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伯爵夫婦、新婚旅行をする 7

 海辺の街で恋の第1歩が2歩目になったと言われた。思い当たる原因無し。今までの不幸分、幸せが押し寄せてきているのか? この次、谷底はどれだけ深い。恐ろしくてならない。


 朝からエトワールがフィラントに抱きついてくるという、奇跡中の奇跡に浸っていた。花のような匂い、柔らかい体、触れ合う頬の至極な感触。


 谷が来る前に堪能せねばと、意を決してエトワールにキスをしようとした時に邪魔が入った。ノック音である。


「フィー旦那様! 雨なので玄関ホールで音楽を流してくれるそうです。宿の主人から特別な配慮だそうです」


 扉向こうから聞こえてきた、部下ライトの声に思わず舌打ちしたかった。あいつらが飲ませたから、二日酔いである。それで昨夜エトワールを抱きそびれた。貴重な1回が減って落ち込んでいる。


「まあ、音楽? この宿には蓄音機があるのですね」


 フィラントの腕の中からエトワールが抜け出した。実に無防備に扉を開けようとしている。フィラントは慌ててエトワールを追いかけた。何もないだろうが、心配である。


 フィラントはエトワールと扉の間に腕を伸ばして、扉を開けた。やはりライトだった。他の3人は……いる。何故男4人でつるんで、おまけにフィラントとエトワールにまとわりつく! いや、エトワールにまとわりついているのか。


 エトワールを見たいし、喋りたい。そんなところなのは昨日分かった。あと、フィラントを煽てて女を斡旋しろという圧力も感じている。


「ライト、良い知らせをありがとう」


「奥様、是非私達と踊りま……せんね……。旦那様と踊りますね」


 不機嫌が表情に出ていたのだろう。ライトがフィラントを見て怯んだ。後ろに並ぶジェラールとビアーは澄まし顔でフィラントから目を背けた。マルクはビアーの背中に隠れている。


「フィラント様は踊りが苦手なので、音楽を聴きながら読書をしましょう。それかチェスはどうです? 私は弱過ぎるので指南して欲しいです」


 フィラントの腕に軽く抱きついてきたエトワール。ニコニコととても機嫌良さそう。エトワールは音楽が好きなのか。アストライアに帰ったら蓄音機を買おう。


「踊りは別に苦手ではないですが……しかし、そうですね。チェスをしますか。以前、教えると約束しましたから」


 エトワールと踊るのは最高である。しかし、踊りましょうなんて言ったら、部下4人が便乗してくる。却下。絶対に触らせるか。


「チェスでしたら皆でどうでしょう?」


 まだ食い下がるのかライトの奴は。そう思ったら、ビアーとジェラールがライトの腕を抑えた。両端からガッシリと捕まえられたライト。


「ライト先輩行きましょう」


「行くぞライト。耐えられん。奥様は俺達なんて眼中にない」


「そうだライト。蹴られて死ぬぞ」


 ズルズル引きずられていったライト。エトワールはポカンとしている。


「耐える? 蹴られる? 夫婦対皆様でチェスの対戦と思ったのですけれど……」


 エトワールが首を傾げた。


「業務の一環で旅行ではないから、鍛錬などをしなさいと言ってあります。昨日、休暇だったのにサボるなと睨んだので伝わったのでしょう」


 宿には守衛がいるので、彼等はフィラント達が出掛ける際の護衛。他は自由時間。但し、自己鍛錬に勤しむようにと命じてある。


「そうなのですか。皆様、護衛という名の業務ですものね。執事のように、宿の主人が蓄音機の手配をしてくれたことを教えてくれるとは殊勝なことです」


 それは、随分とトンチンカンな誤解である。あの4人には下心しか無さそうだった。エトワールは割と何にでも好意的だから、フィラントのことも受け入れてくれたのかもしれない。


 玄関ホールへ向かおうとしたら、執事フォンが廊下の角を曲がってきた。


「旦那様、奥様、おはようございます。この天気ですがどちらかへお出掛けされますか? そう、声を掛けにいこうと思っていました」


 整えられた口髭を触りながら、穏やかに微笑むフォン。


「おはようございます。いえ、つい先程部下から聞いたのだが、宿の主人が玄関ホールに音楽を流してくれるそうで。読書やチェスでもしようかと」


「ああ、私が知らせようと思ったのはその件です。ホール奥の応接室を貸してくれるそうで、朝食もそこに用意しますと。あと、昼過ぎに市長が挨拶に来ると。昨日の礼だそうです」


 礼? 何かあったか? 何にも記憶にない。


「フィラント様、到着早々に海賊討伐をしたと聞きました」


 そういえばそんなこともあった。フォンと2人で先に街に入り、治安や宿の手配をしていたら海賊に襲われた。ジェラールとマルクと共に返り討ちにした。貴族だと思って——まあ貴族ではあるが——襲撃か人質にしようとしてきた海賊を殴り飛ばした。


 エトワールの安全の為に、取り敢えず全員ぶっ飛ばそうと暴れた。それで、途中でこの街の騎士が現れたのでフィラントは引っ込んだ。


 礼など困る。単に報復とエトワールの為で、厄介事に巻き込まれたくない。頼まれ事などされたら最悪。


「それからツェペリ子爵家のミケ様がアンナを追いかけてきたのですが、どうします? アンナ本人は出掛ける事に乗り気のようなので、私とヴィクトリアと4人で美術館に行こうと思っています」


 この、どうします? は建前であろう。フィラントは首を縦に振った。


「ミケ様、あちこちの女性と距離が近かったのであくまで練習が良いと思います。アンナにもそれとなく、ミケ様の事を話しました」


「同感です奥様。ヴィクトリアもそのつもりで紹介しました。しかしアンナはヴィクトリアのような教育係を目指しているようで、ミケ様を上手く使いたいみたいです」


「まあ、アンナは野心家だったのね……いえ、そうだわ。そんな話をしていたわ。女性はもっと自立するべきだとか……。行ってらっしゃいフォン。ヴィクトリアにもよろしく。預かっている大事なご令嬢です。ヴィクトリアと共に人生の先輩として、アンナを上手く導いて欲しいです」


 肩を竦めたフォンに、期待の眼差しを向けたエトワール。フィラントは自己反省した。自分で一杯一杯なのと、エトワールに夢中で、預かっている貴族侍女の未来を何にも考えていなかった。


「許可をいただいたので我々は出掛けてきます。朝食の用意が出来るのが半刻後。店主が迎えに来るそうです。夫婦水入らず、ごゆっくりどうぞ。しかし、もう少し身なりを整えてからにして下さい」


 会釈して退がる際に、フォンはフィラントに含みのある目線と笑みを送ってきた。アンナへの無関心、エトワールと2人きりになりたい気持ち、全部見抜かれていそう。


 蓄音機に部屋、それに朝食の件は宿の主人の気配りではなくフォンの手配かもしれない。そのうち給料を上げろと言われるのだろう。要求される前に上げよう。


 勝手に用意された監視役の執事だが、彼は大変優秀。フィラントの過去も何もかも知っているので気も楽。そんな執事はまずいない。


「そうですフィラント様。お互いに部屋着です。このままでは恥をかきますね」


 エトワールに腕を引っ張られて室内へと戻った。扉を閉めて鍵をかけた時に、エトワールに抱きつかれた。無言のエトワール。


 今朝のエトワールはやたらとフィラントに抱きついてくる。なんでこんな幸運かつ至福な事が何回も起こる。


 エトワールを腕の中に閉じ込め、我慢出来ずにキスをした。エトワールは逃げないし、反応がいちいち可愛い。これって、まるで、世に言う恋人みたいな状況なのではないか? フィラントの人生の絶頂期は、今なのかもしれない。


 何度かキスをして、お互いに服を着替えた。


 その後、玄関ホールにある特別室で朝食を摂った。フォンの采配なのか、パンとスープにサラダというとても質素な内容。


 宿の主人が蓄音機で流してくれた音楽は「きらめき星」という曲。エトワールが大変気に入った様子だったので、やはり蓄音機は絶対に買う。今度オーケストラの演奏会に行こうとも決意した。


 音楽を聴きながらエトワールにチェスの指南をして、その後宿屋の主人が貸してくれたトランプなるゲームもした。


 エトワールはずっと機嫌良く、可愛らしい笑顔をフィラントに向けてくれていた。

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