子爵令嬢、化粧をしてもらう
エトワールの初恋はフローラにあっさり見抜かれました。というより、気がついたら喋っていたという。
昨晩、フローラが「絶対に出迎えた方が良い」と言うので、眠らないで、おまけに恥ずかしくてならない寝巻き姿でフィラント様を待っていました。
きっと褒めてくれるなんてフローラが煽てるので、それはもう期待して緊張しながら待機しました。ドキドキして倒れそうだと思っていたら、倒れたのはフィラント様。レグルス様が支えて、床に頭をぶつけるなんて悲劇は起こらなかったけれど、倒れる程飲むなんて心配なことこの上ないです。
早起きしたので窓の外の街並みを眺めてみます。フィラント様と暮らす屋敷の倍はあるこの領主邸は4階建て。私を泊めてくれた客間も4階で、街の中心にある聖堂や、そこから伸びる区画整備された通りが良く見えます。
朝日が露をキラキラと輝かせて、とても美しい街並み。
アストライア領地は交易で栄えて、2年前に大規模な工事が終わったとお父様が言っていました。治安が不安定なので心配されていましたが、昨日耳にした噂で少し安心しています。お父様への手紙にも書こうと思います。
フローラの侍女アンナが教えてくれました。騎士団副隊長となるフィラント様、早速レグルス様を守ったり、盗賊団を捕縛したりしたそう。着任前なのに、もうアストライア領地に名が広がるとは優秀。フローラによれば、フィラント様は戦歴豊富で教育にも熱心。フィラント様が騎士団副隊長に着任したら、治安が向上すると期待されているそうです。
実力があるので騎士爵からいきなり伯爵位を与えられるのでしょう。騎士爵に新しい爵位を与えることは何十年か前に禁止されたので、フィラント様は私と婚姻。そこそこある話みたいです。お父様の懸念は、王勅命ということだそうで……社交界にデビューするなら色々政治について学ばないとなりません。
フローラが「フィラント様には恋人も妻もいないし、真面目な方だから大事にしてくれるわよ」と言っていたので、昨夜からずっと踊りたい気分。しかもお姉さんみたいなフローラと出会えたので、嬉しさ倍増。
夢みたいで、布団の中でゴロゴロ、ニヤニヤしていたので眠れていません。
窓を開けて、朝の清々しい空気を吸って、澄み渡った空や街並みを眺めます。世界が変わるのは2度目。奇跡が2回も起こるとは、神様にもっと奉仕しなさいということでしょう。慈善事業は貴族夫人の仕事の1つ。今日、フローラが聖堂や病院、孤児院へ案内してくれます。来月の結婚式前から、顔を出しておくべきだと思ったので頼みました。
窓辺でフローラに借りた本を読みましょう。レグルス様の叔父上、ヘンリ・カンタベリ公爵夫人ライラ様はチェスがお好きだそう。ヘンリ様はフィラント様の上司。なので、少しでもチェスの腕を上げておくべきだとフローラに言われました。
苦手なチェスの棋譜解説本を読み続けていたら、フローラの侍女アンナが現れました。それからミレーにサシャ。朝の挨拶をして、緊張しながら身支度をしてもらいます。身の回りのことは自分でしてきたので、変な気分。
「エトワール様、眠れました?」
フローラが用意してくれたという桃色のドレスを着終わった時、髪を結い上げてくれているサシャに問いかけられました。鏡の前に立つ私の目の下には隈。
「それが、胸がドキドキしてちっともです。目の下の隈が酷いですね……」
お任せ下さい! とミレーがポンポンと白粉で隈を消してくれました。薄い化粧なのに、隈はかなり分かり難くなっています。それに、私が中々の美人に見える。これは、フィラント様が褒めてくれるかもしれません。
「ミレー、このお化粧の方法を今度教えて下さい」
「いいえ、大丈夫ですエトワール様。私達3人、本日よりシュテルン子爵家の侍女です。気立てが良くて優しい、面白いフローラ様からどんな方へと不安でしたが、昨日お会いして心底安心しました」
私の支度が完了して、私の前に並んだ侍女3人。昨日からちょこちょこ話しかけられ、世話を焼いてもらっていると思ったらそういうこと。3人とも私と年が近いし、これは嬉しいです。
「まあ、まあ、まあ! それは朗報としか言いようがありません。フローラが貴女達はこの屋敷に住み込んでいる侍女と言っていたので、今日から私と一緒に暮らすのですね」
「そうですエトワール様。このサシャは追い出されたら行き場がないのでクビにしないで下さい」
ちょっと、とアンナとミレーがサシャを窘めました。少々気まずい空気。サシャの生い立ち、聞くべき?
「悪いことをしないで、ごくごく普通に働いてくれればクビになんてしません。フィラント様も同じだと思います。雇えなくならないように、是非私達を助けて下さい」
満面の笑みのサシャ。大人びた顔立ちなのに、幼い男の子、悪戯小僧みたいな笑い方。
「レグルス様とフローラ様からそういう主だと聞いています! 誠心誠意尽くします! 今のは首切りし難いように先手です!」
サシャはちゃっかり者と覚えておこう。会釈をして「談話室で奥様をお待ち下さい」と去っていった侍女達。サシャは引きずられるように、でした。
鏡の前でクルリと1回転して、よしと部屋を出ます。やはりいつもより美しく見える気がします。化粧とはこんなに大事なのか。
1階に降りて、談話室へと入りました。誰も居ません。とりあえずソファの近くに立っておきます。他人の家のソファに、勝手に座ってはいけません。
少し待っていたら、フィラント様が姿を現しました。顔色が悪くて、額に掌を当てています。
「おはようございますフィラント様。お加減はいかがでしょうか?」
——倒れるまで飲むなんて、心配ですのでお気をつけ下さい
そう付け足すか迷います。まだ嫁入り前で、昨日出会ったばかり。それに、殆ど話せていません。……苦言は止めておきましょう。
問いかけに返事がありません。フィラント様、私を上から下まで眺めました。
返答ついでに、何か私の姿への感想はあるのでしょうか? 緊張で、ゴクリと喉が鳴ります。
「ああ、まだ酒が抜けなくて幻覚か……。天使とは……やはり死んだのか……」
大きな、それはそれは大きなため息を吐いて、フラフラと去っていくフィラント様。
今、何て言いました?
天使? 天使と呼ばれました。私は両手を頬に当てました。熱い、熱過ぎる!
ミレーの化粧は魔法みたいです!
死んだ? 死んでなんていません! フィラント様の後を追います。玄関ホールの階段に座って、手摺に寄りかかっています。近寄って、フィラント様の前にしゃがみました。
「フィラント様?」
少し口を開けて、俯き加減で眠っています。どちらかというと、キリッてしている顔立ちなのに、赤ちゃんみたいな寝顔。
なんか、可愛いです。二日酔いは大丈夫なのでしょうか? フィラント様、スヤスヤと寝ています。
私はしばらく、フィラント様を見ていました。それをレグルス様に見つかり、揶揄われ、脱兎の如く逃亡。談話室の隅で直立。それで、レグルス様にまた大笑いされました。
やはり、私はレグルス様は苦手でフィラント様の事は気になって仕方ないようです。




