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子爵令嬢、やる気を出す

 髪を隠す帽子を忘れ、次は腹の虫を鳴らす。淑女として足りないのが、どんどん露呈しています。なんてこと……。


 チラリとフィラント様を確認すると、気遣いなのか無視してくれています。


「食べなさい」


 私の目の前にあるお皿を、フィラント様がそっと指で私へと近づけてくれました。


「あの……。粗忽者で申し訳ございません」


「粗忽者? 腹の虫など誰にも止められん」


 先程は怒っていたようなのに、今のフィラント様はそうではありません。私を見て、少し微笑んで、顔を前に戻しました。


 笑った。


 ずっと渋い顔とか、驚いた表情に怒り顔だったのに、ここで笑顔。それに気遣いの言葉。


 どうしましょう。心臓がバクバクいって、とてもアップルパイを食べられそうもありません。恋愛小説に「胸が一杯で食べられない」とありますが、このことです。


「ああ、林檎は好かんのか……」


 私への問いかけというより、独り言のような呟きでした。


「いえ、好きです」


 フィラント様も好きです、と付け足しそうになりました。これが、噂に聞く恋の魔力というものみたい。いきなりは良くない気がします。親しくなれたと思ったら伝えましょう。


 フィラント様がゆっくりと私を見ました。不機嫌そうなので、私は怯みました。悪い印象ばかり与えているからかもしれません。会ってすぐに嫌われるとは、今までは殆どありませんでした。これは、どうしましょう……。


「あの……しばらく、とは思っていません。その……」


 ぐううううう。


 私のお腹、最低。


 目を大きく見開いた後、フィラント様は私に背中を向けました。小刻みに震えているので、これは多分笑われています。いえ、フィラント様は絶対に笑っています。追撃、というように私のお腹がまた鳴りました。


 もう嫌だ、と私は慌ててフォークを手にしてアップルパイを口に運びました。見られていないうちに、と少し多めの量を口に運びます。


 必死にアップルパイを口にしながら、私は「しばらく、とは思っていない」の意味を考えました。


 もしかしたら、ごく普通の政略結婚かもしれません。偽装結婚とか、しばらくしたら追い返されるとか、そういうのは違いますよ。そういう意味だと感じました。


——私に可能な限り、貴女様の望む暮らしを提供致します


 無理矢理子爵位——驚いたことに伯爵になるみたい——を手に入れる代わりに、そういう事を考えてくれるなんて、誠意ある方。出会って半日も経たないのに、良いところがポンポン出てきてどんどん好きになっているような気がします。


 離縁されないように励めば良いだけとは朗報。8年間、子爵令嬢として育ててもらい、自分なりに頑張ってきたので全力を尽くすだけです。


「あの、このように不束な娘ですが励みますのでよろしくお願い致します」


 精一杯のアピール。こっちを見ていないけれど、笑顔を作ります。というより、自然と笑みがこぼれます。


 体を起こし、アップルパイを見たフィラント様。アップルパイは口にせず、紅茶を飲みました。甘い物は好まないのかもしれません。今後、食事の指示などに必要なので好きな物を把握しないとなりません。林檎か甘い物は好まないのかもしれない、と心に刻みます。


「こちらこそお願いします」


 手で口元を覆い、眉根を寄せて嫌そう。でも、お願いしますとはどういうことでしょう? 途端に不安になりました。私の欠点は楽観的なこと。


 私をお嫌いですか? そんなこと直接聞けません。中身は努力で変えられる自信がありますが、見た目ならどうしましょう。それは変えられません。化粧で誤魔化せれば良いけれど、目鼻立ちが割とはっきりしているので難しそう。


 また不穏な空気に逆戻り……。


 そんな中、レグルス様が戻ってきました。紹介されたレグルス様の奥様はフローラ様。大変色っぽい美女です。ここまで美しい女性には初めて会いました。艶々のダークブロンドの髪に明るい緑色の瞳が神秘的。


 お互いの挨拶が終わると、フローラ様は私を抱き締めて「なんて可愛い。行きましょう。レグルス様には目の毒だもの」と口にしました。それから背中を押され、応接室から出されました。


「フローラと呼んで。伯爵夫人同士仲良くしましょうねエトワール」


 愛嬌たっぷりのウインクに、女同士なのに見惚れてしまいました。


 談話室に案内され、ソファで楽しくお喋り。フローラは3つ年上で、私と同じ歳にレグルス様と結婚。1月前まで王都で暮らしていたそうです。エトワール伯爵夫人を——まだ結婚前で夫人ではないですが——新生活仲間だと、胸を躍らせて待っていたと言ってくれました。


 フローラ様は「様」とつけると、プクッと頬を膨らませて怒ります。その顔でも、とてつもなく可愛いです。


 お父様、お母様、不安もありますがエトワールは前途洋々のようです。これは、もう帰れと言われないように励まないとなりません。

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