伯爵夫人、演技出来ない
アテナに馬車から降りなさいと命令されて、従ったら衝撃的な場面を目撃しました。開け放たれた、別の馬車の扉。そのすぐ側でレティア王子様がフィラント様に覆い被さって、熱烈キス。
男なのに何で⁈
ああ、何かのお芝居ですね。フィラント様は伯爵になっても仕事を選べないのでしょう。男性とキスとは……どうなんでしょう? どんな理由でレティア王子様とキスをする必要があるのでしょう? レティア姫が男だって見抜かれないように?
アテナが近寄っていきます。フィラント様達がいる馬車の近くには王宮騎士が2人います。
「フィラント! 私を拒否するならこの場で死ぬわ! 人でなし! 大嘘つき! お前の妻も殺してやる! 酷いわ……私の胸を焦がしておいて……そんなこと言われたら……逃げられ……」
フィラント様の胸を叩くレティア王子様は、まさに女性です。どこからどう見ても、フィラント様を憎し恋しいという様子。儚げで妙に色っぽい泣き顔です。
私にぴったりと張り付くように背後に立ったミネーヴァに、軽く小突かれました。
「レティア姫様。フィラント卿と私は偽装結婚です」
ミネーヴァに小声で囁かれました。言え、という意味でしょう。
「レ、レ、レティア……ひめ……ひめさま。ぎそうけっこんでして……」
私、緊張で上手く話せません。偽装結婚? それは……私やお父様達が最初に思った事です。子爵位を得るための結婚。実際は違いました。ごくごく普通の政略結婚です。
ミネーヴァに小さな舌打ちをされました。自分でも今の喋り方は落第点だと分かります。
「伯爵となれば、約束通りに姫様と結婚出来るからです。レティア姫様、私のお心を疑わないで下さい。我が愛は1日たりとも貴女様から離れた事はありません」
次の指示が出ました。何ですって⁈ フィラント様とレティア姫様は結婚を約束した仲⁈ 愛————⁈ ……嫉妬している場合ではありません。レティア姫様は王子様です。でも、キス……。男色家? フィラント様は……違いますよね? そうなはず。私と恋人になり……そうでまだです。
明後日には夫婦兼恋人になる予定でした。誕生日祝いをして、贈り物をして、日頃の苦労を労い、フィラント様が好きらしい寝間着——というかあれは絶対に下着——で悩殺するから、愛していると言ってもらえる筈だったのに……。
レティア王子様と恋人だったなんて……。いえ、何かのお芝居らしいので違います。
——常に言われた通りの台詞を喋ること。もっともらしく話すように
あれは絶対にフィラント様かユース王子様の指示です。
それなのに、ぐるぐる考えていたら、台詞を忘れてしまいました。
「はくしゃくになれば……ひめさまとけっこん……できまして……」
ミネーヴァにまた小さな舌打ちをされました。怒られても、田舎育ちの割と呑気な小娘に迫真の演技なんて無理です。過剰要求というものです。
困って、ついフィラント様を見ました。見ない方が良いのかもしれませんが、つい。
目が合ったフィラント様は、微笑んでいました。実に優しげな眼差しで、私に安心して良いですよ、と訴えているようです。
私、下手ながらも役割を果たせたようです。よくやった私! こっそり、フィラント様に手を振っておきます。ニヤニヤしてはいけませんので、口元に力を入れておきます。
レティア王子様がフィラント様から離れて、よろよろと馬車から降りました。その後、全速力というように走ってきました。激怒という表情。絶世の美少年が台無し。思わず逃げそうになりましたが、ミネーヴァに「動くな」と囁かれました。
「黙りなさい泥棒猫! 貴女の声も姿も……偽装結婚? その話、聞かせて頂戴」
レティア王子様に両肩を掴まれて、体を揺らされました。泥棒猫! と言う割には結構優しいです。
私はそのままレティア王子様に腕を掴まれて、乗っていた馬車へと引きずられました。アテナは戻ってきません。レティア王子様とミネーヴァ、それから私の3人を乗せた馬車が動き出します。指示を出したのはミネーヴァです。
私の目の前にレティア王子様、隣にミネーヴァという並び。
「何ですか、さっきのは」
「この方に演技力を求めるのは無理だと思いますレティア様。それに、あれこれ質問してきたり、寝ようとしたりと訳が分かりません。この方、心臓に毛が生えています」
レティア王子様に睨まれ、ミネーヴァには大きなため息を吐かれました。心臓に毛⁈ どちらかというと、ノミの心臓ですよ!
馬車を操作している方に聞かれたら困ると思ったのは、見当違いだったようです。
「訳が分からないのはこちらの方です。出頭命令なのに、優しくされて、手厚く扱われて、お菓子まで用意されています。分からないから質問しているのに無視ばかり」
思わず、文句を言っていました。煩いと怒鳴られたりしないようなので、続けることにします。
「ユース王子様が保護してくれたのですよね? 出頭命令はお芝居なんですよね? それで、指示通り喋りなさいということなんですよね? 安心しているから寝ようともしますよ。寝不足ですもの」
私、ここのところ常に寝不足です。フィラント様への贈り物の手袋とマフラーを編んでいるからです。フィラント様が寝てから、こっそりと起きて夜な夜な編んでいます。昼間は、結構忙しいので進まないのです。
レティア王子が大きく目を見開きました。ミネーヴァを見てみると、彼女も同様。何をそんなに驚いているのでしょう?
「優しくされて? 先程も手厚いなどと……」
ミネーヴァが眉間に皺を作りました。
「縛られないし、所持品の確認もされなくて、隠しナイフを出しても殴られないなんて変です。高級品のお菓子まで渡されるなんて、とっても奇妙です。違います?」
益々、眉根を寄せたミネーヴァ。レティア王子様は冷笑になっています。
「いえ、その通りです。しかし、それでユース兄上の保護だと思うとは思慮が浅い。いや、むしろ深いのでしょうか? 残念ながら、ユース兄上は関与していません。国家反逆罪の嫌疑で出頭命令は本物。歩く道を間違えると、夫婦揃って処刑台ですよ」
レティア王子様の発言で、さあああああっと全身の血の気が引いていきました。私、楽観的な阿呆だったようです。しかし、この手厚い状況は何故?
ああ、レティア王子様が保護してくれたということですね。王都でも、何やら忠告をしてくれましたもの。
——炎が上がったら好きに、自由になさい。出来れば2人で逃げて
——アストライアに戻ったらしばらく王都に来るな。なんかこの奥さん間抜けだから、追加の忠告。
王都で物騒なことがあったなんて聞いていません。ということは、逃げるべき時ではありません。しかし、何かがあって逃亡しないといけない状況だった? それで、レティア王子様が保護してくれた?
「まあ、では助けて下さってありがとうございますレティア王子様。間抜けで、自力で恩人を見抜けないとは申し訳ございませんでした」
「なっ⁈」
突然、私の隣に座るミネーヴァが立ち上がりました。あれ、もしや王子様と言ってはいけませんでした? ミネーヴァはレティア王子様の味方、忠臣かと思ったのですが……。私、やらかしたみたいです。
「言ったでしょう? ミネーヴァ。フィラントの奥さんは友好的です。何せ、横柄なレティア姫にも好意的でしたもの。絶対に傷つけてはなりません。で、私は男。長年騙しててごめんなさいね」
揺れる馬車内で立ち尽くしているミネーヴァが、放心した様子でレティア王子様を眺めています。ミネーヴァに見られているレティア王子様は私に微笑みかけました。
「秘密を勝手に喋るな。君に演技とか、芝居とか求めるのは無理そうだな。フィラントはあれこれと上手いのに。ミネーヴァ、ことが済むまで彼女はどうにかして幽閉しよう」
幽閉⁈ えええ……。急転直下とはこのことです。フィラント様との楽しい新婚生活をしていたのに、幽閉生活……。
あれです。かつての屋根裏生活のように、凍えそうな部屋で1日1食以下の生活が始まる。あんな日々には、戻りたくありません。
ことが済むまで、その「こと」とは何ですか? 尋ねようと思いましたが、私は唇を結びました。沈黙こそ正義。多分、そうです。
また、余計なことを喋ってしまいそう。
窓の外をチラリと見ると、夕陽は地上から消え去り、空には星々が輝き始めていました。




