子爵令嬢、恋をする
お母様、お父様、婚姻相手のフィラント様はとても優しい紳士な方でした。それだけならまだしも、格好良いです。なので、エトワールの胸はもうずっと高鳴っています。
会った瞬間は、突然現れた男性というだけで恐ろしくてならなかったです。しかし、従者への優しさや、転びそうになった私を助けてくれた優しい腕。大きな手で、突然肩を掴まれたので恐怖を感じましたが、あんまりにも優しい手つきだったので直ぐに安堵の方が強くなりました。
この政略結婚にて、エトワールは無下にされたり、酷い目には合わなそうです。これはもう、誠心誠意真心尽くして奉仕しないとなりません。フィラント様へ爵位を与えるための、偽装結婚と聞いています。もう不必要と言われる日まで与えられた仕事をしかとこなすつもりでしたが、困りました。
エトワールはフィラント様に恋してしまったかもしれません。
偽装結婚ではなく、政略結婚だと良いのに。でも、あれです。愛人という名の本妻を娶られて、追い出される政略結婚かもしれません。お父様やお父様のご友人に上官の方々が、あれこれ推測をしていましたもの。
フィラント様に会うまで緊張と恐れが強かったです。人柄が分かった今なら、安心して、率先して奉仕出来ます。こっそり、女性としてアピールもしましょう! でも、どうやって? 既に本妻がいたらどうしましょう。まずは様子見です。
馬に2人乗りかと思ったのに、1人でとは残念です。男性が苦手なので良かった気もします。それに手綱を引くフィラント様の短い黒髪や、少し日に焼けた肌に中々太い首など、観察できます。首の真ん中に黒子が2つ。2つ並びの北極星みたい。
騎士と聞いて想像していた男性よりは細身。背は高いです。エトワールと頭1つ分の違いがあります。
困ったことに無言です。何か気の利いた会話を……騎士様ってどんな話題を好むのでしょうか?
アストライア領地にお父様が構えた新居にフィラント様が婿入りという建前が用意されています。それについては、今更話す必要なんてないでしょう。ここは無難に天気についてでしょうか? それからこの領地の景色について?
「昨日、夕刻に到着したのですが賑やかな街でございますね」
口にしてから、しまったと気がついた。私が無人の屋敷へ登場したという手違いに話が飛んでしまいます。手紙には確かに昨夜の日付が書いてありました。
フィラント様を非難する形になるのは困ります。フィラント様が振り返って、眉間に皺を作っていたので、私は慌てて謝りました。
「あ、あの、申し訳ございませんでした。勘違いか読み間違えで、早く来てしまったようでして……」
従者にあっさりと慈悲を与えるフィラント様なら、私やお父様を叱責したりしない筈。
しかし、馬の上という高いところから謝るというのは、誠意に欠けています。でも、1人では降りれません。
「謝るのは俺だ。誰か職務怠慢者がいたのだろう。調べておく。寒くて恐ろしい目に遭わせてすまなかった」
すまなかった、と謝るとフィラント様はまた私に後頭部を見せました。やはりフィラント様は優しくて慈悲に溢れています。
「いえ……寒さには慣れておりますので……」
また、しまった! と唇を結びました。
お人好しで騙されやすい上に、慈善活動に精を出すお父様は貧乏貴族です。なので暖房もままならなくて寒い事も多かったです。
おまけに私は養女。女手一つで私を育てられないと、私は叔母に預けられていました。それで母と10歳まで離れ離れ。叔母は夫と宿屋を経営していて、私は小間使い。いつもお腹を空かせていて、屋根裏暮らしで寒かったです。
危ない。そういう辛気臭い話をしてしまうところでした。
幸か不幸か、フィラント様からの返事はありません。
思い出したので、つい感傷的になりました。殴られたり、蹴られたり、怒鳴られる屋根裏住まい。そこから子爵令嬢。幼い頃からすると、貧乏貴族の養女の立場は天国みたいな日々でした。
お母様が年の離れたお父様と相思相愛になったからです。お父様、早くに奥様を亡くして長年独り身だったそう。人徳があるので、母をなんとか正妻として迎えたとかなんとか。私と母はうんと幸せになりました。世界で一番の幸運者。なので、お父様を幸せにして、お父様の役に立つように生き、神様の教えにも従います。
私が底辺層の血筋で、それがお父様の逆風の1つになっていて、ジャン・シュテルン子爵は没落寸前。そんな話、してはいけません。フィラント様にうっかり恋をしてしまいましたが、我儘や要求は禁止。自分よりもフィラント様や、お父様にお母様のことを優先しないとなりません。
まだ返事、無いな。
話題を間違えたようです。
私はぼんやり街を眺めました。朝から市場が開かれていて、活気があります。まだ早朝なのに、人が多いこと。私達は目立つのか、チラチラと見られていて恥ずかしいです。
「ああ……ルクス領地辺りは寒い……。スヴェト山脈の麓で野営した時など凍傷になるかと思った……」
急な発言。それに淡々とした口調なので、私は戸惑いました。
スヴェト山脈の麓で野営とは、5年前の国境線戦です。私が暮らしていたのはルクス領地の南寄りの静かでそこそこ豊かな街。スヴェト山脈はルクス領地の最北端。万年雪の世界だと、家庭教師のカレンから教わりました。
そうでした。フィラント様は武勲を上げ続け、ついに子爵の位を与えられるという方。私が8年間も、お父様やお母様とのほほんと幸せに暮らしてきた間、大変な思いをしていた軍人様。
それをひけらかす様子ではありません。辛かったと嘆くようでもなし。何でもない、単にそんなこともあったなという雰囲気。
「っくしゅん!」
くしゃみが出て、私は身を縮めました。この領地は暖かい土地ですね、というような会話の流れでくしゃみ。私の阿呆娘。
フィラント様、大きなため息を吐きました。呆れられたようです。
「着ろ」
呆れ顔のフィラント様に上着を差し出されました。黒い貴族服。脱いだらフィラント様は白いシャツだけなのに。親切を断るのは不敬です。私は素直に上着を受け取りました。
その時、気がつきました。フィラント様が私をずっと見ない理由。あちこちの人々が私をニヤニヤ笑うように見る理由。
髪を隠す帽子を忘れていました!
淑女にあるまじき失態。
「ぼ、ぼ、帽子……」
落胆と恥辱でボヤいてしまったら、なんとフィラント様はサッと市場で帽子を買ってくれました。フィラント様、実に紳士です。これも王都に属する騎士道精神の1つなのでしょうか? ルクス領地の騎士の噂とは真逆です。乱暴で犯罪にまで走る者もいるというのに、フィラント様は優しい紳士。素敵……。
お父様、お母様。偽装結婚か政略結婚なのかまだ不明ですが、迷惑ばかりかけ、会話は間違え、おまけに淑女になりきれていないと露呈。これは、前途多難です。
私の恋心もどうするべきなのでしょうか?
叔母さんに客へ売られそうになった時、お父様が颯爽と現れて助けてくれたような奇跡は2度と起こらないでしょう。他力本願は良くありません。
エトワールは頑張って自分の力で、未来を切り開こうと思います!




