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騎士子爵、理性が負ける

 抱きしめても問題なさそう。髪に触れても、大丈夫そう。それなら、と額にそっとキスしてみる。


 フィラントの腕の中でエトワールが身をよじった。逃げるようだなと感じる動き。これは、嫌だという意味だ。


「いや、あの、すみません。寝ましょうか」


 腕を離したくないが、フィラントは引き剥がすように自分の腕を動かした。エトワールに背を向けて、寝台へ移動する。胸が破裂しそう。こんなんで寝れるのか? こんな状態が毎晩?


「はい……」


 か細い声を出したエトワールが、フィラントに続いて寝台の布団の中へと入った。かなり広い寝台で、布団も2つある。これなら何とか寝れるか? 昨夜は無我夢中でこんな風に考える余裕なんて無かった。


 フィラントはなるべく端に寄った。エトワールに背中も向ける。


 エトワールは寝相が悪い。多分、そうだ。今朝、目が覚めたら眼前にエトワールの寝顔があって驚愕した。あれが毎朝だと、心臓が持たないと思う。理性も保てない。今朝、かなり必死だった。


「フィラント様……お休みなさいませ……」


 消えそうな小さな声。フィラントは顔も見ないで挨拶を返すのもな、と首だけ動かして、エトワールの方を見た。


 単にもう1回顔を見たかっただけである。


 こちらを向いて横向きに寝ている。暗闇に目が慣れたので、微笑んでいる表情も見える。いや、幻覚か?


「お休みなさい」


「あ、あ、あの……額にキスは娘にお休みなさいという意味ですが……。私、フィラント様の娘ではないですからね……。お休みなさいませ……」


 もぞもぞっとエトワールがフィラントに少しだけ近寄ってきた。


「布団、一緒の方が温かいですけど嫌です? 端が好きなんですか? 落ちないですか? 私は母曰く寝相が悪いそうですけど、昨日は蹴ったりしなかったですか?」


「エトワールは質問ばかりですね」


 おかしくてつい笑ってしまった。


「気をつけます。フィラント様は返事をくれないですね……」


 指摘されて、確かにそうだなと感じた。ユース王子やレグルスにもたまに注意される。ぐるぐる考えている間に、相手がフィラントの思考を解釈する。それで、何か言うタイミングを失う事が多い。


「すみません。返答に困るとどうも黙ってしまうみたいでして……。近いと耐え難いのでこのままで……。昨夜、蹴られてないですよ。多分ですけど……。久々に熟睡しました」


「私、化粧をしてきます。あと、髪型も変えてきます」


 突然、エトワールが起きた。化粧に髪型?


「母に似てそれなりの容姿だと自惚れていました。見るに耐えないなんて……。フィラント様が寝たらもう1度化粧を落とします」


「いえ、あの、そういう意味では。大変目の保養です。嫌なことをしないようにするのに、中々辛い程可愛らし……」


 ポロリと漏れ出た本音。フィラントも体を起こしていた。寝台の上に座って向かい合う2人。


「可愛い? 可愛いと言ってくださいました? 嫌なことをしないように? 可愛いから見たいとは大変嬉しいですが、部屋を明るくするつもりなのですね。それは、嫌です。昼間もキスは幸せでしたが明るくて解放されている談話室でとは困りました」


 両手で自分の頬を包んだエトワールが、軽く身をよじった。キスは幸せでした?


 額へのキスは娘へだと言われた。つまり、別に抱きしめたことや、唇を寄せたことが嫌だった訳ではない?


 フィラントは誘われるようにエトワールを抱きしめた。エトワールは嫌だとは言わないし、逃げもしない。むしろ、フィラントにもたれかかってきた。


「長時間の化粧は肌に良くないですし、とても可愛らしいのでそのままで良いですよ……エトワール……」


 フィラントはエトワールの頬にそっとキスしてみた。やはり、身をよじったエトワール。でも、嫌だとは言わない。彼女がいつでも逃げられるようにと思って、力をかなり抜いているが、やっぱり逃げる素振りはない。むしろ、フィラントに猫みたいに体を擦り寄せてきた。


 いいのか?


 いいんだよな?


 大丈夫か?


 いや、昼間のやり取りがあった上でこの状況で何もしないのは無理。



☆★



 夢中になって終わったら、緊張の糸が切れて寝ていたらしい。気がついたら朝だった。部屋の明るさから考察して普段起きる時間より遅そう。昨夜に続いて、何の夢も見なかった。


 今朝のエトワールは寝巻きを着ていない。本を枕にもしていなかった。


 すやぁと幼い子供みたいな無防備で可愛らしい寝顔。フィラントの方に横向きで寝ていて、体を丸めている。


「俺、いつ死んだんだ? ゴルダガ戦線で突撃させられた時か?」


 ポソリと独り言が漏れた。死後の世界とは実に素晴らしい。良いことばかりが起こる。フィラントはエトワールの髪をそっと撫でた。艶々で触り心地が大変良い。


 手の甲をエトワールの頬に当てる。少し熱いくらいの温もり。


 夜、それはもう熱くてならなかった。あの甘えるようなのも、気持ちが良さそうなのも、誘うようなのも、全部何か目的があっての演技なら女性とはとんでもない。そういう者がいるのは分かっているが、エトワールは違って見える。


 騙されていてもいい。地位も名誉も財産も、降って湧いたものなので奪われたり消えても別に構わない。今が幸せ過ぎるので、純粋に親しみや好意を抱かれていると思って有頂天でいよう。


 やはり、死後の世界ではないんだよな……と自分の境遇に身震いした。こんな幸福、フィラントの人生には無かった。これからも無いと思っていた。


 布団から出て、寝台から降りる。カーテンの隙間から、外の景色を確認した。やはり、日の出からそれなりの時間が経過していそう。


「今日からは早めに寝るようにするか……」


 早朝鍛錬の時間が減った。勤務時間に、部下を鍛えるとか名目をつけて自己鍛錬時間も追加するか。


 そしたら、エトワールと顔を合わせる時間が増える。


 いつか、今の至福な時が終わるまでに、出来るだけ沢山、エトワールと接したい。フィラントはグッと背を伸ばして、体をほぐすと部屋を後にした。


 去り際、寝ているからとエトワールの頬にキスした。

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