伯爵、急転直下
昼過ぎ、騎士本部署から領事館へと移動してきた。今日は夕方にエトワールとミモザ酒場へ行く。ロクサスも誘ってみよう。そう思いながら副官政務室へ向かった。
入室すると、ロクサスが直ぐに立ち上がった。テーブルに資料らしき本が何冊もある。それに羊皮紙の束。何か書類を作製していたようだ。
普段はここで挨拶なのだが、ロクサスは即座にフィラントへ近寄ってきた。かなり険しい表情をしている。
「フィラント様。少し良いですか?」
神妙な面持ちのロクサスにフィラントは首を縦に振った。何かあったのだろうか?
「水路改修事業の責任者、私だというのは本当ですか?」
何のことかと思ったら、その話か。フィラントは首を縦に振った。
「ああ。その通りだ」
「何故です? フィラント様の予定でしたよね?」
「領主様に誰か推薦しろと言われたので君の名を告げた」
正確には、嫌だとゴネてロクサスを差し出した、だ。レグルスにロクサスの良いところを伝えまくった。嘘なんてつかなくても、うんとある。人柄、仕事ぶりのありのままを話した。
水路改修事業の責任者にはなりたくない。失敗が恐ろしいし、多忙になり過ぎてエトワールと過ごす時間が確実に減る。
伝えないと伝わらない。先日身にしみたので、心臓をバクバクさせながらレグルスに反抗した。結果、許された。ブツブツ文句を言われただけで終わった。
「推薦? 領主様はフィラント様が拒否して私を指名した。そう申されました。名指しされたのだから決定だと……」
「俺は君を薦めただけだ。領主様自身が君の仕事振りを認めているのだろう。大事業の責任者なんて多忙そう。俺はなるべく早く家に帰りたい」
唖然というようなロクサスに、フィラントは戸惑った。
「あー、変なことを言ったか?」
名誉ある仕事より帰宅優先という発言なので、呆れられたのだろう。
「仕事を掛け持ち。騎士団運営が本職で、領主補佐官は側近の私が影武者役。なのに、領主補佐官の仕事も半分以上をご自分でこなしているではないですか」
「そう言われていたのか。領主様からは、優秀な側近の手を借りて良いから領主補佐官の仕事も全力で取り組め。そう命じられている。なんだ、全部投げて良いならそうすれば良かった。俺は目一杯で、おまけに実力不足だ」
肩を竦めると、ロクサスは苦笑いを浮かべた。
「ご謙遜を。何もかも、前評判以上らしいですよ。私もそう思っています。涼しい顔で何でも引き受けて要領良く片付けていく。目一杯には見えませんよ」
「領主様に表情筋が死んでいると言われる。そのせいだ。力量以上のことを求められて辛い」
日々の仕事に追われて考えるべきこと、調べるべきことがあるのに、放置してしまっている。王都の政治情勢。流星国とかいう謎の国。レティア姫——王子——の謎。岩窟龍国との交易交渉について。
レティア姫——王子——の生誕の儀でエトワールに働いてもらわないといけないことも話せていない。エトワールに新しく購入した2つの首飾りも渡しそびれている。
「そういうことにしておきます。あの、ありがとうございます。まさか取り立てていただけるとは思っていませんでした。弟や妹への配慮だけでも信じられなかったのに」
「ああ、それはエトワールだ」
「フィラント様と奥様には頭が上がりません」
会釈をされたが、腑に落ちない。フィラントは取り立てて何もしていない。
「それならエトワールに謝辞を述べて欲しい」
「勿論でございます。何度でも御礼致します」
実に好意的な笑顔を浮かべたロクサス。これは良い流れでロクサスを誘える。
「勤務時間が終わったらエトワールとミモザ酒場というところへ行く。ロクサスも来ないか?」
エトワールがサシャを誘ったので、2人と何故か仲の良いマルクと、彼の友人パーズが来る。多分、他にも何人か部下が現れる。そういう予感がする。喧しくて面倒そうなので、騎士より気軽に話せるロクサスがいて欲しい。
隣にエトワールとロクサス。それなら、まあ楽しめそう。
「酒場ですか?」
「護身術講座の件で世話になる夫婦が経営している。あと、エトワールが興味津々でな」
先程までの表情は何処へやら。ロクサスはニヤリと笑った。
「フィラント様は奥様に弱いですよね」
返答に困る台詞。弱いというより、今のフィラントの世界はエトワール中心で回っている。水路改修事業の責任者の話は、以前なら二つ返事で引き受けていた。というより、命令に逆らおうという発想を持たなかった。しかし、今回は違う。エトワールと過ごす時間を削りたくないと強く思って、気がついたらレグルスの命令を断っていた。
「大丈夫です? あの辺り、かなり治安が悪いですけれど」
「それで君もと思ってな。何かあって席を外す際にエトワールの傍にいてもらいたい」
ここぞとばかりにエトワールにベタベタしそうな部下より、紳士的なロクサスが良い。
「そんなに信頼されると萎縮しますよ。ははっ、ここのところ急に世界が変わりました。喜んでお供致します」
ふふふ、というように笑ったロクサスは何だかエトワールを思い起こさせた。妙に親しげというか、好意的。普通に暮らしていたら、エトワールはロクサスのような男と恋仲になり、結婚するのだろう。家族想いで、真面目な働き者。人柄温厚。
真似したら……無理そう。そもそも、笑う事が苦手。ユース王子のフリなら何とかなるが、快活明朗で生真面目なロクサスとお調子者風なユース王子だと方向性が違う。
「世界が変わった?」
「そうです。影武者みたいな業務。屋敷は酷い有様で、留守番している兄弟も心配。それが一転」
「人生何があるか分からないというからな……」
「ええ。真面目に働いていると、良い事もあるのですね」
友好的な笑顔を向けるとロクサスはソファに座って書類を手に取った。
フィラントはそのままロクサスと仕事に取り掛かった。
夕方にはきちんと仕事を片付けた。身支度をして、領事館を後にする。帰りは馬車を手配してあるが、行きはロクサスを乗せて自分の馬。
騎士として巡回し過ぎて、アストライア街はもう庭のよう。
「フィラント様、ここのところ凄い人気ですね」
「人気?」
ほら、とロクサスに目配せされた。ヒソヒソ、ヒソヒソと囁き合う市民達。特殊任務や出征が多かったが、通常の王都勤務もあった。その時も見たことのある光景。
「また血塗れ騎士とか呼ばれているのか俺は……」
死神、血塗れ、赤い閃光、王都ではたまにそんな噂を耳にした。
「愛想良く手を振ったら、益々名声が手に入るでしょうね。まあ、無愛想なのが良いとも聞きますけど」
「はあ? 名声? まあ、たまに褒められるが……」
エトワールやロクサスのような人物だと、フィラントとは違う景色に見えるのだろうか? 確かに、市民に礼を言われることが増えた気がする。
大通りの向こう側に、見慣れた旗がいくつも翻っているのを見つけてフィラントは馬を止めた。真紅の生地に円に十字、そして鷲を組み合わせた紋章。
「王宮騎士?」
視察にしては数が多い。何だ?
「ロクサス、降りろ」
異様な雰囲気に市民が通りの端へと寄っていく。フィラントはロクサスが馬から降りるのを手伝うと、王宮騎士達の方へと向かった。
アストライア騎士団副隊長なので、挨拶くらいするべき。嫌味や侮蔑を浴びせられる可能性もあるが、聞き流すしかない。低姿勢が大切。面倒事は御免。
「フィラント・シュテルン! 国家反逆罪の嫌疑あり出頭願う!」
後数メートルというところで、先頭の王宮騎士に叫ばれた。
はあ?
国家反逆罪⁈
ユース王子が何かして失敗したのか⁈ 大々的な事をするなんて話は聞いていない。
逃げるか。どの道、何かあれば逃亡するつもりだった。この人数は……相手出来ない。地の利はこちらにあるので屋根伝いに移動して馬の入れない裏路地……。
「エトワール……」
一瞬、目の前が真っ暗になった。青白い顔のエトワールが、王宮騎士の1人と馬に乗っている。
フィラントはほぼ無意識に、帯刀している剣を地面に放り投げ、両腕を上げていた。
戦場で死ぬかもと感じた時よりも恐ろしい。震えで落馬しそう。歯向かえば、絶対にエトワールに手を出される。
「国王陛下及び第3王子に忠誠を誓った身! 心臓貫かれようとも反逆などしません! 我が身は潔白! 素直に出頭致します!」
2ヶ月半か……短くて儚いけれど夢のような生活だった。エトワールの事は、あれこれ手配を頼んでいたレグルスを信じるしかない。
従者には先に退職金を払ってあるし、いざという時の仕事もそれとなく斡旋済み。エトワールの両親と2人に付けたナックルに伝令が行くので、彼へ支払った金とフィラントの信頼に応えてくれればどうにか逃げてくれる。
やはり、エトワールを早々に手離すべきだった。フィラントの独りよがりで、エトワールを危険に晒す。最低だな……。
終焉と言わんばかりに、夕刻の鐘が鳴り響いた。死神の鎌の音かもしれない。フィラントは自虐的な笑みを浮かべかけて、止めた。
苦手な表情筋を動かすなら、エトワールへ安心を伝える笑顔の方が良いだろう。
フィラントは精一杯、自分なりに笑ってみせた。




