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伯爵、少し変わる

 大笑いしながら部屋から出てきたユース王子に、トンと肩を叩かれた。


「うんうん、良いよあの娘。今のところ、君の隣に相応しい。さて、君の振りをして視察に行くから部屋に閉じこもっているように」


 じゃあね、と手を振りながら遠ざかっていくユース王子。フィラントはくしゃりと髪を掻いた。エトワールがフィラントの隣に相応しいなど、どういう意味だ?


 そっと部屋に入った。


 息苦しくてムカムカする。それに罪悪感。ユース王子に言われたからと、エトワールに悪ふざけをするのに加担した。ユース王子はエトワールに何の話しをしただろう?


 フィラントが入室すると、エトワールは寝台の上に触って呆然としていた。顔色が悪い。首に右手を当てて、しかめっ面。フィラントと目が合うと、エトワールは慌てたように寝台から降りた。それで、トトトッと駆け寄ってくる。


 寝巻きの裾を踏んづけたエトワールが、フィラント目掛けて突撃してきた。急いで受け止める。知り合って約2ヶ月。似たような光景は何度目だろう。エトワールはそそっかしくて割とドジ。


「あ、ありがとうございます」


「ですから、走らないように。俺がいなかったら怪我していましたよ」


「実は、昨日は膝頭を擦りむきました。気をつけようと思っているのですが、気持ちがはやってしまうのです」


 何だって⁈ フィラントはエトワールの膝を確認しようと屈んだ。エトワールもしゃがんできた。寝巻きの裾に隠れてエドワールの膝は見えない。エトワールはまだ首に手を当てている。


 エトワールはフィラントに顔をグッと近寄らせてきた。


「本物のフィラント様ですね……」


 大きな瞳がフィラントの顔を隅々まで観察している。照れてしまったので俯いた。


「フェンリスがすみません」


「酷いことをしないと信頼しているからですよね? しかし、悪ふざけが過ぎます。私、フェンリスお兄様の手を嫌だと払いのけてしまいました」


 え? 顔をあげたら、エトワールとパチリと目が合った。不思議な色合いの瞳に吸い込まれそうで体が硬直した。


「笑って許してくれました。入れ替わったフェンリスお兄様が私に会った目的は何ですか? 何の確認です? 私、何か不信感とか与えているのですか? 誤解があるなら解きたいです」


 エトワールの問いかけに、フィラントは言葉を詰まらせた。


「いえ、あの。彼の独断なので分かりません。息抜きに面白そうだと思ったことをしたかっただけかと……」


「私がすり替わりに気がつくのか試したのだと感じました。理由は聞いても良いのですか? フィラント様、お兄様の真似が大変お上手ですね。今の戸惑っているような態度も演技なのですか?」


 咎められているようなので、そして怒らせたようなのでフィラントはブンブンと首を横に振って否定した。


 せっかく、恋人のような雰囲気になってきたのに急転直下で嫌われる。いや、もう嫌われたのかもしれない。


「彼の考えは分かりません。長年、影武者役として色々と努力してきました。彼の立ち振る舞いを真似るのは、気合いを入れないと無理です。自分の性格と大きく違うので……」


 エトワールは「はあ」と感情の読めない声を出した。


「私を駒にって何の話ですか? 断って下さったと聞きました。それも、初めて命令を断ったと……」


 ユース王子はエトワールにその話をしたのか。エトワールはフィラントを探るような視線。青と緑が入り混じったような灰色っぽい彼女の瞳に、嫌悪は滲んでいない。


 フィラントはエトワールに昨夜の話の概要を伝えた。今日のうちに話しておこうと思っていた。


 床にしゃがみ込んで話すのもどうかと思ったが、移動するタイミングが掴めない。


「まあ、その流星国について調べないとなりませんね。私、役に立てるように目一杯頑張ります。あの……そのレティア姫様の身代わり候補の話を断ってくれてありがとうございます」


 エトワールがそっとフィラントの両手を取った。ぎゅうっと握り締められて、フィラントは困惑した。


「他の方に嫁がせたくないと思ってくれた。もしも、そういう理由ならとても嬉しいです」


 うっすらと瞳を濡らして、エトワールは小さく微笑んだ。


「その顔、違うのですね。なら、本当のことは言わないで下さい。その方が笑っていられますもの」


 そう言うと、エトワールはスッと立ち上がった。


「次の機会では役に立てるように、励んでおきます。足りない娘だから使えない。そう思われないように」


 フィラントは急いで立ち上がり、寂しげな笑顔のエトワールを慌てて引き止めた。手首を掴んで、向かい合う。


 何やら誤解された。喋らないでいるからだ。何か、何か言葉にしないと縮まった距離が離れてしまう。楽しそうに、嬉しそうに、幸せだというように笑ってくれなくなる。


 今までのエトワールの笑顔は偽物でも、演技でも無い。その筈。このままでは、生きてきた中で最も安らげる日々が手から溢れ落ちてしまう。


——言わないと伝わらんぞ


 結婚式の前夜にレグルスに言われたことを思い出した。


「違く、違くないです。エトワール、違くないです。単に君と離れるのが嫌で拒否しただけです。彼も俺の返事を分かっているようでした」


 パチパチ、と瞬きをしたエトワールはスッと首から手を離した。赤くて丸い内出血のような跡。


 え……?


「今、何て言いました?」


「エトワール、その首はどうしたのです?」


「多分、噛まれました。ユース王子様は少し怒っているようで……フィラント様?」

 

 気がついたら、フィラントは走り出していた。全身の血が逆流しているような感覚。玄関ホールでフィラントとして従者に見送られるユース王子を捕まえていた。


「こ、こわ、怖いですよ兄さん! ……ふふふ、あははははは! ほら行きますよ。街の物件を案内してくれる約束ですよね?」


 フィラントに似せたユース王子の笑みは、かなり無表情に近い。ユース王子に抱き寄せられ、耳元で囁かれた。


「そうだ、自由に生きろ。そして対等に生きよう。怒らせようと思っただけで手は出してない。ようやく肩を並べられたって感じがするな」


 当惑しているとユース王子に肩を組まれた。


 肩を並べられた?


 フィラントはユース王子に引きずられるように、屋敷の外へ連れていかれた。


「さて、満足したし発つ」


 ユース王子は自分の前髪をいつもと同じ髪型にして、フィラントの髪をぐしゃぐしゃと撫で回した。そのあと、フィラントの髪を全部後ろに撫でつけた。


「何かあって逃げる時、エトワールちゃんは騙せないようだぞ? それを覚えておくように」


 トントントンと肩を叩かれた。じゃあ、とユース王子が歩き出す。王宮騎士の姿が見えるまで護衛と思ったが、門の前にダグが立っていた。


「フェンリス! 約束の時間を過ぎても現れないので迎えに来た!」


「やあ、ダグ。すまない。久々の弟で名残惜しくてな」


 フィラントの方へ振り返ったユース王子が、爽やか笑顔でウインクを飛ばしてきた。いつも、なんとなく避けていたがフィラントは動かないでいた。


「あれこれ心配してくれてありがとう……」


 スルリと出てきた台詞にギョッとされた。


「いや、フィラント。当然だ。君は唯一の家族だからね。いや、可愛い妹も出来たか」


 ヒラヒラ、ヒラヒラ手を振りながらユース王子は去っていった。


 次に現れたら、なるべく疑問を飲み込まないで質問してみよう。そう、思った。

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