伯爵夫人、お姫様に捕まる
大鷲ホールの隅にある、談話室のような部屋。大きなソファに座るレティア姫様は、豪華な装飾品よりも輝いています。
ソファにしなだれかかるレティア姫様は大聖堂の絵画になれそうです。私の頭のてっぺんからつま先まで確認するような目付き。とりあえず、もう一度会釈をしましょう。ヴィクトリアお墨付きの会釈には自信があります。効果無しみたいです。私、話してもいないのにかなり嫌われていそう。
「お座りなさい」
閉じた扇で、レティア姫様の左斜めの位置にある1人掛けソファに促されました。
ジーッと私を眺めるレティア姫様。か、会話。何か気の利いた会話を……。話題探しでグルグル考えていたら、侍女らしき女性達が入室してきました。誰もが無言です。レティア姫様は私をジロジロ睨むような目です。
レティア姫様の前にあるテーブルにワイングラスとワインボトル、それに生ハムとピクルスが置かれました。あと、見たことのない丸くて彩り豊かなもの。桃色、黄色、黄緑色に茶色。なんでしょう? クリームのようなものが挟まっているのでお菓子?
ワイングラスは2つです。
ワインボトルのコルクは開けてくれましたが、ワインを注がずに去っていってしまった侍女達。
「お注ぎ致します」
「ええ。エトワール夫人もどうぞ」
無表情で冷たい目に萎縮してしまいそうです。背筋を伸ばし、つりそうな頬を動かして笑顔を作ります。笑うというのは大切なことです。
「ありがとうございます」
震える手で、ワインをワイングラスへと注ぎました。
「それで、是非教えて欲しいのです。星の数いる令嬢の中から、どうやってフィラントに取り入ったのです? 百夜、毎日通ったら結婚してあげますとは随分と上から目線。相手は次期宰相補佐官。器量好しとは得ですねえ。あの氷騎士をよくも拐かしたわね」
今、何て言いました⁈ 百夜、通ったら結婚してあげます? 次期宰相補佐官⁈ 拐かした?
「エトワール夫人?」
「へ? あ、あの、上の空とは……大変、大変失礼致しました」
——王宮では嘘がすぐ本当になる
フィラント様の言っていたことはこういうことですか?
「あま、あま、あまりにも心当たりのない事に驚いて思考が止まってしまいまして、申し訳ありませんでした」
お待ちください。国王陛下に命じられてフィラント様の妻になりました。そう言って良いのでしょうか? 王勅命なのに、レティア姫様は知らないなんてことあるのでしょうか?
一先ず、世間一般用の夫婦の馴れ初め話をしましょう。
「あの、その、私と夫は戦地の病院で知り合いました。アストライア領地の主要都市にて再会しまして、以後フィラント様に色々とお世話になりました……。次期宰相補佐官とは……そのような話は初めて聞きました。星の数いる令嬢?」
貧乏子爵令嬢はお金、成り上がりたい騎士は家柄。気が合ったのは建前で、双方の意見が一致して直ぐに結婚。一応恋愛結婚ですよと取り繕いつつも、よくある政略結婚だと判断される話です。
王勅命とか、政治関係で難しそうな、私が知らない世界の話は、憶測をするのも禁止。首を突っ込むとロクな事にならない。それがお父様の判断で私も同意。誠実で優しいフィラント様なら、私と家族の盾になってくれると信じるだけです。
アストライアの市民の方々は、レグルス様の望み通り恋愛結婚だと信じてくれたらしいです。
「そうよ。英雄への褒賞にアストライア領主補佐官の地位。アストライア領主レグルスは、次期宰相候補。なのでフィラントは次期宰相補佐官候補。家柄が欲しいだろうフィラントへの縁談は数多。それなのに、ポッと出てきた貴女と結婚」
にら、睨まれています。こ、怖いです。美人が台無し。しかし、レティア姫様は何故怒っているのでしょう。フィラント様への縁談が沢山あったなんて聞いたことのない話です。
「それ、それは、それは申し訳ありませんでした。ひと、一目惚れでございます……」
レティア姫様の眉間に皺が出来ました。私、余計なことを言いました。
「見た目で惚れたの? 馴れ初めを話しなさい」
王族に命令されたら、従うしかありません。話しても問題ない気がします。嘘は下手なので、馴れ初めではなく片思いの始まりを話しましょう。
「お、夫は粗相をした従者に寛大でした。帽子を忘れるという淑女にあるまじき失態に目を瞑るどころかサッと帽子を買ってくださいまして……。転びそうになったのですが颯爽と助けてもらいました……」
「まあ。まあ! そうなのよ。フィラントはそういう人です。それで、逆はどうしてなの?」
一瞬、機嫌良さそうだったレティア姫様。すぐに不審者を見るような目になりました。ワインを飲めと促されて、飲みました。初めてのお酒。これは……ジュースの方が美味しいです。喉が熱い。でも、大好きな葡萄から出来ているからか、苦手ではないです。
「逆? それは、私が知りたいですレティア姫様」
「歯切れが悪いですね」
飲み干したワインをまた勧められ、目の前の食べ物も食べなさいと掌で示されました。気になっていた、丸くて桃色のものを摘んで口に運びます。
柔らかくて、サクッとしたと思ったらねっちょり。中身はやはりクリーム。甘くて美味しいです!
「まあ、やはりお菓子でしたの……。レティア姫様、こちらのお菓子は何という名前です? 素晴らしい美味しさです」
「田舎者はマカロンも知らないのね」
「そうですレティア姫様。田舎者ですのでマカロンを知りませんでした。教えてくださってありがとうございます」
優しいことにレティア姫様は他の色のマカロンも食べなさいというように、お皿を私の方へ動かしてくれました。お顔は渋い顔です。そんなに私が嫌なのに優しいとは殊勝なことです。
「それで、あの氷騎士とどんな生活をしているのですか? 楽しいとか言っています?」
この質問の意図は何でしょう?
「楽しいと言われたことはありません。食事を一緒に摂り、共に礼拝に行き、それぞれの仕事をしています。夜は星を見て、夫の仕事がない日には街へ買い物や散策に行きました」
そう、と頷いたレティア姫様。しかめっ面ですが目の光は温かい気がします。飲みなさいと、どんどんワインを飲むように促されました。私もレティア姫様が持つワイングラスにワインを注ぎます。
「平民の散策とは何をするのです?」
平民? レティア姫様からしたら誰も彼もが平民ですね。
「サンドイッチを作って湖畔を眺めながら食べたり、喋りながらのんびり歩いたりです」
「そう。……きゃあっ」
レティア姫様、扇にワイングラスを引っ掛けて倒しました。ワイングラスは割れませんでしたが、美麗で豪華なドレスの裾にワインが!
「冷たい! 拭きなさい!」
言われなくても拭かないとなりません。私はテーブルの上にあったナプキンを手にして、レティア姫様の濡れたドレスをトントンと拭きました。
レティア姫様がスッと左足を出しました。
「足も頼みます」
「はい」
ドレスと同じ赤い靴。青白い肌は取り立てて濡れて……足首に小さな刺青。頭が2つで体が1つの蛇。灰色の刺青で、鱗が一箇所だけ赤です。この絵柄……。
「王家本筋のみに刻まれる印です。他言しても真似出来ない代物でしょうけど、口を噤んでいるのが身の為です」
王家本筋のみ? それならフィラント様の左肩の刺青は?
「聞いていた通りで安心しました。遠くない日に王都には血の雨が降る。裏切りには反目。お姉様、炎が上がったら好きに、自由になさい。出来れば2人で逃げて」
私の耳元で小さな声を出すと、レティア姫様に突き飛ばされました。悲痛というような目をしています。お姉様。お姉様? 逃げて?
「誰か! このつまらぬ夫人をつまみ出しなさい! 萎縮して会話もままならないとは気分悪い」
大声を出したレティア姫様。わらわらと人が集まってきました。侍女、それに側近なのか年配の男性数名。入り口、二箇所あったのですね……。フィラント様が立つ入り口とは別のところから人が現れて、驚きと恐れで一瞬身が竦みました。
私は慌てて立ち上がり、レティア姫様から離れてこうべを垂れました。
「成り上がりの血塗れ騎士共々、早朝には城から去れ。田舎の牛臭い女と廊下で鉢合わせなど不愉快。マーシャル、兄上に根回しして頂戴。チャーリー、グラフトン公爵夫人はどちらに? 呼んできて。先日の詩集の話を聞きたいです」
従者達に部屋から追い出された私を、フィラント様が迎えてくれました。牛臭い……。それより成り上がりの血塗れ騎士という発言にカチンときました。フィラント様はご自分の意思で成り上がっていませんし、血塗れ騎士にしたのは王族や周りの者です!! フィラント様は心身共に酷く傷ついています!
しかし、相手が相手なので言い返してはいけません。それに、今の発言には嘘の匂いがしました。
出来れば2人で逃げて。その話をするために私を呼び止めた? フィラント様ではなく私。そして、何故か聞かれた馴れ初め話……。
「何を話しているか聞こえませんでしたが、大丈夫ですか? あの方、口を開けば嫌味か中傷。好き嫌いも激しいので、このように人を呼び出して追い出すのも日常茶飯事。エトワールだけではないので気にしないで下さい」
私を労わるようにエスコートしてくれるフィラント様に囁かれました。
レティア姫様とのやり取り、部屋で話さないとなりません。レティア姫様はわざと私を追い出したようでした。渋い顔の仏頂面なのに優しいところ、何より顔立ちがフィラント様に似ています。そもそもフィラント様とユース様が似ていますし……。
お姉様。
レティア姫様は確かにそう言いました。
私、混乱に飲み込まれそう。
隣に立つこの人は一体何者なのでしょう?




