表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
77/141

伯爵夫婦、デートをする2

 エトワールと過ごす、二度目の休日。礼拝後に、南の砦門へ伸びる大通り、月渡り通りの市場へやってきた。

 今日、この区画の巡回を担当するのはビアー小隊長率いる第三小隊。そこで、部下のオーリンとマルクの二人を借りた。オーリンは何故か張り切り、マルクには「今度、飲みに連れて行ってくれますよね」と冷めた目をされた。こいつは本当に酒好き。若いのに大丈夫か? と心配になる。


 王都ではエトワールから離れて、ニコニコしている姿を眺められて幸福だった。

 今日は更に良い事に、エトワールが俺と腕を組んで、笑顔を振りまいている。実に機嫌が良さそう。相当、アストライア街の市場に来てみたかったようだ。

 今居るのは、食料品、特に野菜や果物を売る店が並ぶ場所。それにしても、この街はこんなに色に溢れていたか? 何度も巡回している筈なのに、まるで初めて来たような感覚に陥る。


「フィラント様、果物は大丈夫でしたよね?」

「ええ。王都から帰ってきてから、他の物よりも、味を感じる時が多いです」

「ダニエル、お菓子作りが得意だそうです。今朝、パイ生地を作ると言っていたので、アップルパイはどうでしょう? ダニエルに教えてもらいましょうか」


 黄緑に熟れた林檎を眺めた後、エトワールは俺を見上げた。

 日の明かりでキラキラ光って、少し灰色がかった虹彩の中に、青や緑に乱反射する瞳に、一瞬目を奪われる。いつ見ても、夜の星空を閉じ込めたような美しい瞳。ずっと眺めていたい。


「ああ……ええ……」

「製菓よりも料理が良いです? それなら、キッシュはどうでしょう?」

「キッシュとは何ですか?」

「王都の晩餐会の前菜で出てきた卵と野菜の料理です。パイ生地も使われます。覚え、あります?」


 問いかけられて、俺は首を横に振った。


「ユースや君の気遣いや対応に気が向いていて、殆ど。ああ、デザートは覚えています。柑橘系の香りや味がした、何とかというケーキ」


 甘さはよく分からなかったけれど、爽やかなレモンとオレンジのような香りと味がした。フワフワして、しっとりとした食感も良かった。


「シフォンケーキですか? それなら、それにしましょう。フィラント様は柑橘系がお好きなのですね。使っている香水も、そうですし」

「香水? ああ、フェンリスくれた物です。というより、飽きたからくれ……」


 ユースの考えが、パッと頭の中に展開されたので、思わず言い淀む。そうでも言わないと、俺が素直に受け取らないと思ったのかも知れない。


「フェンリスお兄様は少々天邪鬼で、照れ屋なのですね」

「照れ屋? まさか」


 エトワールは林檎の品定めをやめて、歩き始めた。


「そうですか? 飽きたから、なんて照れ隠しですよ、きっと」

「いえ、俺が素直に受け取らないと思ったのでしょう」

「フィラント様、遠慮しそうですものね。あら、あちらに美味しそうなオレンジが売っています」


 その時だった。エトワールが足を止めた。露店と露店の間に視線を向けている。そこには、木箱に座っている青年がいた。鮮やかな黄金色の癖っ毛に、深い緑色の瞳が印象的。

 エトワールと見つめ合っているので、何故だがみぞおち辺りがムカムカする。


「あの……エトワール……彼とは知りあ……」

「フィラント様、素敵な絵ですね!」


 飛び跳ねるような勢いで、エトワールは俺に顔を向けた。実ににこやかな笑顔である。今度は胸の中央辺りが締め付けられた。


「知り合い? どなたか、いらっしゃいました?」


 エトワールはゆっくりと呼吸をして、とてもしおらしい態度で周囲を眺めた。


「いえ、あの方をずっと見ていたので知人なのかな、と」

「画家の知り合いはいません。素敵な絵だなぁと。水彩画ですね」


 再度、エトワールは青年を見た。いや、良く良く見れば彼女の視線は青年の周りの絵画に向けられている。風景画が多い。挙式をしたサン=ガリル聖堂、鐘楼、ステラ湖など、街や近隣の景色だ。

 小さなサイズの人物画も並んでいる。上半身だけで、正面向きで、笑顔という構図ばかり。正直、絵の良さなんてサッパリ分からない。エトワールが好むものなら欲しい。屋敷中にエトワールが好きな絵を飾る。


「見て行きます? 気に入ったものがあれば買いましょう」

「即席で絵を描いて下さるようですね」


 ほぼ同時の発言だった。掌で示されて、青年の足元に木の立て看板があり「似顔絵描きます 20銅貨」と記されている。


「似顔絵。ああ……」


 そういうことか、と合点がいく。飾られている小さな人物画は似顔絵の見本だ。


「気になる絵がありました? それなら、見て行きましょう。私はあの似顔絵に興味があります」


 エトワールは俺と腕を組むのをやめて、小走りで画家に近寄った。青年はやはり一心不乱にエトワールを見つめている。

 彼女が少しかがみ、彼に話しかけると、青年は勢い良く立ち上がった。身振り手振りが大袈裟。周囲が煩いので、何を話しているのか不明。


「副隊長、良いんですか?」


 気配がして、掴んだらマルクの腕だった。


「軽く肘でつつこうとしただけで、恐ろしい殺気を放たないで下さい」

「すまない。つい、癖で」

「まあ、その前から怖かったですけど。副隊長って、顔には出ないけど、雰囲気で丸分かりですね」

「どういう意味だ?」

「そりゃあ、奥様は歩けば男という男が振り返る美人ですから気分が悪いですよね。凄い注目の的で大変なことで」

「はあ? 俺は運が良い事が続いて、妙な気分ではあったが、怒ってなどいない。注目の的? そうか?」


 マルクは目を丸め、その後に破顔した。


「その顔で言っても説得力皆無ですよ。まあ、副隊長って表情と感情がいまいち噛み合ってないですよね。思ったよりも、周りの視線にも気がついていないのですね。そういう話をしたいので、また飲みに行きません? ほら、副隊長のお屋敷に招いて下さるって話です」

「若いうちから酒ばかり飲むな。今日、この後エトワールと何か菓子を作ってみる予定なので、食べに来るか? 付けるのは紅茶かコーヒーだけどな」


 えっ? と口にすると、マルクはしげしげと俺を眺めた。


「お菓子を作る? 副隊長が?」

「まあ、例の趣味探しだ」

「夫婦共通の、ですよね。副隊長」


 ずっと静観していたオーリンに、揶揄いっぽい声を掛けられた。何で王都旅行へ帯同していないオーリンまで、その話を知っている。


「妻が噂を聞いてくるんですよ。俺も料理をしてみろって、脅されました。でも、副隊長のところとうちでは方向性が全然違います。俺の場合は家事手伝い。副隊長のところは単にベタベタいちゃいちゃ……」


 無表情気味のオーリンの目が据わった。


「何ですか、あの可愛い奥様は。どうやって口説いたんですか! もごっ……」

「その話は前にしたから黙っていて下さい。媚を売っておくと、奥様の手作りお菓子が待っていますよ。はい、どうぞって妖精の笑顔付きです」


 マルクが両手でオーリンの口を塞いだ。イラッとしたので、オーリン、マルクの踵を軽く蹴っておいた。


「護衛なのだから、ベラベラ雑談するな」

「ちゃんと奥様を取り囲んでますし、周囲にも目を光らせています。副隊長なら、そのくらい分かっていますよね?」


 その通りである。小生意気なマルクには口で勝てる気がしない。俺は唇を結んで、拒絶の意思を提示することにした。会話に参加するから揶揄われるんだ。


「フィラント様」


 急にエトワールが振り返った。呼ばれたようなので、近寄る。画家の青年と目が合うと、苦笑いされた。


「小さな絵でも描いてくれるそうです」


 そう言うと、エトワールは俺の腕に手を添え、背伸びをした。みるみる顔が近づいてくる。何だろう? エトワールの小さな手が俺の耳を囲った。


「明日から夜勤で寂しいので、フィラント様を描いてもらおうと思います」

「へっ?」

「良いですか?」


 質問後、エトワールは背伸びを止めて俺から半歩離れた。両手を胸の前で握りしめて、斜め下、石畳みを眺めている。困惑の眼差しを、どう考察して良いのか分からない。俺が不在だと寂しい?

 本心なのか分からないけれど、俺もエトワールの似顔絵を頼み、上着の内ポケットに入れておいたらいつでもエトワールを見ることが出来る。

 そうだ、戦場にはそういう事をしている者がいた。離れ難い、そして絵として持ってくる程会いたい相手。そのような者は今までいなかった。今なら、彼らの気持ちが分かる。


「ええ。それでしたら、並べて描いてもらって半分にして、それぞれ持ちますか?」

「並んでだなんて嬉し……半分⁈ 半分なんて嫌です!」


 予想外の時に飛び出した「嫌です」に肝が潰れた。エトワールは不機嫌そうなふくれっ面。実に可愛くない。しかし、ホッとする。彼女は俺が怖くないのだと伝わってくるから。


「せっかく夫婦並んで素敵な絵になれるのに、半分に裂かれるなんて縁起が悪いです」

「ああ、そういう事ですか。あの、その、エトワール側を持って夜勤に行けば、少しは疲れもマシになるかもと……浅はかな考えで。すみません」


 エトワールは急に赤くなって、微笑み始めた。今度は可愛い。大変愛くるしい。何か言われるかと思ったら、エトワールは俺に背を向けて、また画家の青年と話し始めた。実に楽しげ。

 そして、青年が背後から出した小さな木の椅子にちょこん、と腰掛けた。彼女の隣に、椅子がもう一脚出される。画家とエトワールが何やら楽しそうに笑い合う。まただ。ムカムカする。今朝のパンの消化不良か?


「副隊長、伯爵ならあの画家を屋敷に呼び付ければ良いのではないですか?」


 マルクに指摘され、気がつく。確かに、エトワールを屋敷のソファに座らせたい。エトワールはバッグから白いハンカチを出して、俺用に出された椅子の上に広げた。彼女が振り返り、微笑で俺を見つめ、目で椅子を示す。

 彼を屋敷に呼びましょう、とは言い辛い期待の眼差し。早く、と急かされている気がする。俺の足は自然に動き、エトワールの隣の椅子へと向かった。腰掛けて、財布を取り出す。


「よろしくお願いします」

「はい。ご依頼、ありがとうございます」


 画家は実に爽やかな笑顔の好青年である。俺は財布から銅貨を出そうとした。エトワールの手が、俺の腕にそっと触れる。ん? と彼女を見ると、柔らかく微笑まれた。


「もうお支払いしました」

「え?」

「よろしくお願いします、ピーテルさん」

「ええ、かしこまりました」


 この画家はピーテルというのか。またエトワールと見つめ合っている。イライラするので、この場から早く離れたい。いや、エトワールをこのピーテルとかいう男から離したい。

 嫉妬……だろう。こういう嫌な気持ちには、多分そういう名称がつく。エトワールは俺に知らない感情を色々とくれる。

 ピーテルは板を出して、腕を動かし始めた。


「休日に夫婦で買い出しとは、仲睦まじいのですね」

「いえ、まあ、そんなこと……あります」


 手元を見ているピーテルに対して、エトワールは破壊的な愛らしさの笑顔を振りまいた。目の前の画家と座る位置を変わりたい。


 ん……? そんなこと……あります?


 エトワールは先週の休日の話を始めた。夫婦でサンドイッチを作ったという話。俺の包丁捌きが素晴らしい、手際が良いとか、そういう事。

 ニコニコ笑いながら自分を褒める妻。俺は夢を見続けているのだろうか?


「ね、フィラント様」


 ボンヤリエトワールを眺めていたら、彼女に名前を呼ばれた。


「ん? あー、すみません。ボンヤリしていまして」

「噂と随分と違いますね」

「噂?」


 ピーテルに問いかけられた時、エトワールが首を傾げた。


「こんなに穏やかな方だとは思いませんでした。エトワール夫人も想像よりも気さくで驚きました」


 俺もエトワールも、素性がバレているらしい。


「噂というのは、誰かの都合良く捻じ曲がるものです。フィラント様は優しくて、気遣い屋で、物静かな方です。そういう絵なら売っても良いです」


 売っても良い? 何の事かと思って見渡すと、騎士を描いた絵も置いてあった。剣や槍を構える立ち姿の絵が並び、よくよく見れば、フィラントとかゼロースという札も付けてある。

 優しくて、気遣い屋で、物静か。エトワールにそういう評価を付けられているのか。ホッと胸を撫で下ろす。このまま彼女が俺にずっと好意的なら、国一番の贅沢者にして幸せ者だ。


「あれを見逃す代わりに、無料にしてもらいました。今度、肖像画も描いてくれるそうです」


 エトワールに耳打ちされて驚く。そんな交渉をしていたのか。


「節約と商売です」


 楽しそうに肩を揺らすと、エトワールはまた前を向いた。微笑む横顔につい見惚れる。


 そうして描いてもらった絵は2枚。ほぼ無表情の俺と、可愛らしく笑うエトワールが、拳一つ分の距離を開けている、腰より少し上から顔までを描いた絵。

 エトワールは受け取った絵を黙ってジッと見つめた。あまり嬉しくなさそう。ピーテルの顔が青ざめていく。


「奥様、お気に召しませんでした?」

「いえ……」


 エトワールは小さな溜息を吐くと、俺に困り笑いを向けた。


「とても素敵な絵ですね」

「気に入らないのなら、書き直してもらいましょう。すみません、もう一枚お願い出来ます?」


 上着の内ポケットから財布を出す。


「申し訳ございませんでした。奥様、どのあたりが不服でしたか?」

「いえ、不服だなんてとんでもありません! とても似ていますし、色彩も綺麗で大変好みです。ただ……」


 エトワールは俯いてから、俺をチラリと見上げた。それから、急に立ち上がった。


「今日はシフォンケーキを作らないとなりません。ピーテルさん、肖像画の日程を決めましょう。フィラント様、少々お待ち下さいませ」


 エトワールに手を取られ、立たされる。2枚の絵のうちの1枚を手渡される。俺達に背を向けて護衛を務めているオーリンとマルクの方へ背中を押された。

 エトワールとピーテルが実に親しそうに話し始める。声が小さくて聞き取れない。出会って一日のピーテルにも負ける親密度の夫、か。俺は自分の首に手を当てて、手元の絵に視線を落とした。

 

「この絵、見事な腕前ですね」


 マルクが絵を覗き込んできた。オーリンも続く。


「ああ。ただ、エトワールはあまり気に入らなかったようだ」

「気に入らない?」

「そうですか? 副隊長。あの奥様を見たら……」

「強盗だ!」

「きゃああああ!」


 甲高い絶叫が耳を劈く。


「強盗? オーリン、マルク、エトワールを近くの派出所へ! おい、そこの! お前もだ!」


 駆け出し始めていた騎士に向かって叫ぶ。走りながら抜剣し、目の前を翻る外套(マント)を掴んだ。引っ張ってこちらに向けたらダンだった。小隊長とは都合が良い。


「副隊長⁈」

「俺が指揮をとる。妻を頼んだ。オーリン! マルク! ダンに従え!」


 こうして、折角の休日は強盗逮捕と後処理で終わってしまった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ