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伯爵、妻の発言に怯える

 屋敷へ入るなり拘束される、という事は無かった。レティア王子とエトワールが、玄関ホールのソファに並んで座る。ソファ真横にはミネーヴァ。


 フィラントはガラハッド、アテナと共にその前に並んだ。背後に5人の王宮騎士が並ぶ。


「アテナ、他の者達と掃除しなさい。埃臭いわ。フィラント、何もかもを謝罪なさい。何、ぼうっとしているのよ。申し訳無いという気持ちがないのね」


 レティア王子に軽蔑の視線を投げられた。アテナが騎士挨拶をして、ガラハッド以外の5人の王宮騎士を連れて遠ざかっていく。


 貴族騎士ばかりの王宮騎士を掃除夫扱いとは、レティア姫はとんでもない。まあ、噂は耳にしていた。ユース王子も度々嘆いている。可愛いは正義、と良く言っていたが、フィラントとしては「権力は正義」だと思っていた。まさにその通り。


 ガラハッドがやや乱暴に背中を押したので、フィラントは床に片膝をついた。こうべを垂れる。


 沈黙が続いた。アテナの命令が玄関ホールに響き渡る。足音が遠ざかっていくと、ガラハッドに「立て」と告げられた。


「さて、ガラハッド。ミネーヴァから聞いた通り俺は王子。フィラントを愛しているというのは大嘘。フィラントがグラフトン公爵に陥れられるから助けたいというのも嘘。フィラントに恩を売って、ユース兄上に取り入る。それが目的」


 割と小声で話すと、レティア王子はガラハッドを見据えた。先程までとは違って、精悍な表情はやや男っぽくも見える。男だと知っていれば、であるが。


「嘘偽りばかりで、何を信じて良いのか分かりません。しかし、我が忠誠は決して変わりません。何なりとお申し付け下さい。この屋敷に籠城して、ユース様の接触を待つ。それは変更なしですか?」


 涼しい顔のガラハッドに、レティア王子が微笑みかけた。


「ありがとう。ミネーヴァといい、嬉しい限りだ。だからこそ、決意した。フィラント、グラフトン公爵に先程のような話をする。彼に協力するフリで時間稼ぎをしてくれ。グラフトン公爵は君に見張りをつけて、ユース兄上に接触させないだろう。君を自分の駒にするまでは。俺は逆。邪魔を押し退けて、君をユース兄上と会わせる」


 笑顔のレティア王子に対して、フィラントは必死に考えた。立場として有利なのはフィラントだが、エトワールはレティア王子の隣。


——俺に逆らうと、大事な妻が酷い目に合うからな


 こっちこそ、ユース王子に有る事無い事吹き込んでやりたい。


「ユース兄上に俺を売るか? こうして、君達夫婦を保護したのに恩を仇で返すのか? 冤罪で夫婦揃って逮捕というところだったんだぞ。俺が動かなかったら、酷いことになっていた」


 それもどうだか。何にせよ、とにかくエトワールの安全を確保しないとならない。上手く立ち回って、グラフトン公爵、レティア王子、両者から逃げる。それまでの過程は全部ユース王子に話す。彼を信用するのか判断するのはユース王子と共にだ。


「エトワールが無事な間は従います。彼女の衣食住、全てを保証して下さい」


 レティア王子は神妙な顔で、大きく頷いた。隣に座るエトワールは驚いたような表情を見せた。次は何故か赤くなった。


「レティア姫のお気に入りの座を与えた。常に俺とミネーヴァの近くにいさせる。誰も手出し出来ない。この4日間、不自由させなかったし危険も無かった。そうだろう?」


 レティア王子の問いかけに、エトワールは答えなかった。ぼんやりとフィラントを見上げている。


「なあ、そうだろう?」


 一瞬、レティア王子は不安げな表情になった。エトワールは、尚もぼーっとしている。目線はフィラントに向けられている。


「何か不満だった?」


 ハッとしたようなエトワールがレティア王子に顔を向けた。


「はい? も、申し訳ございません。思わぬ言葉で胸がいっぱいでして……」


 白い肌を益々赤く染めたエトワールに、フィラントは戸惑った。


「こんな感じでボヤってしている。口も軽い。何を言いだすか分からないところもあるから、彼女には基本的に閉じこもってもらう。グラフトン公爵や関係者には絶対に会わせない。フィラントもその方が安心だろう。両者、利害が一致している」


「はい。私、隠し事や芝居など苦手です。無理です。あの、屋根裏部屋は嫌です。他なら何処でも良いです」


 エトワールがレティア王子に軽い会釈をした。


 無理です⁈ 嫌です⁈


「何度も聞いたよ。で、何度も話した通り、良い部屋を与える」


 何度も⁈


 フィラントの背中に冷たい汗が流れた。 エトワールがこんな言動をしていたなんて……。


「1日1食以下も嫌です。フィラント様に危険な事をさせないで下さい。でないと、あることないことユース王子様に言います」


 ちょっと待った! エトワールが軽くレティア王子を睨んだので、フィラントは思わず彼女を止めたかった。しかし、もう遅い。


「この通り。さすが氷騎士の妻。心臓に毛が生えている。何度も脅されている」


 レティア王子がフィラントに向かって苦笑いした。


 な、何度も……。フィラントの頬は軽く痙攣した。エトワールが割と物怖じしないことは知っている。しかし、ここまでとは……。


「毛なんて生えていません。酷いことをしないと信じているだけです。実際、そうではないですか。1度も怒鳴られたり、ぶたれたり、嫌な目で見られていません。心配してくれています。そんな方、怖くありません」


 怖くない? フィラントの背筋に嫌な汗が流れた。4日間、エトワールはこの調子だったのか?


 向こう見ずにも程がある。


 エトワールは尚もレティア姫を睨んでいる。こんな勝気な態度のエトワールは初め……結婚式前や初夜の日にも似たような顔をしていた。大人しそうに見えるが、エトワールはどちらかというと肝が据わっている。


 確かに、グラフトン公爵などフィラントを罠にかけたい相手に会わせたくない。


「姉さんのその理屈はやっぱり分からないな。レティア姫が閉じこもる予定だった部屋があるから、ミネーヴァ、彼女を例の場所へ」


 ミネーヴァが恭しいというような態度でエトワールに手を差し出した。なのに、エトワールはプイッと顔を背けた。


「フィラント様は大変心配してくださっています。なので、幽閉される場所には一緒に行きたいです」


 うええええ、エトワール……。そんな強気な態度を取るな。止めてくれ。


「そうするつもりだった。姉さん、こういう時は愛想を振りまいて媚びる方が得をするものだ」


 レティア王子がエトワールに問いかけると、エトワールは渋々というように首を縦に振った。


「道中でも話しましたが、感情がすぐ顔に出るので、媚びたりするのは苦手です。練習しておきます。ご忠告、ありがとうございます」


 心の底から、そういうようにエトワールが笑った。


 レティア王子が肩を竦めて、フィラントを見た。複雑そうな表情と困り笑いは、偽りには思えなかった。


 何か言うかと思ったが、レティア王子は無言だった。彼が目配せをして、ミネーヴァがフィラントとエトワールを促す。


 エトワールはすぐさまフィラントの隣に移動してきて、全員を見渡した。それから、レティア王子に優雅な会釈をしてからフィラントの腕にしがみついた。


 フィラントの腕を抱きしめて、ピタリとくっつくエトワールは震えている。怖くないは嘘だったのか……。


 今ならエトワールを連れて逃げられる。いや、この屋敷の周辺の様子が分からない。馬車はもういない。馬を強奪も出来ない。フィラントは大人しく、移動を開始したミネーヴァに従うことにした。

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