伯爵、新しい日々に戸惑う 3
エトワールと結婚して約1ヶ月。色々慣れない中、フィラントの屋敷に側近ロクサスと弟妹が引っ越してきた。ロクサスの屋敷には従者も両親もいない、そう聞き出したのはエトワールと侍女サシャである。
部屋は余っている。エトワールは子供好き。預かっている貴族侍女アンナは教育係の練習を出来る。ロクサスの弟スヴェンはもう12歳なので小間使いや伝令役にもなる。得ばかりだとエトワールが執事と共に推し進めていた。
フィラントとロクサスは押しに弱いという、共通点を見つけた。
ロクサス兄弟が越してきて、初めての休日。そして、やっと山になっていた仕事が片付いて、ようやくのんびり出来そうな休み。
エトワールと朝食後に従者達が食事をする。その間、談話室でエトワールと2人きり。ソファに並び、フィラントはコーヒー、エトワールは紅茶を飲んでいる。
「フィラント様。昼前に鶏が届きます。この間、鶏小屋が完成したと話したでしょう?」
そうだったか? 記憶が曖昧。そもそも何故鶏小屋を作り鶏を飼いたかったのかも知らない。
「仕事で頭がいっぱいでうろ覚えなのですが、何故鶏なんでしたっけ?」
貴族夫人の中で流行っているのは確か猫、もしくはハムスターとかいう生物。そう、王都の何処かで耳にした。ハムスターが何なのかは知らない。聞きそびれた。
「卵を毎日食べれますし、残りは売れます。鶏も増やして定期的に売ります。貧しい貴族は割としています。敷地と元手がないと出来ません」
てっきり鶏好きかと思ったら、現実的な話だった。自信満々というかやる気に満ちているエトワール。今、貧しい貴族とは正反対なのに……今後何があるか分からない話をしたからか。
「王都でフィラント様に頂いたお小遣いの有効活用です。ハーブと野菜も売ります。ハーブは茶葉にして伯爵騎士の名前をつけて行商に売ろうと話しています。乗り気な商人が何人かいるのです」
何だって⁈ フィラントはコーヒーを噴き出しそうになった。王都からアストライアなら戻ってきて約2週間。いや、その前から考えていたのか? いつ、どうやって行商と接触した。
エトワールから金銭を要求されないと思っていたが、自分で稼ぐつもりなのか。
「エトワール、君は商人になるのか?」
「なるべく貧しい商人を相手にしますよフィラント様。サー・ロクサスに対するみたいに、恩を着せて味方を増やしておくのです」
またコーヒーを噴き出しそうになった。
淑やかそうに見えるのに、エトワールの中身は強か。フィラントと結婚して割と言いたい放題なのもそう。大変気楽で面白いが、フィラントはどんどんエトワールという娘の中身が分からなくなっていく。
孤児院や教会への慈善事業は、一般的な貴族夫人よりも熱心。それも恩着せなのか? そうは見えない。野戦病院で実際に世話をされたフィラントに、恩を返せと言ってきたことなんてない。
「持ちつ持たれつはお父様の真似ですからきっと上手く出来ます。ただ、お父様はやり過ぎだったので反面教師にもします。その辺り、フォンやルミエルが教えてくれます。いざという時の為に私財を減らさないようにしないと」
持ちつ持たれつ、そういう考えなのか。いや、やはりなんだかよく分からない。
それにしてもフィラントが今後の事をまだ何も考えていないのにエトワールは素早い。
流され続けてきたフィラントとは大きく違う。
「逃亡先確保のために色々しないといけません。フィラント様は激務なので、私が頑張ります」
グッと胸の前で拳を握った姿は、まったくもって伯爵夫人には見えない。
逃亡先確保……。そうだった。日々の仕事に追われている場合ではない。エトワールとの天国みたいな生活に浸っていてはいけない。
何があってもついてくるという様子のエトワールにかなり胸がいっぱいになった。そうだ、そのエトワールの安全確保をしっかりしないとならない。その相談相手は誰だ? レグルスは領主の仕事に没頭中。仕事以外の話にならない。
ユース王子が現れるまで待つべきか、仕事の調整をして王都視察に行くべきか。誰なら信用して良いのか……。
「エトワール様! またその仕草! 禁止してあるはずですよ」
淡々とした小さめの怒声はヴィクトリアだった。朝食が済んだらしい。
「は、は、はいヴィクトリア!」
立ち上がったエトワールがとても優雅な会釈をした。
「返事は1度。明後日のお茶会で恥をかかないように身を引き締めて下さい」
「はい。ヴィクトリア」
「日頃の癖は社交場でも出ます。では、本日私は夫と共に暇を頂いているので失礼します。フィラント様、ようやく仕事が落ち着いたそうで、良い休日を」
見事な一礼をするとヴィクトリアは颯爽と談話室を去っていった。斜め後方にフォンがいて、同じように礼をしてヴィクトリアの後ろに続く。
いたのか、フォン。ヴィクトリアに存在感を消されていた。
「まあ、フィラント様。本日は休めるのですか?」
いつの間にかエトワールがフィラントを見ていた。くすぐったいくらいの期待の眼差し。と、思ったらエトワールは急にしょんぼりとした。
「鶏、明日にすれば良かったです。それにオリビアとスヴェン、サシャと共に街の市場に行く約束をしてしまいました……。サー・マルクが護衛で付き合ってくれるのです。鶏の世話、手伝うと言ってくれたご褒美探しです……。フィラント様、目的なくぶらぶら買い物は嫌いですもんね……。それに……」
フィラントのことでエトワールが一喜一憂するというのは、喜ばしくてならない。恋の第2歩とはとんでもない。エトワールはもうフィラントの恋人みたいだ。恋人なんていたことないが、街で見かけたことや話を聞きかじったことくらいはある。今の状態はそれと良く似ている。
問題は会話の正解が分からないこと。ここでなんて言ったらエトワールは笑うのだろうか?
それに? それにの続きは何だ?
「マルクが護衛? エトワールは彼と親しいのですね……。別に買い物は嫌いでは……」
小さい声しか出なかった。マルクとエトワールは同い年ではなかったか? それで仲良くなった? いつ? どうしてか分からないがかなり苛々する。
「エ、ト、ワールちゃん!」
エトワールが顔をしかめた時、談話室にユース王子の陽気な声が飛び込んできた。
ユース王子⁈
王都から戻ってきて2週間で、もう来た⁈
料理人フェンリス風の格好のユース王子が軽やかな足取りで近寄ってきた。おまけにエトワールの前に片膝をついて、サッと手を取って、手の甲にキス。
「ちょっと東に用事があるから、寄ってみちゃった。うわあ、こんなに怯えなくて良くない? 兄に震えるなんて不敬罪だぞ!」
即座に謝罪した青白い顔のエトワールに、ユース王子はウインクをした。
「うん。やっぱり可愛いねえ。フィラント、ちょうだい」
は?
今、この人は何て言った?
「ぶわっはははは! 面白い顔! 要らない。絶対要らないから大丈夫。前にも言ったのに、その顔! 好みじゃないのと君の妻だ。さて、フィラント。妻とは毎日会えるが君と私はたまにしか会えない。飲みに……」
勢いよく立ち上がったエトワールが、なんとユース王子の腕を掴んで耳に顔を寄せた。エトワールの行動に不審点がないのか確かめるようなユース王子に、フィラントはヒヤヒヤした。
「へえ……。そうなの。ふーん。時間が無いからその鶏の引き取りとかフィラントにやらせよう。あと、部下も呼んであげる。そっか、そっか。エトワールちゃん。行こう」
ユース王子は上機嫌でエトワールを攫っていった。数度しか会っていない2人なのに、親密度が増している。妙にムカムカする。朝食の量が多かったのかもしれない。
せっかくの休み、エトワールと過ごす初めての休日。浮かれていたせいか落ち込んだ。
——休みの日はなるべく夫婦で過ごす。まずは料理、ピクニック、散策、チェスを共通の趣味に出来るか検討する。
その話はどこに消えた。
しかし、ふと我に返る。
——フィラントが彼女を大事にしていれば、談笑くらい普通に出来るかもしれない。そうなったら、幸せ過ぎる。
そうだった。それで、今さっきまでエトワールと談笑していた。確かに幸せな時間だった。俺は随分と欲張りになっている。




