリスト。書かれた人間の名前を見ると、殺したい相手はこの会社にいる人間だけではないですよね。他の場所にもターゲットはいると?」
「ああその通り。“ここ”が潮時なだけだ。次の狩り場へいく。実はここで食わせた奴らは前菜に過ぎないんだ。これからあんたに食わせる奴らこそ“本命”さ」
「本命?」
首を傾げる千草の前にしゃがみこむ。
「お前は鬼だからピンとこないかも知れないが、人間は憎い奴と聞いて二種類の挙げ方をするんだ」
「二種類ですか」
「一つは今現在の自分を邪魔する奴。今日も明日も会わざるを得ない嫌な人間。今すぐ日常から消えてほしい奴。そんで……二つ目は“今の自分”を造り上げた奴。過去に関わった、俺の人生を大きく変えた元凶。記憶の底で今も蠢く人生の悪。一生忘れることのない憎い相手はこっちにあたるんじゃないかな」
「卯槌さんの本命は二つ目の後者の人間、ということですか」
「そう」
じっとこちらを見つめ千草が言う。
「それで、場所はどこなんです」
千草の言葉に俺は一枚の封筒を見せつける。薄暗い夕闇の中に白い封筒がぼんやり浮くように光る。
「それは」
「あんたも聞き覚えのある場所だろう」
封筒には、『鴇鷺小学校同窓会の報せ』と書いてあった。
後味悪くてごめんなさい!
続きます。




