目撃①
「み、だい……?」
「三代千草です」
清涼飲料水を思わせる涼やかな声がオフィスに響いた。
資料を渡す相手の名前が出てことなくて俺は焦った。
隣のデスクの竹田さんが作業中の手を止めこちらを一瞥。
「卯槌くん。三代さんが入社して一年だよ。飲み会でも自己紹介してくれたのに覚えてないのか」
「はあ、すいません」
「職場の人間の名前も覚えられないとはいかがなもんかねぇ」
「はあ」
盛大にため息を吐くと竹田さんはデスクに向き直る。
その大袈裟なため息は必要だったろうか。
オフィス内の他の社員たちの視線が俺に集中する。ため息で俺の失態を察したのだろう。
本当にこの不躾な視線が嫌だ。
竹田さんは俺が何か発言する度に何か一言被せてくる。
俺に落ち度があれば全員に聞こえる声量でミス内容を復唱。正当な理由で攻撃できる機会を狙っている粗探しハンターだ。
それに対して誰も竹田さんを窘めたり俺を庇ったりする人はいない。密かにこの一連を楽しみにしているからだ。楽しみにしているのでこのイビりにも口出しするものはいない。
俺は嫌われていた。
「また卯槌くん?」
「本当に覚えないよね。人の名前覚えるのは礼儀ってか常識でしょ」
「しかもあの三代さんを覚えてないなんて。歳も近いのに」
「だからじゃない? 同世代といっても卯槌くん三代さんより五年先に働いてるのに三代さんの方が優秀でしょ? 自分より年下に越されるのが悔しくて《あえて》自分は君なんて相手にしてないからってスタンスを貫いてるのよ」
「仕事できないクセにプライド高い男って最低よね」
あーはいはいはい。
そりゃそりゃすみませんねー。
全部聞こえてるんだよ。チクショウが。
好き放題言ってるお局たちを無視してキーボードを叩く。
あーほんとこの人たち無神経だな。人の悪口で盛り上がって。あんたらの方が最低だっつの。
「卯槌さん」
「うわっはい?」
デスクの前に三代さんが立っていた。
「先程くれたデータの数値間違ってます。こちらで直しとくので資料データのコピーこちらに転送してください」
「ああはい、どうも……すみません……」
「いえ」
以後気をつけてください。
ぴしゃり。
年下の千草の冷えきった声。
勝敗のゴング代わりにお昼休憩のチャイムがタイミングよく鳴った。
***
『卯槌仙太郎です! 俺、食べ物のなかで果物が好きで、この会社って果物を扱う仕事じゃないですか。それに魅力感じて志望しました。ちなみに桃が一番好きです!』
そこそこ盛り上がった新歓の飲み会の席。
キャラではない陽気さを振りまき笑顔を絶やさず、あぶれることなく順調なスタートをきった。
大学を卒業した俺は県内ではそこそこ有名な企業に就職した。
県内ではここに勤めていればとりあえず一人前、誰も文句は言わない。
我が県は日本でも三本の指に入る果物大国でさまざまな果物がこの県で収穫され県外へ出荷される。
俺の勤める会社【パーラー御伽】は県内で採れた果物をパック詰め、包装を施し、パッケージングされた商品を県内の直売所やスーパー、コンビニに届ける役目を担っている。
最近ではコンビニにも果物を並べることが増え、取引先は増えている。
我々正社員は提供先の農家さんとのやり取りやスーパーなど販売店の売上実績のデータ化などが主で、パック詰めや包装はパートの従業員にお願いしている。
収穫量が多く人手不足の場合は正社員も作業に駆り出される。パートはおばちゃんが多いのでよく無神経なことをガツガツ言われ繁忙期がくる度俺は怯えた。
昼休み。
おばちゃんたちの笑い声が休憩室に響き渡る。
パートの休憩室は俺たちが働くオフィスの隣。
薄い壁一枚隔てただけなので彼女らの喧騒はこちらに丸聞こえ。
身内の話なり近所付き合いの愚痴なり大声で話すから個人情報や噂ばなしなど情報量が半端じゃない。
(まあ人さまの情報など興味ないが)
だが誰もいなくなったオフィスで一人弁当をつつく俺にとって彼女らの喧騒は孤独感を緩和してくれる救いでもあった。
俺以外の社員たちは昼食を外で済ましている。
揃って職場の最寄りにたった一件だけある喫茶店でランチタイムだ。仲の良いもの同士お昼のランチも連れション感覚。
「なんでもかんでも常に一緒って女子高生かっての」
俺の住む天瓦市は田舎と都会が混ざったような町だ。市街地の方は都会だし、一歩奥へ進めばのどかな田舎町が見える。
市街地近くにある実家から三十分かけて通うパーラー御伽はいわゆる田舎ゾーンに存在し周辺には田園や畑や田んぼくらいしかない。
民家はちらほら建っているがコンビニやスーパーはなく、車を使えば行ける程度の距離にある。
そのなかで唯一ある喫茶店【ユートピア】が社員たちの憩いの場なのだ。皆がこぞっていくのも唯一の娯楽を供給するためだろう。
「俺は一人で弁当三昧だけどな」
ちなみに弁当は母の手作り。
二十代後半にもなって母親に弁当作ってもらっているのかと思われるかもしれないが弁明させてくれ。俺の弁当は妹の昼食のついでなのだ。
妹の昼食の弁当を作る際、母が「あんたのも作ったる」との申し出を有り難く受け入れた次第。決して自分から母に昼飯作れと言ったわけではない。
ちなみに弁当は土日も用意されており休日も俺は台所で弁当箱をつつく。
妹は毎日家で弁当を食うからだ。
母曰く「お弁当なら時間が経ってもいつでも食べられる」からだそうで。部屋前に置いとけば冷める前に食べてくれるらしい。
……俺の妹の話は置いておくとして。
「なんだかなぁ」
たった一人きりで四隅の米粒を箸で攻めていると突然考えてしまうことがある。
昼休みという時間は誰にも攻撃されない分、己自身が自問自答してしまう。
毎度毎度律儀にインターホンを鳴らすように、ヤツは脳内にやってくる。
それは一種の習慣。
日曜日の夜に月曜日を思い憂鬱な気持ちになるのと同じように。セットした時刻に起きれなかった自分を毎回責めるように。
毎度訪れる思考に脳内が侵食されようと仕事を抜け出すわけにはいかず、俺は淡々と午後の業務をこなすのだった。
続きます。
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