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騎士子爵、新しい生活に戸惑う 1

 結婚生活3日目。エトワールと2度目の朝食。昨日買った食器に用意されたサラダとスープ、それにパン。エトワールのサラダにはトマトが添えられている。


 血に似た色、かなり赤い物はここ数年見るのも苦手だが今朝は平気。トマトを食べてみようかという気持ちさえある。そんな自分が不思議でならない。


 気恥ずかしくて、エトワールの顔をあまり見ずに朝食が終わった。会話はお揃いにした食器について。ぎこちなくて、大した事を話せなかったけれど、エトワールはニコニコと楽しそうにしてくれていた。


 フィラントが出勤の支度をすると、エトワールも玄関ホールに現れた。薄い水色の質素なドレス。手袋をはめて、日傘も手にしているので間違いなくエトワールも外出する。この美しく可憐な娘——妻か……——をあまり他の男に見せたく無いな、とフィラントの眉間に自然と皺が出来た。


 これまで騎士達が相当騒いでいたし、酒場などでもエトワールの噂は耳にしている。かなり下劣な話も聞いた事がある。


「今日から、一緒に礼拝へと思ったのですが……」


 エトワールが急にしょんぼりとした。笑顔から急転直下で悲しそうな表情。


 礼拝。そうだ聖堂への礼拝へ毎朝一緒に行くことにした。エトワールが帰宅する際の護衛騎士などの手配をすっかり忘れていた。


「フィラント様、エトワール様、馬車とご両親がお待ちです。フィラント様、聖堂へ行くのが遅くなると仕事に遅刻しますぞ。本日のエトワール様はフローラ様と学校、病院へ訪問です。ルミエルとヴィクトリアがお供致します。聖堂からは騎士達が護衛します」


 フィラントにコートを差し出した執事フォンに、微笑まれた。肘で軽く腕を小突かれる。手配は全部フォンがしてくれたようだ。


「エトワール様、帽子をお忘れです」


 侍女ミレーがエトワールの頭に帽子を渡していた。エトワールが帽子を被る。そうだ、と気がついてフィラントはエトワールの帽子の角度を変えた。外から見て、顔が分かり難いようにする。


「ありがとうございますフィラント様」


 自分からもエトワールの顔があまり見えなくなった。これは失敗。少し厚くて小さめの唇は見える。口角が上がっているので笑っているよう。


「参りましょうか」


 フィラントが告げると、エトワールがフィラントの腕に手を添えた。夜勤が無い日はこれが毎朝? エトワールを遠くから眺めて暮らす予定だったのに、どうしてこうなれた。足取りが軽い。軽すぎる。


 玄関から出て、エトワールが庭師と整えている最中の庭を見ながら門へと向かう。


 門の前、二台の馬車のところでジャン・シュテルン子爵と彼の妻フィオール、それからフィラントが雇用したジャンの側近ナックルが待機していた。


「おはようございますフィラント卿」


 全員に丁寧な挨拶をされて、居心地が悪い。


「大したおもてなしも出来ずに、短期間の滞在で追い出すような形になってしまって申し訳ありません」


「とんでもございません。これ程良くしていただいて有り難い限りです。娘をどうぞよろしくお願い致します」


 謝罪をすると、ジャンとフィオールに恐縮された。祖父に近い年齢のジャンは、何を考えているのかイマイチ分からない。ニコニコとフィラントを褒めるだけ。娘をよろしくお願いしますと何度も言われているが、また言われた。


「エトワール、良いですか。このような幸運な婚姻はありません。フィラント様やお付きの方の言うことをよく聞いて励みなさい。フィラント様、不束な娘ですがどうぞよろしくお願い致します」


 ジャンに続いてフィオールにまで、またお願いしますと頼まれる。エトワールにとって幸運な婚姻とは思えないが、そうなるようにしたい。そうするつもりである。


 フィラントは無理矢理だが胸を張った。


「不自由なく、不幸のないように暮らしてもらえるように致します。お困りの際は直接でも、サー・ナックルへでも何なりとお申し付け下さい」


「お父様、お母様。フィラント様へ誠心誠意、真心込めて接します。夫人として夫を辱めたり貶めたりしないようにも努めます。週末にフィラント様と王都へ行くんですよ。憧れの都市について、手紙に書きますね」


 エトワールが両親と別れの抱擁を交わす。そんなことないように努めるが、下手すると今生の別れなのに誰も泣いたりしないのか。もっと仲の良い家族だと思っていた。フィラントとは縁の無い世界、実態を全く知らない「家庭」という存在。親密で互いへの愛情が深そうな人達の集まり。エトワール達もそれの筈が、意外に淡白な関係らしい。


「フィラント、仕事の斡旋をありがとう。この目に手だから、新しい戦場で死ぬと思っていたんだがな」


 ナックルに耳打ちされて、フィラントは軽く首を横に振った。ナックルの左目は斬撃で潰れ、左手は骨折後の後遺症なのか麻痺している。それを差し引いても、彼は強い。体格が良くて、近くにいるだけで周りに威圧感を与える。


 5年前のスヴェト山脈での国境線戦での戦友。半年前、ゴルダガ戦線にて負傷して熱発したフィラントの世話をしてくれていたのは偶然再会したナックル。フィラントの知らないところで、彼は左目と左手を負傷。嫌な目にあったのか、何があったのかは語らない。その気持ちは、フィラントには痛い程良く分かる。


 武勲を自慢するのは軽症だったか、駒を使う側か、血や戦闘を好む者。大半の人間は心に深い闇を抱える。フィラントは血を連想させる色が嫌いになり、味覚を失った。夢見が悪くてよく(うな)される。それに、気圧や気候のせいなのか、時折あちこちの古傷がとても痛む。


「お互い生きていたら、助け合って暮らそう。そういう話だったから当然だ。というか、むしろ厄介事を頼むことになるかもしれない」


「生きていけりゃあ何でもいいのに、破格の仕事。俺は自分の幸運が怖いね。ジャン卿、それにフィオール夫人は親切で気楽だ。しかし、まあお前は大出世だな。子爵令嬢を口説き落として成り上がるとは、そんな野心があるとは思わなかった。まあ、お陰で俺は助かった。何の手柄もあげられなかった末端兵に未来はない筈だった」


「野心というか……まあ、色々だ。何の手柄も? 俺の作戦の後押しをしたのはナックルだ。それに俺は君の親切や励ましを忘れない」


「是非、そうしてくれ。金に物を言わせて子爵位を買って、麗しいエトワール令嬢まで手に入れるって強欲だな。しかし、また面白い手でというか、誠実なお前らしい。いやあ、美人だ。可愛い。羨ましい。飽きたら貸し……止めろ。睨むな。お前の殺気はチビる程恐ろしい」


 睨んだつもりなんて無かったが、フィラントはナックルを睨んでいたらしい。


「面白い手でも誠実な手でも無い。子爵位を得ろと命じられて、従っただけだ。手酷いので、自分なりにどうにか誠意を尽くそうとは思っている」


「命じられて、ねえ。お前の主って新領主だけじゃないんだろう? カンタベリ公爵まで関わっていると聞いている。その辺り、お前の口は固いか。まあ、俺は平穏にのほほんと暮らしたいから知りたくない。その辺り、よろしく頼む」


 軽く肩を叩かれて、フィラントは小さく首を縦に振った。政治交際が苦手なジャンと共にナックルも何かに巻き込まないようにしようと思っている。


 エトワールと両親の挨拶は済んだようで、ナックルはジャンの隣へと移動した。エトワールがフィラントの横に戻ってきて、フィラントの腕に手を添える。触られるたびに、背筋がそわそわする。


 もう一度軽い挨拶をすると、エトワールの両親とナックルは馬車に乗った。あっという間に遠ざかっていく。


「エトワール、ご両親に……」


「お母様、お父様と何年振りに2人きりで新婚みたいだわなんて浮かれていました。まあ、気持ちは大変良く分かります。私も新婚ですもの」


 エトワールの発言と嬉しそうな笑顔にフィラントは目を丸めた。何だって?


「まあ、鐘の音。急がないと朝の礼拝の最終時間に遅れてしまいます」


 ゴーン、ゴーンと鳴り響く聖堂の鐘の音。これで2回目なので、3度ある朝の礼拝の2回目を知らせるもの。


 フィラントは馬車に乗り、エトワールをエスコートした。

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