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伯爵夫婦、眠れぬ夜を過ごす 1

 今夜はなんと、フィラント様が留守です。夜勤で明日の朝まで不在。結婚生活で初めてのことです。寂しくて眠れないなんて、幼い頃以来。

 オイルランプを一つだけつけて、昨日画家に描いてもらった夫婦の似顔絵を眺めながら、布団の上でゴロゴロ、ゴロゴロしています。


「お怪我はしていませんか?」


 仏頂面の絵に問いかけても、返事なんてありません。それでも、心配からつい独り言。

 拳一つ分も距離の離れた位置で並ぶ、とても夫婦には見えない二人の似顔絵。

 サイドテーブルに載せてある、こっそり買った「フィラント・シュテルン副隊長シリーズ」の絵も順番に眺めます。

 剣を構える姿、馬で駆ける姿、犯罪者を逮捕したというような姿、領主側近の公務中の伯爵服での立ち姿、そして結婚式での礼装姿。合計5枚。画家ピーテルから、飛ぶように売れている、と聞きました。確かに、これは売れそう。私としては、誰にも売って欲しくないけれど、ピーテルやその家族の生活に関わるのでダメとは言えません。おまけに、理由が嫉妬なので、口が裂けても言ってはいけません。

 どの絵のフィラント様も、大変格好良くて、本人に似ています。そして、私があまり知らない、勇ましくて力強い姿。私の知るフィラント様とはまるで別人。それで一層寂しくなっていますが、フィラント様の絵は眺めていたいです。


「オペラ……楽しみにしていたようなのに……」


 あまり笑わないフィラント様が、オペラと口にする時は少し浮ついて見えました。

 昨日、宝石店を襲撃した強盗を颯爽と逮捕したフィラント様は、後処理に追われてオペラ鑑賞出来ませんでした。

 私は観てきました。フィラント様の代理はヴィクトリア。今月一杯、アストライア歌劇場で上映される、国立歌劇団の人気演目「夜明けの三賢者」は大変素晴らしかったです。建国と熱い友情の物語。他のオペラ演目とは違い、男性にとても人気があるのも頷ける内容。

 フィラント様の為にチケットを入手したくても、もう完売しているそうです。


「どうやってチケットを入手しましょう……」


 それも、フィラント様の休暇日の公演チケットが必要です。ヘンリ様かレグルス様に頼むつもりですが、見返りが思いつきません。

 手元にある私物とお小遣いで買えるものなんて、たかが知れています。


「チケット……オペラ……」


 社交場で親しくなったご夫人達の中に、オペラ愛好家はいましたっけ? いません。


「はあ……。私の役立たず……」


 自然とため息が漏れました。自虐的になるのは寂しいからでしょう。いつも二人で寝ている寝台に一人なので、かなり寂しい。この屋敷に呼ばれ、結婚する前までの期間、いつも一人でこの寝台を使っていたのに、その時のことはもう忘れてしまいました。

 新婚旅行から帰ってきてからというもの、フィラント様は私を抱き締めて寝てくれます。あの熱いくらいの温もりが、今夜は無い。絵のフィラント様を眺めながら、うだうだ、ゴロゴロ。


「はあ……お怪我をして無いでしょうか……」


 明日の朝、包帯を巻いていたらどうしましょう? 赴任してそんなに期間が経っていないのに、フィラント様はアストライア領地の治安を向上させています。市民からの信頼も日に日に厚くなっている。今の役職から、他の仕事に変わるなんて、無理そう。レグルス様にそれとなく伝えてはいますけど、無視されています。


「はあ……」


 私は体を起こしました。寝台から降ります。サイドテーブルの上のランプを掴み、クローゼット前まで移動。クローゼットの中にある、木箱に絵をしまいます。

 それから、ショールを肩に掛けて、ランプを持って部屋から出ました。行き先は門です。今夜の門番は、王都へ一緒に行ったライトさんと、年配騎士のマクベスさん。割と親しげに話してくれるお二人なので、フィラント様不在の寂しさが少しは紛れるでしょう。

 フィラント様は今回の夜勤で街中を巡回するらしいので、もしかしたら屋敷の前も通るかも。というか、通る筈。ずっといたら、きっと一目見られる筈です!


 手ぶらで門番の仕事を邪魔をするのもな、と私は台所へ寄りました。騎士二人への夜食はルミエルが渡しています。何か……何か……台所入り口の棚にある飴瓶にしました。

 ハッカ飴なら、目覚ましにもなるかも。他にも色々な味があります。ハッカ飴はフォンのお気に入り。他の甘い飴は私やサシャの分。というより、サシャの物。飴瓶はヴィクトリアが、フォンの苛々止めだと用意したもの。そこに、ヴィクトリアは、サシャが飴を与えるとより働いて勉強するからと、ハッカ飴以外も足しました。


 玄関へ移動して、鍵を外し、扉をそっと開きます。春はまだまだ先。なので、身震いするほど寒い風が吹き抜けました。フィラント様はこんな気温の中、一生懸命働いていらっしゃる。毎日のほほんと暮らしている事に、罪悪感が湧いてきます。

 屋敷から門までの道を歩きながら、空を見上げました。あいにくの曇り空で、星は一つも見えません。流星にフィラント様の無事や幸福を願いたいのに……。

 朝、帰宅したフィラント様をどう労いましょう? 男性が快眠したり、体力や気力を回復させるものはなんでしょうか?


「今晩は。お疲れ様です……」


 門まで来たので、ご挨拶。萎れ声しか出ませんでした。


「エトワール奥様?」

「エトワール夫人?」


 門の両脇に立つライトさんとマクベスさんが振り返りました。すかさず飴瓶を門の隙間から差し出します。


「今夜もありがとうございます。つまらないものですが、差し入れです。ハッカ飴か甘い飴。どちらが良いでしょうか? 涙型の包装紙はハッカ飴で、リボン型は果物味です」


 その時、ゴーン、ゴーンと真夜中を告げる鐘の音が響き渡りました。夕方からこの時間まで、一日の四分の一も経過したという事です。


「飲み物は足りていますか?」


 飴瓶に二人の手は伸びてきません。私の問いかけに返事も無し。二人とも私と向き合って、無表情です。これは困りました。


「お疲れですか? いえ、聞くまでもなく、疲れていますよね。あの、門番でしたら、屋敷の玄関ホールで警護でも良いですかね? その方が寒くないですし」


 またしても、返事がありません。飴も受け取ってもらえません。


「今なんておっしゃいました? 屋敷内警護……っ痛」


 ライトさんの手が飴瓶に伸びてきましたが、マクベスさんがバチンと手で叩きました。


「奥様、お気遣いは大変有り難いですが、既に色々と与えていただいておりまして、何もかも足りております。そもそも、準備してから出勤しておりますので、ご心配なく。屋敷内警護ではなく、門番ですので、その点もお気遣いなく」


 マクベスさんが深々と頭を下げました。痛い、というライトさんの呟き。彼は叩かれた手の甲をさすっています。


「サー・マクベス、すみませんでした」

「当たり前だ。調子に乗るな。副隊長に言いつけるぞ。奥様、若い騎士は阿呆なので、近寄らなくて結構です」

「阿呆とはなんですか! 隊長に告げ口なんて卑怯ですよ!」

「どさくさに紛れて、不埒な顔で奥様の手を握ろうとした奴が何を言う!」


 お前たち若者は弛んでいる。同じ年頃なのに副隊長は立派だ。何もかも見習え。というお説教が始まりました。ライトさんは不埒な顔なんてしていませんでしたし、手を握られそうでも無かったかと。

 とりあえず、 飴瓶を持つ手を門の隙間から引っ込めておきます。マクベスさんがフィラント様を褒め称えるので、聞いていたいです。


「おおっ。奥様、まだいらっしゃったのですね。醜態を晒しました。すみません。さあさあ、早くお屋敷へお戻り下さい。今夜はかなり冷えます」


 マクベスさんに敬礼されましたが、戻りたくありません。


「いえ。ショールで温かいです。あの、その、少々質問があって参りました」

「ご質問? なんでしょう?」

「あの、マクベスさん。夜勤後に何があると疲れが取れますか? その……夫に何か準備をしておきたいのです」


 心配と寂しさでちっとも眠れないから、色々お話ししたいです、とは恥ずかしくて言えません。私は両手で飴瓶を包み、視線を落としました。


「愛妻がいるこのような立派な屋敷に戻ってグッスリ寝たら、疲れなんてすぐに吹き飛ぶと思いますよ」


 優しく微笑んできたマクベスさんの一言に、気分が沈みました。()()。愛する妻。私は「愛してる」なんて言われていません。好きです、でさえない。

 でも……抱き締めて寝てくれますし、休日はお出掛けしましたし、ソファにも並んで座ってくれています。それに、二人で並ぶ絵を夜勤に持って行くと言ってくれていました。

 そう考えると、私ってもう「愛妻」間近かもしれません。何せ、夜勤の時も私の姿を見たいだなんて愛情です! マクベスさんが「愛妻」と口にしたってことは、フィラント様がマクベスさんにそういうような話をしたことがあるっていう事です!


 きゃああああ!


「奥様? 奥様? あのー……奥様?」

「……。……はい?」

「いやあ、あの、今何を考えていらっしゃいました?」


 ライトさんの問いかけに、私の体温は急上昇。心の中の悶えを、見抜かれるような態度をしていた気がします。


「その、愛妻だなんて……と……その……。あの、何か聞いています? 夫から私の事」


 こんなチャンス、滅多にありません。ここはあらゆる情報を入手しておくべきです。


 さあ、どうぞ。どうぞ教えて下さい。どうぞ、どうぞ、どうぞ!


「おい、近寄るなライト。奥様、風邪を引くと大変です。副隊長は殆ど雑談しません。ですから奥様の事も聞いたことはありません。しかし、奥様を褒められた時は、滅多に見ない笑顔。優しく微笑んで頷いていますよ」

「痛い。痛い、痛い! 痛いですサー・マクベス!」


 何故か耳を引っ張られたライトさんが叫びました。マクベスさんは親しみのある笑顔を私に向けてくれました。

 しかし、マクベスさんがライトさんを見る目は怒っているようなので、私は二人に会釈をして背を向けました。後輩指導の邪魔になります。だから、大人しく退散。

 しかし、良い話を聞きました。私が褒められるとフィラント様は喜んで下さる。確かに、妻の評判は良い方が良いに決まっています。そして、私は時折騎士達——フィラント様の部下——に褒めてもらえるような妻みたい。日々励んでいるから当然です。


 結局、フィラント様をどのように労えば良いのか分からないので、帰宅されたら足湯とマッサージをしようと思います。この間、お茶会の後にサシャがしてくれて、私は嬉しかったですから。

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