4回裏 あの地獄がなきゃ身につけられへんかった
《青海視点》
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今村には2つ年上の兄がいた。
歳の近い兄弟というものはやっかいなものだ。兄は主従関係を弟にわからせたがるから。
少年野球をやっていた今村兄は週に3日程度、夕方暗くなるまで弟を練習につきあわせた。
練習メニューはフリーバッティング。自宅のすぐ裏にある広い公園で兄がバットをかまえ、弟がボールを投げる。ひたすら何十球も何百球も。兄が納得するまでそれが終わることはない。
今村兄は「気持ちよくボールを遠くへ飛ばせばそれで満足する」思考の持ち主ではなかった。
「弟の遅いボールを打ってもなんの自慢にならない」「ならば高低、内外にボールを投げわけ、さらに緩急も駆使させる。もちろんノーサインで」「より近くで投げさせ、さらにフォームも工夫させる」
この兄のオーダーを当時小学2年生にすぎなかった今村は応えてしまった。
ストライクゾーンだけで勝負しても2つ年上の兄を打ちとるようになったのだ。
今村兄は不機嫌になり、なにかと理由をつけ弟を痛めつけるようになった。
(かといってど真ん中に緩い球を投げても「舐めてんのか!」とブチ切れる。あいつほんまクソを越えたクソやった)
それでも野球のトレーニングにつきあわされる今村は……手加減をするようになった。名前をつけるなら『接待野球』。
(クソ兄貴がギリギリなんとかヒットを打てるボールを投げるようになった。視線、身体の力み加減、バットの位置、立つ位置、スタンス、表情等々……それらを総合しクソ兄貴がどんなボールを待っているかを察し、ときには待っているボールを投げクリーンヒットを、ときには狙いを外しながらギリギリ対応できるボールを投げ前に飛ばさせたんや)
(クソ兄貴は自分が『接待』されているとは気づかなかった。俺が絶妙な加減で失投してヒットを打たせているとは思いもせず、長打がでれば俺を見下し、打ちとられそうになったら俺を見直した)
だがそんな兄がいたからこそ、今村の打者の〈意〉を見る能力は身につけられた。
2年後、小学4年生でリトルリーグのチームに入団した今村は、兄の特訓で身につけたこの能力を逆用する。
兄に打たせるために使っていたこの能力を、
相手打者を打ちとるために使ってしまえば封殺できた。
それこそ空振りもゴロもフライアウトも思うがままだった。
小柄で投げるボールも大して速くはなかった今村がそのチームでナンバー1に登りつめるまでわずか数ヶ月。そこから中学では名門シニアチームに入り中学1年の段階で全国大会でも活躍、その1年後青海大学附属中学と練習試合でK.O.され(敬遠ばかりされていた風祭、成長痛で試合にでていなかった泡坂の二人は当時無名の存在だった)、プライドをズタボロにされポジションの転向を決意した。この打者の〈意〉を見抜く能力を捕手として活かすことになる。
高校1年目の夏に全国制覇、
15歳にしてUー18野球日本代表として国際大会に出場しチームを世界一に導き、コンバート2年目で早くも『打撃』『配球』『守備』すべてを備えた高校球界最高のキャッチャーと呼ばれることとなる。
彼の『顔色をうかがう程度の能力』。本人曰く言語化しノウハウを他人に伝えることは可能だという。有力な後輩を捕まえ、実戦で敵や味方の思考を見透かすためのマニュアルを伝授しているそうだが、伝わりきっているとはいえないのが現状だ。
(クソ兄貴は大学で野球部を退部したそうや。親によれば「弟の活躍が誇らしい」とかなんとか。知ったことやないが……でもこの能力は幼少期のあの地獄がなきゃ身につけられへんかった)
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2球、
たった2球でしとめた。
3番と4番を。
青海バッテリーが狙って初球を打ち損じさせ凡退。
(中原、比叡ともにドアスイングタイプのバッターや。振り回し長打を浴びかねん怖い打者やったが……)
(神主打法はアウトコースのストレート系のボールに振り遅れがちになる。中原の〈意〉はまさにその弱点となるコースを待っていたが、初見のカットボールに当てただけのバッティング)
結果はファーストゴロ。
「クソが!」
バットを投げ捨てつつ悪態をつく中原。
(対比叡はともかくコントロールを重視すべきや。甘いコースにきたら遠心力がかかるスイングで外野の頭を越されかねん。たとえ泡坂でも。ゆえにインコースへふたたばカットボール)
結果はピッチャーフライ。
「くっ……!」
それでも全力で1塁まで走る比叡。




