伯爵夫婦、少しいちゃいちゃする
何をしたら喜びますか? フィラント様、私の問いかけに困り顔を浮かべて無言でした。困惑というより、怒っているようにも見えます。
それなのに、フィラント様は不意に私の隣に移動してきて、更には私の唇を親指でなぞりました。背筋がゾクゾクします。フィラント様の視線は熱を帯びていて、表情も色っぽい……。怒ってなかったみたいです。
花の蜜に誘われるように、私はフィラント様に近寄りました。抱きしめてくれないかな? という下心です。
そんな色気のある目で見られるのは恥ずかしいです。私はフィラント様の顔が見れなくて、胸ポケットを見ました。何の変哲もない胸ポケットは見ても楽しくないし、喜ばしくもないです。
はっ!
こ、これは誘惑する好機です! 絶対にそうです! キスをしましょう。またキスが返ってくるかもしれません。返ってこなくても、とりあえず私はフィラント様にキスをしておきたいのでキスします。歩み寄る夫婦なので、キスくらいしても良いのです。
今朝、そういう話に……なりましたっけ? なっていません。 フィラント様、私の数々の提案を無視しました。毎日、いつでもキスしましょうと言ったのに、返事はありませんでした。
首回りがぞわぞわしたと思ったら、フィラント様の手が私の顎を持ち上げました。何だろう? 目を開いたら、フィラント様は目を瞑っていました。鼻と鼻が擦れます。
「エトワール……」
甘ったるい響き。そっとなのに、食べるようなキスをされました。キスで誘惑をする前にキス。私の提案、無視された訳では無かったみたいです。
1回、2回、3回……挙式の誓いのキスから数えて全部で1000回まで到達したら、フィラント様が私を好きになるとか、そういう制度があれば良いのに。昨夜、途中で数が分からなくなってしまいましたけど。
歩み寄りはもう終わりとか、言われたら嫌です。このままキスしたり、髪を撫でていて欲しいです。好きになってもらえる方法を考えないといけないのに、照れと嬉しさで頭が回りません。
昼間の、明るいところのキスってこんなに恥ずかしいのですね……。
あれっ、ここは談話室です。玄関ホールから続いていて、扉が無いという構造です。もし、キスしてるところに誰かが入ってきたらどうしましょう?
照れと場所への不安で、私はフィラント様の胸を軽く押して、離れました。
「すみま……」
「は、恥ずかしいので続きは人目が無い所で……」
フィラント様、すみませんと言おうとしました? 離れたので、嫌だって意味に取られたりするかもしれません。続きと言ったので、嫌ですという意味だとは思われない筈。
調子に乗って「続き」と頼んだせいで、フィラント様はムスッとしてしまい……でもフィラント様って照れや緊張でもこういう顔をします。照れているだけなら、人目が無いところでキスの続きをしてくれるでしょう。
自分の願望が入ってしまうので、見極めが出来ません。
リンリンリンリーン。
リンリンリンリーン。
玄関ホールからベルの音が聴こえてきました。玄関ホールに置いてある、ベルを誰かが使ったようです。これはお客様がいらっしゃったか、従者の誰かが私達のしていることに気がついたので、遠回しに教えてくれたとかです。
フィラント様、私から離れて立ち上がりました。
「フィラント! 店舗候補を探しに街へ行こう!」
リンリンリン。リンリンリン。ベルを鳴らしながらフェンリスお兄様が入室してきました。
物凄く愉快そうな表情なので、見られたのかもしれません……。
「もう帰られたのかと思っていました」
「その足で帰る帰る。邪魔したからと不機嫌になるなフィラント。お兄ちゃんにだんまり、おまけに構ってもくれないからだ」
あはははは、と能天気な笑い声を上げたフェンリスお兄様はつかつかとフィラント様に近寄ってきました。フィラント様の肩に手を回し、ほら行くぞというように引きずっていきます。
邪魔されて不機嫌? それは朗報です。その件について教えて下さい、フェンリスお兄様。私は2人の後を追いかけました。
フェンリスお兄様が振り返りました。真っ白い歯を見せて、にこやかな笑顔。しかし、少し寒々しいです。目が笑っていません。私、フェンリスお兄様に悪印象かもしれません。
「察し上手だねえ。兄弟水入らずだエトワールちゃん! 王都で会おう! 色っぽい顔を楽しみにしているよ!」
いろ、色っぽい⁈ やはり、見られていました! 談話室なんていうひらけた場所でキスしたせいです。
こんな失態、王都では、いえ二度としません! この屋敷の談話室には扉がないので、談話室でキスは禁止……したくありません。いつ、何処で、フィラント様が私に興味を持ってくれるか分かりませんもの。しかし、仕方ないです。
「フェンリスお兄様、王都でお会い出来るのを楽しみにしています。このフィラント様のお屋敷にもまたいらしてください」
「来る来る。来月また来るから」
まるで会釈を確認するように、フェンリスお兄様は私を上から下まで眺めました。料理人? 言動や話し方だけではなく身のこなしもレグルス様に似ています。
それでいて、フィラント様の動きともちょこちょこ似ている。料理人では無いのでしょう。何か隠し事があるようです。信用していない私には教えられない事なのでしょう。
あれこれと詮索は良くありません。必要な事はフィラント様が教えてくれます。私はフェンリスお兄様について考えるのは止めました。
私がするべきことは、フィラント様とフェンリスお兄様のお見送りです。
玄関ホールには、フェンリスお兄様の荷物らしき大きくない鞄が置いてありました。私がコートなどを渡す前に、もう支度ばっちり、というフェンリスお兄様。コートに帽子と、料理人にしては小洒落ていて質も良さそうです。
私はフィラント様にコートを手渡しました。行動が遅くてお兄様には渡せませんでしたが、フィラント様には間に合ってホッとします。
「行ってらっしゃいませフィラント様」
コートを羽織ったフィラント様からの返事はありません。ぼんやりと私を見つめています。
「行ってきますエトワールちゃん」
フェンリスお兄様が私の手を引っ張り、ゆっくりと引き寄せ、頬に挨拶のキスをしました。手を取られた時から怖かったのですが、挨拶なので顔や態度に出してはいけません。
「フィラント! お前は説教だ。行くぞ」
ベシリ、とフィラント様の背中を叩くとフェンリスお兄様は鞄を持ち、軽やかな足取りで歩き出しました。フィラント様、まるで従者のようについていきます。兄と弟って、上下関係が出来るものなのですね。
一瞬、チラリと振り向いたフィラント様の口が小さく動きました。無表情で、声も出ない小さな唇の動きなので、何を言ったのか全く分かりません。
フィラント様は直ぐに前を向いてしまい、私にはもうフィラント様の背後しか見えません。フィラント様とフェンリスお兄様がお屋敷から出て、玄関扉が閉まるまで私はお見送りを続けました。
いつか「行ってきますエトワール」と言われたいです。




