伯爵夫人、緊張する
王都滞在2日目早朝。アルタイル大聖堂で朝の礼拝。神様に祈りを捧げにきたのに私の脳内は煩悩ばかりです。死ぬまでに訪れてみたかった大聖堂に感激するよりも、フィラント様への感情に心が揺れています。
恋をするとは大変です。嫉妬というとても嫌な感情との戦い。それに、ちっとも御自分の事を語らないフィラント様への不信感。
ユース王子様に、フィラント様には恋人がいて、伯爵夫人としても女性としても励まないと、追い出されると言われました。
フィラント様は恋人なんていないと言います。
どちらでも関係ありません。自分を磨いてフィラント様の横を勝ち取るのです! 私の中で燃え盛る闘志。こんなに何かを欲しいと思ったのは人生で初めてです。
——追い出されると不安になるでしょうし、外聞もあるので、誰かを囲ったりしません……
私はフィラント様と仲良くなったつもりでいました。フィラント様を信頼していると提示しているつもりでした。でも、ちっともみたいです。私に優しいのも抱くのも同情みたい。だって、こんなに明け透けなく好きですと伝えているのに、無視されています。これは、とても惨めです。
昨夜のキスの嵐も、エトワールと甘い声で呼んでくれるのも、私を宝物のように抱きしめたり頭を撫でてくれる手も、全部同情と性欲。その時は幸せ一杯なのに、終わると虚しい……。フィラント様が背中を向けて寝るので、余計に悲しい。
でも、いつか必ずフィラント様にこう言ってもらいます。
——エトワールを愛しているので、他に恋人を作りません
昨夜、そう言われるのではないかと少し期待しました。いえ、とても期待していました。もう、恋人みたい♡ と浮かれていたからです。なのに、違いました。ガッカリです。
ユース王子様から半年後に夫婦で働いて欲しいと言われました。それで1つ謎が解けました。私が直ぐに追い出されない理由は、ユース王子様からの命令です。
私がフィラント様の心を捕まえるまでにある時間は半年。努力むなしく追い出されたら……その時に考えましょう。
まずは今日。爵位授与式と晩餐会。その後行われる舞踏会にて、役立つ妻だと伝えるのです。不安しかありません。
「エトワール、熱心に祈っていて感心ですけどそろそろ行きましょう」
フィラント様に促されました。祈っていません。荘厳で神聖な美しい大聖堂の祭壇前で、邪念に囚われていました。
「はい、フィラント様」
腕に手を伸ばす手が、少し震えます。いつ触れなくなるのかという恐怖と、また触れたという歓喜。
相反する気持ちにいつもグラグラ揺らされ、1日が過ぎる度に胸が苦しくなっていく気がします。
☆★
アルタイル城玉座の間にて執り行われる爵位授与式。入場はフィラント様と並んでです。なんと、私とフィラント様は先頭でした。緊張感は最高潮。
フィラント様は堂々としていて、とても涼しい顔です。何て頼もしい。私達の前には王宮騎士。フィラント様って王宮騎士だったと聞きましたが、こんな服装で、国王陛下の近くで仕事をしていたのでしょうか? ユース王子様と仲良しなのはその為?
こんな絢爛な扉は見たことがないという、扉が開け放たれました。
装飾豪華な柱が並び、床は乳白色の大理石。中央は道のように真紅の絨毯が敷かれています。吹き抜ける高い天井には色彩豊かな絵画。青空にうねる白銀の蛇、飛び交う大鷲、そして天使。
天井に点在するステンドガラスにて、玉座の間に虹色の柱を作っています。
その向こうに、天井まで届きそうな玉座。白い毛皮が敷かれています。座っている国王陛下は見えません。玉座の前に4人並んでいます。1番左端はユース王子様です。その隣は、鮮やかな真紅のドレスの女性。レティア姫でしょう。短い真紅のヴェールで顔は見えません。麗しい絶世の美女だという噂です。
レティア姫の右手に男性が2人。背が高いけれど小太りな方と、ひょろりとしてかなり細身の方。ビルマ王子様とリチャード王太子様でしょう。
ステンドガラスの虹色や、大きな窓から差し込む太陽光を乱反射するシャンデリア。暑いのと緊張が振り切れて、私の頭は真っ白……。
☆★
……。気がついたら、部屋に戻っていました。私、ソファに座っています。人間というのは過度の緊張で記憶を失くすのですね……。何か粗相をしなかったか心配です。
「フィラント様、大変申し訳ありません。私、何か粗相を致しました? 玉座の間へ入場した所から全く記憶がありません」
フィラント様、私の為にコップに水を汲んでくれています。それは、妻の仕事です! 私は慌ててフィラント様がいる窓際のテーブルへと近寄りました。
「記憶が無い? ずっと微笑んでいて、実に素晴らしい所作で隣にいてくれました。俺こそ、挨拶の口上が頭から飛びそうだったので冷静そうなエトワールに助けられました」
フィラント様の本心というような、胸を撫で下ろした雰囲気に私もホッとしました。フィラント様が私にコップを差し出してくれます。穏やかで優しい、労わりがこもった瞳。こんなにキュンキュンしている胸の内を、フィラント様に知られたら困ります。
「いえ、そんな。ありがとうございます」
デレデレを顔に出さない努力が必要です。私はニヤニヤ笑いを隠す為に俯いて、コップに唇をつけました。
「あとは晩餐会か……。コース料理……。今日を乗り切ったら、公爵夫妻への土産探しか……。はあ……城下街には出たく無いのだがな……」
フィラント様、私の横をすり抜けていきました。大きな溜息です。独り言のような愚痴。こんなフィラント様は知りません。余程、疲れているのでしょう。食事が苦手なので晩餐会が憂鬱なのですね。
街に出たくない。そんな事、知りませんでした。
昨日、ユース王子様と馬車から見た街並みをフィラント様と並んで歩く。食器を買った時みたいに楽しいお出掛け。憧れの王都へ新婚旅行。そんな風に心を躍らせていたのことは大反省しないとなりません。
フィラント様、割と雑な仕草でソファに座り、また溜息。
「あの、それでしたら私がフォンやヴィクトリアと買い物に行きます。フィラント様、ゆっくりとして下さい」
「いえ。店や品物のことを聞かれたら困ります。仕事だと思っておきます。それに……。いえ、何でもないです」
硬い表情のフィラント様に手招きされました。コップを机に置いてから、フィラント様の座るソファの方へと移動します。手を取られて、隣へ促されました。
これは、初めてです! いつも長椅子や2人掛けのソファに私を座らせて、自分は1人掛けの方に座るフィラント様。たまに隣に座ってくれますが、最初からは、それも手を繋いで促されるなんて初めてのことだと記憶しています。
手を繋いで横並び。これは、なんて素敵で素晴らしい時間。しかし、フィラント様はとても物憂げで、悲しそうな顔をしています。手もかなり冷えています。
「それに、なんでしょうか? 何でもないという表情ではないですよ」
ジッと見つめて返事を待ちます。フィラント様が私からそっと手を離しました。
「あの……。従軍以外は市内警備や要人護衛の他に暗殺や拷問もしていたので……。黙っていてすみません……」
立ち上がったフィラント様は、私に背中を向けました。
捨て子で、奴隷上がりで、仕事は毒味係から。15歳から出征。それも、1度ではない。ユース王子様の護衛に、王都の市内警備、要人護衛に暗殺と拷問。それがフィラント様の経歴。
「晩餐会や舞踏会、それに市内などですぐ知られるのに、早く話せなくてすみませんでした。隠して接っするのは心苦しかったのですが……。明日の買い物では嫌な目に合うと思いますが必ず盾になります。色々と親身になってくれてありがとうございました」
フィラント様は振り返りません。小さな、微かに震えているような声です。
ありがとうございました。
何故、過去形なのでしょう。
私とフィラント様の夫婦生活は始まったばかりです。むしろ、フィラント様が自分の事を話してくれたので今からが開始かもしれません。
立ち上がって、私はフィラント様の手を取りました。真冬の井戸水のように冷たくなっています。
私はフィラント様に後ろからギュッと抱きつきました。
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病めるときも、辛いときも、悲しみのときも、貧しいときも、苦しいときも、恐怖に襲われていても、心臓を突き刺されようともこれを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、命ある限り、真心を尽くすことを誓います
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フィラント様が選んでくれた宣誓の言葉。そうです。味覚喪失に体の酷い傷跡。仕事を選べなくて、心身共に傷ついてきたフィラント様を慰め、助け、尽くしましょう。私はそうしたいです。
とりあえず晩餐会と王都へのお出掛けは回避しないとなりません!




