2回表 なら俺が直接指導するよ
《松濤視点》
松濤野球部にはぴったり九人の選手しかいない。
打球を追った逸乃がファウルゾーンで倒れたその光景を眼にしたとき、俺は『夏』が終わったと覚悟を決めた。
先頭打者泡坂が第1球を左方向に打ち上げ(桜は対風祭に続き6球連続でアウトローにスライダー!)、
ファウルゾーンに中原、勢源ではなく逸乃が先んじる。
壁際まで追いかけスライディングキャッチ!
同時に壁に激突したかに見えた……背中からか? それとも肩からか?
仰向けに倒れた逸乃はボールのはいったグラブを見せ、そして何事もなかったかのように颯爽と、優美に立ち上がる。痛みはあるだろうに凜々しい笑顔のまま。彼女を傷つけることは誰にもできないのだ。
スタンドから耳に突き刺さるような黄色い声援が発生する(本当に多いな同性のファン)。それに応える高校一年生。
「こんなの余裕だよ。桜! 全部私に打たせるくらいでいいよ!」
本当に絵になる女だ。
現場指揮官の勢源が真っ先に彼女に駆け寄り、無事を確かめグラブをタッチした。
泡坂が下を向いてベンチまで歩いていく。桜のスライダーは見送ればボールと判定されていただろう。大外のそれを叩き高々と飛ばした。
やはり泡坂のバットは威力大、脅威。
ボール1個内側にきていたらスタンド上段までもっていかれた。
桜は脅えていない。そしてしゃべる。
「オレの知っている泡坂はこんなもんじゃねぇ。次の打席はもっと楽しませてくれよ?」
決勝が始まった途端こいつペラペラと……。
いや、桜は喋らなくとも表情は豊かだし思っていることが身体言語で伝わってくるので存在感はあった。もともと無口キャラにしては存在感があったのだ。
リードする片城は一息をつく暇もない。
青海のラインナップに並の打者など存在しないのだから……。
6番打者を打席に迎える前に、俺は広い神宮の観客席を見回す。
山のようにいる人・人・人のなかには松濤の選手の家族の姿もあった。
中原潔および夫人の姿はバックネット裏に。逸乃の兄はいつもどおり1塁ベンチのすぐ横にいて妹を凝視している。アダムの母親に勢源の両親。俺の父親はいつもどおり仕事で忙殺されているのでこんなところにいるわけがない。
そしてプロチームのスカウトらしき人間の姿も三〇人以上。NPB全球団プラスMLBの半数といったところか。
6番貴船は2球見送りカウントはBーS。
桜は投球と投球の間隔が短い。
そしてピッチング自体も始動からリリースまでが早い。
早投げ。
そして片城は3球で決めにくる。
縦に大きく割れるカーヴが低めに、バッターは中途半端なスイング。ボールは片城のミットに収まる。
この試合初の三振を奪った。
吠える投手、うなだれる打者。
プレッシャーのかかる状況が続く。
相手打者を制圧するのではなく、打てるか打てないかギリギリのボールを投じ、打たれたらあとは守備陣の好プレーに期待するという片城のリード。異端がすぎる。
2死ランナーなしのこの状況からですら決壊しかねない。
7番百城に対し第2球、インコース高めのストレートに打者はバットを引きバントの構え!
桜は――
*
桜はグラウンドの外野を走っていた。
大会が始まる2週間前。俺たちは中原氏を期間限定のコーチとして招いた。
法王大学との練習試合を観たあと、勢源が「なにか俺たちに足りないものはないか?」と見学にきていた法王ΟB中原氏にたずね、「なら俺が直接指導するよ」という流れになったそうだ。
「3日間だけならつきあうよ」
「しよう」
「しよう」
そういうことになった。
で、その3日間なにがあったかというと球界のレジェンドはその打撃技術を部員たちに惜しげもなく教授してくれる――わけではなく、ともかく守備守備守備、使える時間はほぼノックに使うという歪なレッスンが始まってしまった。
「君たちが青海に勝てるとしたらスコアは1対0だろう。青海も守備はアマチュアだ。ミスからの1点は現実味がある。屋敷君の前にランナーを溜めても敬遠されるだろう。俺が監督ならそうする。泡坂か置鮎がマウンドに立っていてもそうする」
「か、勘違いしないでよね! あんたに認められてうれしくなんてないんだから!」
「なにそれ気色悪い。……勝率を1%でも上げたいのなら、守備でミスをなくし失点をなくすべきだ」
だから守備。
特にセンターライン。
他の選手はそこまで追いこまれなかったが捕手の片城、遊撃手の逸乃、二塁手の華頂、中堅手のアダムは徹底的に鍛えられた。それが1日目の内容だった。
しかし2日目以降、生まれて初めて見た俺以上のノック技術を有する男、中原氏が主に相手にしたのは投手桜だった。
桜は速いボールを投げるだけの男ではない。足が速い。俊敏性があり跳躍力があり持久力がある。単純にフィジカルエリートだ。
そして中原氏の延々と続く――それこそ夜中になろうかという時間になるまで続く地獄のようなトレーニングに文句一つ言わず、いや、苦しい顔ひとつせず、それどころか微笑しつつ付き合っていた。
中原氏は高校生が少しでも嫌がる素振りを見せたらすぐさまノックをやめ練習を止めさせた。選手が嫌がることはしないしさせない。先進的な指導者ではないか。
他の部員たちも帰り俺と片城と息子、桜と中原氏の五人だけが残ったグラウンドにボールを打つ音だけが響く。




