伯爵夫婦、決まり事を作る
結婚式翌日の夕方まで、屋敷で読書をしてました。苦手で好きではないチェスの定石解説本です。 ヘンリ・カンタベリ公爵様へ挙式その他のお世話に関するお礼挨拶に行くので、ライラ夫人にチェスに誘われる可能性があります。
フィラント様が帰宅するまでの間、少し頭が痛くなりましたが頑張りました。
フィラント様が帰宅して、2人でヘンリ・カンタベリ公爵邸へと向かいました。馬車の中、フィラント様と2人きりで無言。お互い、これからの事に緊張しているのだと思います。少なくとも私はそうです。
ヘンリ様とライラ夫人は気さくで親切です。お礼を告げ、執事フォンが用意してくれたお礼の品を渡し、軽く雑談。予想通り、私はライラ夫人にチェスに誘われました。特訓の成果や読書の甲斐なく「弱過ぎて教える気にもならない」とライラ夫人の機嫌を損ねてしまいました。
フォローしてくれたのはフィラント様です。フィラント様、なんとチェスが得意でした。ライラ夫人に惜敗です。ライラ夫人は機嫌を直してくれました。
ヘンリ様は、フィラント様の仕事振りが良く、後盾として鼻高々らしいです。フィラント様とお酒を飲みながら、すごぶるご機嫌でした。間も無くフィラント様に伯爵の地位が授与され、それが宿敵グラフトン公爵への牽制になるとか、かんとか。この辺り、私にはサッパリ分かりません。
王都で行われる爵位授与式、晩餐会、舞踏会にてヘンリ・カンタベリ公爵様とライラ夫人を持ち上げるのが、私とフィラント様の仕事。それは、再確認出来ました。
それからライラ夫人が流行りの香水、扇子の話をしたので、お土産を買わないとなりません。頼まれていないからと気がきかないと、社交界での地位が下がっていきます。
帰りの馬車の中。
フィラント様、窓の外を険しい表情で眺めています。ヘンリ様、ライラ夫人の前では割とにこやかだったのに、一転して疲れたというような顔です。
「……ありがとうエトワール。喋るのは苦手なんで、ああやって間に入ってくれて助かりました」
私を見ると、フィラント様はご自分の首に手を当てました。先程までの時間、フィラント様の足を引っ張っていたのは私の方です。会話の間に入った記憶はありません。
「いいえ、フィラント様。私、役立たずですみませんでした。ライラ夫人の機嫌を損ねてしまったのも、すみませんでした……」
目を少し丸め、それから困ったように笑ってくれたフィラント様。胸がキュンとするような、優しげな眼差しです。
「確かに、すみませんよりありがとうございますの方が良いですね」
優しい微笑で指摘され、私の胸が更にキュウゥゥとしました。フィラント様はどうしてこう、素敵なのでしょう。
笑ったと思ったら、フィラント様はしかめっ面になりました。この急な変化には、度々気持ちが追いつきません。私がフィラント様をとても慕っていると伝わると、嫌がられるみたい。抑えていれば問題ないようなので、加減が必要。
なのに今の私、絶対に赤い顔をしています。フィラント様にデレデレしたみっともない顔をしている自信があります。手の甲が赤くなっていて、全身熱いので絶対にそうです。嫌がられるようなので、隠したいのに。
私が自分に「しっかりしなさい」と言い聞かせていたら、フィラント様は私を見て口を開きました。
「あの、今後の事なのですが……。嫌な時は嫌だと遠慮なく言って下さい。態度からも察するようにします。お互いなるべく歩み寄ろうというエトワールの考えに甘えたいと思っています」
もう日没後なので、薄暗いのですが、それでもフィラント様の顔は少し赤いように見えます。今のしかめっ面は、照れのよう。そう思い込んで、勇気を出してフィラント様にお願い事をしてみましょう。間違いかな? そう思ったら撤回。
「礼拝や食事はなるべく共にする。寝室は今のエトワールの部屋。それで、たまに今日の昼間のように出掛けたりお互いのことを話す。そうしたいです。以前、そう言ってくれていたのに、善意をそのままの意味で受け取れなくてすみません」
私が口を開く前に、フィラント様が続けました。しかも、その内容は私を有頂天にするようなもの。
善意をそのまま? 善意ではなく好意です。好意というか、もはや下心です。それは黙っておきましょう。せっかく、フィラント様が私に友好的になってくれたようなのに、嫌われては困ります。
私に対する遠慮や負い目は、見当違いだと……気がついていないでしょう。とても、恐る恐るというように見えますもの。
「は、は、はい! フィラント様、ありがとうございます」
寝室が同じなら、またフィラント様の隣で眠れます。寝てる隙にこっそりキスをしてはいけません。でも、多分します。こっそり眺めるだけは拷問です。
「適切な頻度は分からないので、今日のように嫌だと示して下さい……。まあ、あの、子が欲しいなら……まあ……それなりには必要かと……。他に何か決めたいことや、途中で変えたくなったら、直ぐに言って下さい」
何のこと? 適切な頻度……子が欲しいなら……。フィラント様が何の話をしたのか分かって、私の全身がかあっと熱くなりました。
はて、今日のように? 今日、そのような事は何もありません。夜のこと? 私、嫌だとは一言も口にしていません。私のどんな態度が「フィラント様が嫌」だと思わせたのでしょう?
今でも明け透けないのに、もっとでないとダメ? でも、あまり突撃すると嫌がられ……今のところ全く嫌がられていなさそうなので大丈夫。大丈夫だと思わないと、遠慮や負い目ではなく嫌われているなんて思ったら、立ち上がれません。
「……毎日……」
「へ? エトワール?」
「毎日にして、どちらかが嫌そうなら1日ずつ減らしましょう……。私、優しいフィラント様になら遠慮なく嫌と言えます……。昼間のキ、キ、キスのようなのも……本当にいつでも良いです……」
これはさすがに、フィラント様の顔が見れません! は、恥ずかしい。火が出るほど熱いです。
一瞬、またあの痛いことをするのか、そう思いました。今もまだちょっと痛い。
しかし、代わりにフィラント様からの頭なでなでがついてきます。キスも沢山で、抱きしめてもらえますし、名前もうんと呼ばれます。抱きついて良くて、勝手にキスも出来ます。天秤にかける必要なんてありません。
これ以上は恥じらいが無さすぎなので、もう言葉が出てきません。
無言の馬車内。私の提案は却下ということみたい。
チラッとフィラント様を見ると、口を手で覆って窓の外を見ていました。眉間には深い皺。
昼間のようにまた笑ってもらうには、親しそうにしてもらうには……考えなさいエトワール。私、もう少し賢くなりたいです。ヴィクトリアのレッスンや読書を続ければ聡明になるかもしれません。励みましょう。
「……フィラント様、ライラ夫人へのお土産選びの際に私も香水が欲しいです……」
「香水? ああ、そうか。他には? 他に欲しいものはありますか? 明日、エトワールのご両親が帰った後、アストライア領地へは立ち入り禁止ということになっていますが、建前です。見張りがつくでしょうけど会えます。いつでも遠慮なく言って下さい」
フィラント様への正解は、物のおねだりかもしれません。もしや、と思って口にして良かった。私は物より、フィラント様とお喋りしたり散歩したいです。キスとかもです。大好きですと伝わると、嫌がらせになるようなので、適切な距離感を掴まないと。
お父様とお母様は8年ぶりに2人きりで新婚気分らしいです。お父様、興味のない政治に絡むのは大変だとボヤいていました。なので、アストライア領地や王都には近寄らないでひっそりとしているそうです。
フィラント様の人柄、今の私の暮らしぶりはとっても安心。よって、しばらく手紙のやり取りだけしようと話をしています。
それはフィラント様には内緒にしましょう。遠慮だと誤解されます。フィラント様のこと、1ヶ月前よりは分かってきていますよ。多分、ですけど。
「はい。ありがとうございます」
私がお礼を言って笑うと、フィラント様は困り笑いになりました。何故、今の流れで困惑がついてくるのでしょう。フィラント様の性格には謎が多過ぎです。




