7回裏 俺は負けても…
《松濤視点》
『泡坂の場合』
「泡坂は他人に関心がないよね」と俺は言った。
泡坂は露骨に帰りたそうな顔をしていた。野球部の寮から抜けだしてきたのだからそれはそうだろう。
「そんなことないよ」と本人は語る。
「昔からチームメイトの名前覚えないじゃん」
「そんなことないって。同じ学年の奴の名前くらい覚えてるよ」
「下の学年の方のお名前はどうです?」
ここまで黙って俺をにらんでいた夙夜が指摘する。
「……オボエテルヨ」
「なんか間があったけれど……青海は一学年一五人前後で少数精鋭だろ? せめてレギュラーくらい」
「まず風祭だろ、百城だろ……」
「いや3年は覚えてるの前提だろ! 中等部から6年間の付き合いだもん」
よその中学出身の三人(置鮎、佐山、今村)を除いて。
「2年は芹沢だろ、霜村だろ、御手洗、神麻……」
「2年生も中高で合計4年間つきあってんだろ。後輩だけどさ……つぅか続きは? まさか四人しか名前出てこないの?」
泡坂はとまどいながらも笑う。マジでそれしか記憶にないのか。
それでもようやくこいつを困らせることに成功した。泡坂は並大抵のことでは動じないから珍しくて面白い(俺が)。
「今ちょっと出てこないだけだよ。正直ピンとこないな。試合で活躍してくれないからかな……」
「そういうとこだぞ」
「ありきたりな煽りですね慎一。泡坂さんが気を悪くしますよ」これは夙夜。
泡坂……ガチか。いくらなんでも記憶力に問題があるのでは。というか普段どういう眼でチームメイトを見ているんだ。モブ扱いしてるの?
「映像で記憶する人間だから、顔がでてきても名前がついてこないんだよ」
「泡坂は後輩とコミュニケーションとらない人? 末っ子気質が抜けてないんじゃね」
泡坂は三人兄妹の末っ子だ。
「そういう屋敷も後輩とちゃんと喋れてるの?」
「全員親友だよ」
俺特有の安易な断言だ。部内にそんなに仲良い奴なんていない。親しいのは勢源くらいであとは距離を置いているというか……。
勝つために野球をやっているのであって、仲良しになるために野球やってるんじゃない。気にすることはないか。
「正直どっちもどっちですよね」と夙夜。
勢いでごまかそうとする俺。
「オラ泡坂! 1年の名前は!?」
「一人だけ……久世って奴かな。シニアで日本代表だったって子で」
「そりゃ青海に推薦でくる選手なんだから代表にだって選ばれてるよ!」
「あいつはいい球投げるよ。いい選手の名前なら覚えてる」
「選民思想……」
「冷たい人間だって言いたいの?」
「泡坂の正体みたり!! 人格者と知られる泡坂の本性は血も涙もない鬼畜のような男だったのかあっ!!」
噴きだしそうになって下を向く夙夜。
「人の名前覚えられないだけでキチク?」
「甲子園4連覇もしたら勝利への意欲が薄くならない? どーお?」
「急に質問してくるな屋敷――確かに勝つのが当たり前になりすぎている。負ければ終わりの勝ち抜きトーナメントで2年間負けなかったことがおかしいんだよ」
練習試合でも負けがない。青海は大学や社会人野球の上位と戦って不敗を守っている。
「……奇跡だったと?」
「そう。俺も置鮎も『絶対』じゃない。ピッチングには不調がある。他にもいいピッチャーはいるけれど、マウンドは1つしかない。大事なときに投げてるピッチャーがやらかしたら終わりだ」
青海と他の高校チームの戦力差は『恐竜とアリ』にたとえられるほどのものだが。
「あさっての決勝戦で負ける可能性は現実的にありえる?」
青海の他の選手は一笑に付すだろう。『あり得ない』と。
だが泡坂はこう答える。
「俺は負けても泣かないと思う。チームのみんなは負けるのを想像できないみたいだけど」
「衆酔独醒ですか?」
夙夜特有の難解表現が飛び出した。
「またよくわからない言葉を……」
「周りの人間は酔っ払っていて自分一人だけが醒めているという意味です」
泡坂一人が醒めていると言いたいのだ。
一番強い泡坂だけが。
「俺は敗北から学ぶことがあると思ってるし、それに野球人生はまだまだ続くからね。ここで負けてすべてが終わっちゃうわけじゃない。高校生のときだけすごくても仕方ないでしょ」
泡坂がそう言うのは嫌味にしかきこえないんだよなぁ……。
「まぁ決勝は松濤が勝つし、俺は四打席連続でホームラン打つよ」
泡坂は俺のおふざけに付きあわない。
「俺は勝つことに飽きてるのかもしれない」
戦うまえに強者が口にしていいセリフではない。
「……それでもモチヴェーションはありますよね?」
「そりゃ技術に完成はないからね。決勝でも完璧なプレーを目指すよ。特に打撃はどんなボールがきてもHRを打つのが理想なわけだし」
俺がHR王を狙うにはボクシングなら階級を4つほど上げないといけない。
常に長打を狙うというその野球観が理解不能だ。
俺の身体についてなら夙夜のほうが詳しい。
「最近ようやく骨端線が閉鎖して(身体の成長が止まって)本格的にマシントレーニングできるようになったんだ。フィジカルにあわせて技術もアップデートしないといけない」
「うげっ」
「筋肉量が増えれば瞬間的な出力は間違いなく大きくなると思うよ」
《《これからだったのだ》》。
投球打撃走塁すべてにおいてまだレヴェルアップしていくと。
泡坂にとって高校野球は過程にすぎない。
数年先を見据えている段階の泡坂が頂点に立っている。
もちろん青海にいるからなかば調整目的で公式戦のマウンドに立つことも許されたのだろう。




