5・絆
気が緩んだ途端、全身から力が抜けた。
そんな僕の意思を反映してか、フォーチュナが片膝を付いて胸の搭乗口を開いた。
フォーチュナの中から這い出すと、胸の前に翳されていた掌へと乗った。すると、フォーチュナが、そっと手を地面へと降ろす。
すぐ側にいたルカが、僕の元へと駆け寄ってきた。
「クーっ! 大丈夫っ? 怪我なんてしてないっ!?」
いや、瀕死の重傷を負わされたけど、精霊王のおかげで今は怪我の痕跡すらないよ……身体の傷は疎か、服まで新品同様に修復されちゃってる。
『大きくなったって思ったけど、中身はアタシの記憶にあるルカちゃんと同じじゃない』
姉さんが、どこか呆れた口調で呟く。
「ナユタさん……?」
僕に抱きつきつつルカが周囲を見回す……って、胸が当たってるよ。
『精霊王フォーチュナ……その支配下にある精霊のネットワークに記憶と人格を複製したのよ。フォンシャに砂塵の技を使われた時は、あのまま掻き消されちゃうかと思ったわ』
姉さんの言葉に、ルカは悲しそうに言う。
「やっぱり、ナユタさん……死んじゃったんですね?」
『身体は失ったけど、記憶人格は残ってるのよね……まあ、幽霊みたいなモノだけど、一応『存在』してるんだし生きてると思ってちょうだい』
姉さんは、身体を失っても脳天気であった……脳味噌すら残ってないのにね。
いやでも、フォンシャに掻き消されそうになったとか、今の姉さんって、色々と致命的な弱点抱えてるんじゃない?
そう僕が問おうと思った途端、姉さんが王骸器の残骸へと意識を向けた。その気配を感じ、僕も視線を向ける。
フォーチュナの再生素材に使われ、ボロボロになって崩れ落ちた王骸器。その中に乗っていた精霊使いが、精霊石を拾い上げた所だった。
止めよう。そう思った途端、フォーチュナが動いていた。
跳躍したフォーチュナが退路を断つ。
流石に、精霊王を従えるような相手には勝てない。
それを理解しているためか、精霊石を足下に置くと、そっと両手を上げた。
「どうしよう?」
『リーフの聖域に、アナタ達はいたのよね? じゃ、イツキの元まで連れて行けば?』
フォンシャの言葉から、僕たちがリーフの聖域に居たことを知ったのだろう……まあ、普通に考えれば解るよね。
「精霊王フォンシャはどうする?」
ここに転がしておくと、間違いなく元の主に回収される。
ルドラにナーガと、精霊王が二柱も奪われたのだ。これ以上、砂漠の精霊王を失うわけにはいかない。その為にもフォンシャを奪い返されないようする必要がある。
……フォーチュナで引きずって運ぶしかないかな?
僕は内心、呟いた。
『フォンシャを初期化して、ルカちゃんが契約しちゃえば?』
初期化……そんな事できるんだ。
姉さんの言葉に、僕は、そんな事を思う。
と言うか、実際、乗ってみて思ったけど精霊王は、やはり機械だ。初期化も普通に可能だろう。
「どうやるの?」
僕が疑問を呈した途端、頭の中に膨大な知識が流れ込んでくる。
……ただ、右から左への素通りに近いんだけどね。僕の頭だけじゃ全然、理解できない。でも、姉さんから補助を受けられるおかげで、何をすべきかは解った。
っと、その前に、この精霊使いを拘束しておかないと。
僕は王骸器の残骸を一欠片拾う。そして精霊使いに歩み寄ると、手錠をイメージした。
精霊の力によって、欠片は手錠の形に再構築される。もっとも、腕輪部分は鍵穴以前に可動部すら無いから壊さないと開けられないけどね。
「名前は?」
僕より十歳以上も年上に見える男である。
「……ディオ」
躊躇したようだが男は名乗った。この返答じゃ、本名かは分かんないね。
ディオが地面へと置いた精霊石を拾う。そして精霊石の力を解放し、他に精霊石を隠し持ってないかを調べる……どうやら持ってないようだ。
と、僕の手から精霊石が取り上げられる。ドラだった……ルカの愛馬たる砂竜である。
ドラは口に咥えた精霊石を、そのまま丸呑みにしてくれたよ。腹に収まった精霊石が、ドラの制御下に置かれたのを感じ取れた。
「ドラ……お前な、なんて事をしてくれるんだよ!」
僕の言葉に、ドラはそっぽを向いてくれたよ。
取り出そうと思ったら、ドラの腹を裂かなきゃ駄目だが絶対に暴れる。精霊の力でドラを殺さず取り出す事も可能だが、そんな事はドラには関係ないのだ。
何より、精霊石を取り込んだ事で、ドラは大精霊になったわけだ。それも、結構な大きさの精霊石を取り込んだ大精霊である。フォーチュナと契約した僕でも、ドラから精霊石を取り出すのは一筋縄では行かないだろう。
『精霊王と比べたら、その精霊石は小石みたいな物……さっさとフォンシャを初期化しちゃいなさい』
姉さんに言われ、僕はフォーチュナに乗り込む。
意識を澄ますと、自分がフォーチュナと一体化したような感覚になってくる。いや、実際、一体化に近い状態だ。
王都に属する精霊使い、ディオはドラが見張っている。ドラも、自分の仕事は理解しているのだ……なら、精霊石はくれてやるか。あれだけ大きな精霊石となると、正直、惜しいとは思うんだけどね。
僕はフォーチュナに乗り込むとフォンシャの胸に触れる……正しくは、僕が操るフォーチュナが触れたわけだけど、感覚的には似たような物だ。
フォーチュナとフォンシャの間に、精霊達によって回路のような物が形成される。
後は姉さんの補助があるから何とかなるだろう。
フォンシャの中に何かが居た。生き物ではない……この感覚は、どちらかと言うと今の姉さんに近い存在だ。
自我と呼べるほど明確な物ではないが、明らかにフォンシャの初期化を拒んでいる。
『フォンシャと主たるザパンの間に産まれた絆ね……これが在る限り、フォンシャとの契約は一筋縄には行かない』
正直、僕はこの絆を消去してしまう事に躊躇している。
たぶん、コイツがフォンシャの主たる精霊使い、ザパンを命懸けで守ったんだ。
「ザパンは、ルドラとナーガの主を殺し、そして初期化した。その上、精霊石を抉り出し、その骸を傀儡とした……同じ精霊王として、アナタは何を思う?」
ルカが歩み寄り、フォンシャへと呼びかける。
その言葉を聞き、姉さんは何か思ったようだ。様子を見よう……そんな意思が感じ取れたんだ。
フォンシャは戸惑ったような気配を発する。恐らく、そんな事など考えた事がなかったのだ。
「アナタはザパンの役に立ちたかった……つまり人の役に立ちたかった。でも、ザパンの役に立った結果、沢山の人たちを苦しめ死に追いやる事にもなっている」
ルカの言葉に、フォンシャは抵抗を止めたようだ。
精霊王は機械であり、機械とは人の役に立つべく造り出される。フォンシャは、それを自覚していた。だから、苦悩し初期化への抵抗を止めたのだ……つまり、殺してくれって言ってるわけだ。
僕は、フォンシャの態度を、そう理解した。
「砂漠に居る数多の精霊王は、この惑星の地球化を目的に王都から散らばった。おかげで、カイロスが降りてきた頃より気温は下がってきている。まだ長い時間が掛かるだろうけど、精霊王が散らばった事で、この惑星の地球化は着実に進んでいる」
ルカがフォンシャに聞かせている内容。これ、僕は聞かされていない話だ。
たぶん、星から来た精霊使い。その正体が姉さんだって事を知られたくなかったルカが手を回していたのだろう。
もし、それに気付いていたら、僕は必死になって星から来た精霊使い、その痕跡を探し回っていただろうからね。
「私は、アナタの力を借りたい。そうすれば、クーを守る事ができる。もっと多くの人たちを守る事もできる……」
ルカは、ザパンがフォンシャで積んだ経験値。それをそのまま引き継ぐ形でフォンシャと契約したいのだ……いや、違うか。
初期化してしまったら、フォンシャの中に産まれた自我を殺してしまう。それがルカは嫌なのだろう。
……そう考えると、姉さんって凄くドライだな。
『何か失礼な事、考えてない?』
イヤ、ナニモカンガエテナンカナイヨ?
咄嗟に、姉さんの言葉を否定する。
フォンシャは身を起こすとルカに向かってしゃがみ込む。そして胸部の搭乗口を開いた……ルカを受け入れたわけだ。少しばかり嫉妬を感じてしまう。
ルカが乗り込み、フォンシャを制御下に置いた気配。
新たなる主を受け入れ、フォンシャの身体の再生が始まった。
フォーチュナと比べれば弱いものの、フォンシャも精霊王だ。力を開放した精霊石が放つ存在感は圧倒的である。
そして、その気配はザパンが主だった頃とは違う。ザパンも、これでフォンシャが自分の手から離れた事を知っただろう。
『凄い……これが精霊王なんだ』
ルカの声がフォーチュナの中に響く。
僕の時は、凄いなんて感心してる余裕は無かったよ……そんな事を思ってしまう。
『フォンシャがルカちゃんに完全に馴染むまで、まだ時間が掛かるわ。前の主であるザパンには近づかない方が良い』
つまり、フォンシャは完全にルカを受け入れるまで、まだ時間が掛かるワケか。
……って、姉さんの知識が頭に流れ込んでくる。ザパンがフォンシャの主だった期間は、優に二百年を超えるって。そりゃ主との絆も、相当強固な物になるよな。
それに、奪われたルドラとナーガ。
精霊王の本体は精霊石で、精霊王は精霊石を核に身体を形作るんだ。つまり、精霊石さえあれば、身体は勝手に再生される。
奪われた二柱の精霊王は、王骸器を造るのに転用されるか、もしくはフォンシャの穴埋めに回されるか……
王都の連中。国王にして最古の精霊使いって、一体、何を考えてるんだろう?
多くの精霊王を奪われたのが面白くない……それは理解できるんだけど、王都が維持可能なだけの精霊王は残す、そう約定が交わされていたはずだ。
その約定に従い、十年間、王都は砂漠へと干渉しなかった。だが今回、約定を破り精霊王の回収に着手した。
僕は大きく溜め息をつく。
たぶん、これが第二次精霊戦争。その幕開けになるんだと思う……いや、既に幕は開けているのかもね。