伯爵夫人、機嫌を直す
私の激怒に気がつかないのか、フィラント様は私から離れました。こっちを一切見ません。
「そういう常識が無くてすみません。今更気がついて、ちょこちょこ人に聞くようにしているのですが……。うわっ、こんなところにも……止めろと言ったのに……」
自分の白いシャツの袖を見つめるフィラント様。そこには橙色の強い赤い口紅。
「妻帯者というだけで悪ふざけの標的にするな……。洗うのも大変だというのに……」
フィラント様は物凄く嫌そうな顔になりました。これは、浮気の言い訳? 黙って聞いていましょう。怒ると逃げられるらしいので、様子見です。
「あの娘達も悪ふざけばかりにヒソヒソお喋りばかりで、ちっとも話を聞かない。全く……。護身術講座がここまで大変とは……ああ、そうだエトワールも侍女と参加して下さい」
「護身術講座?」
「エトワールが持ちつ持たれつと言っていたので、真似です。シスター・アリスに提案されまして。暴漢対策だけではなく、防犯意識も高めたらどうかと。一昨日から始めたのですが前途多難です」
それは良い話です。
悪ふざけ、ヒソヒソお喋りは、多分フィラント様に対してきゃあきゃあ言っているのでしょう。アストライア騎士団は人気者。
中でも、どんどん活躍している——おまけに格好良い——副隊長のフィラント様の人気はうなぎ登り。
私、街を歩くと若い女性に冷ややかな目を向けられているから分かります。もしくは羨望。直接言われることもあります。街の噂を拾ってきてくれるサシャからも色々と聞いています。護身術講座の話は知りませんでした。
「学校や孤児院にも話をしているところです。しかし、子供の扱いなんて分からないのでエトワールに助けてもらいたいです」
ソファに座って、ほうっと息を吐くと、フィラント様は私に微笑みかけました。隣においでというように、手で私に合図しています。
「自分でも頑張ります。子供と触れ合えるようになっておいた方が良いですよね。エトワールにばかり世話をかけては……エトワール?」
隣に座る前に、やはり確認しましょう。妻は夫を信じるべきです。私は大きく深呼吸しました。
「あの、その口紅とか香水は……この間もですが悪ふざけされたのですか?」
貴重な笑顔が引っ込み、渋い表情になったフィラント様。
「困ったものです。気取った伯爵なんかの話は聞かないとか、それより遊びましょうとか……。1番身を守る術が必要そうな娼館の女達に、反発されていまして……。まあ、金持ちの道楽や偽善と言われるのは想定していましたけれど……」
疲れた、そういう様子でフィラント様は小さなため息をつきました。浮気は早とちりの勘違いみたいです。
「一昨日、ミモザという酒場に行かれました? あの、夕方です。ミレーと見かけまして……。酒場で護身術講座ですか?」
「ああ。ミモザ酒場の主人と奥さん、あの辺りを取り仕切っているそうで相談に。今度、奥様と飲みに来ませんか? と言われたのですが……あの、やはり酒場って行ってみたいです? 心配で連れて行きたくないのですが……。誘われたので突っぱねるのもなと思っていまして」
酒場の主人の奥さん。それなら、行けば顔が分かります。
「フィラント様がいれば安心です。今度、行きましょう」
浮気疑惑はアッサリ解決なようです。フィラント様と並んで歩いていた女性が、ミモザ酒場の奥様と一致したら一安心。
フローラに愚痴って、ミレーにも気を遣わせて、一人相撲とは馬鹿みたい。一昨日の時点でフィラント様に聞けば良かったです。
——愛人なんて作りません。俺は君と約束しましたよ
ヒステリックに激怒していたら、先程の言葉は聞かなかったかもしれません。フローラに御礼を言いましょう。やはり、経験者や他人からの意見には耳を貸すべきです。フィラント様もシスターに相談しているようなので、どんどん見習いましょう。
「今日、フローラから結婚祝いを預かってきました。レグルス様からフィラント様へです」
晴れやかな気分。そうです。妻は夫をまず信じなさい。よくよく相手を観察して、周りにも聞きなさい。信じられる限りは世界中が敵になっても支える。お母様にそう教わったのを忘れていました。
フィラント様って、私に嘘をついたことありましたっけ? 無いです。質問すれば教えてくれます。そういう誠実なところも、とても好きです。
私は窓際の小さなテーブルに置いてあった紙袋の中身を持ってフィラント様の隣に移動しました。リボンが掛かった平たい箱です。
「結婚祝い? 屋敷の調度品を貰ったというのに……」
私はフィラント様に箱を渡しました。フィラント様は微かに嬉しそうになりましたが、すぐしかめっ面になりました。
「あー……。エトワール。ユース王子とレグルスはとても思考が似ています……」
突然、何でしょう? 私は首を傾げました。フィラント様は少しだけ私を見た後、おもむろに箱のリボンをほどき、箱も開けました。
中身はふわふわした、白い布でした。メッセージカードが乗っています。つい最近、似たような事がありました。つまり、この白い綺麗なレース付きの布は……。
フィラント様はそっと箱に蓋を乗せて閉めました。
「あいつらはこういう事ばかり……」
チラッととフィラント様は私の様子を確認しました。
少し期待の眼差しにも見えました。
「き、き、き、着ましょうか? あの、寝るときに……。あの、その、あまりジロジロは見ないで下さいね……。灯りも……」
小さく頷くと、フィラント様は私の頭を軽く撫でて部屋を出て行きました。
「夕食前にロクサスとスヴェン君に軽く剣術指南をしてきます。帰宅が早い日はそうするということになったので……」
去り際、フィラント様の耳は少し赤かったです。多分、私は全身赤いです。熱いし、手が真っ赤にですもの。
私はレグルス様からの贈り物を確認することにしました。メッセージカードは見てはいけません。
ユース王子様とレグルス様は似ているとはその通りのようです。ユース王子様に貰った寝巻き——絶対にあれは下着——と良く似ています。
ただ、更に透けています。
羞恥心をゴミ箱に捨てると、恋人みたいな時間があるのはもう知っています。しかし、これは前のものより恥ずかしいです。フィラント様、ジロジロ見ますし……。
……。
……。
この寝巻き——絶対下着——で誘惑して、夢中になってもらい、トドメは誕生日祝いです!
誕生日は間もなく。夜、ささやかなお祝いをします。週末にフィラント様の大々的な誕生会。多忙なフィラント様の代わりに執事フォン、ルミエル、それからヴィクトリアと共に晩餐会準備をしています。伯爵になったお祝いの宴でもあります。
愛しているエトワール。そう言ってもらって、妻から恋人に昇格するのです!
今夜言われたら、どうしましょう?
そうしたら誕生日後には「生涯君だけを愛します」かもしれません。……素敵♪
想像したら、悶えて変な声が出ました。恋とは落ち込んだり、激怒したり、みっともなくデレデレしたり大変です。




