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伯爵夫婦、少しすれ違う

 きっと喜んでくれるだろうと、こっそり買った六芒星型の小皿。エトワールの反応を見るのが怖くて、フィラントは床を見ていた。


 チラリとエトワールを確認すると、困惑顔だった。エトワールは六芒星型の小皿を欲しいと思った。それは勘違いだったらしい。


「あの、私……」


 震え声だったので、フィラントはエトワールの顔を見た。彼女は泣きそう。


「あんまりにも嬉しくて泣きそうです。私ばかり……。とても疲れさせてしまったようなので、ゆっくりお休み下さいフィラント様。コーヒーは無理にここで飲まなくても大丈夫です」


 涙は流さないが、とても辛そうに見える。しかし、笑ってもいる。これは、どう判断するべきなんだ?


 遠回しに、そろそろフィラントの顔を見たくないという意味か?


「いや、楽しかったので疲れていません」


「楽しかった? 楽しかったですか? それは良かったです。馬に乗ったり、重いものを持ったり、それでも疲れないのですね。あの、フィラント様は私に何をしてもらったら嬉しいですか? フィラント様のように自分で気がつきたいのですが、食事の件といい私は察するのが下手です。なので、教えて欲しいです」


 笑顔になると、エトワールはレモンを紅茶に入れて、六芒星型の小皿を手に取った。笑顔で小皿を眺めている。予想以上に嬉しそう。フィラントにはそう見える。


「俺は君がそうして笑ってくれれば、それが嬉しい……」


 思ったことが、そのまま言葉として飛び出した。


「人に喜ばれるというのはとても嬉しい事ですものね」


 エトワールが小皿を机に置いて、ティーカップを持った。ゆっくりとした風雅な仕草で紅茶を飲む。


 ん? それは違う。別に他の人間がニコニコしても、そんなに興味は無い。何か良い事があったようで何より。その程度。


 君が、そう言ったのにエトワールだけが特別だと伝わらなかったらしい。それか無視された。無視だろう。無意識に出た台詞なので、次から余計な事を言わないように気をつけなければと、フィラントは唇を固く結んだ。


「それで、何をされたら嬉しいですか?」


 さあ、何でもどうぞ。早く教えて下さい。フィラントにはエトワールの目がそう訴えているように見える。勘違いか? 小皿の事は勘違いでは無かった。しかし、これは流石にフィラントの願望。


 何をされたら嬉しいって、隣に座っても良いなら座りたい。それで髪を手に取って良いならそうしたい。髪もだが、柔らかくてしっとりした頬にも触りたい。


 アップルパイを食べる為に動いている、ぷっくりとした唇も触りたい。指でなぞって、キスして……そのまま昨晩と同じ流れになりたい。それで朝に戻って今の時間までを繰り返したい。フィラントの人生はそれで良い。いや、それが良い。それは無理なので、至高な思い出を胸に生きていこう。


「エトワールに何かをして欲しいなんて思っていません。そのような余計な事を考えなくて良いです」


 笑いかけたつもりだが、エトワールは急に表情を曇らせた。


「そ、そうですか……。私に何かされても嬉しくは無いのですね……。余計な事……。生活の邪魔や、仕事の足を引っ張らないように気をつけます……」


「まさか。過剰に気を遣わなくて良いと言いたかっただけで……」


「過剰に気を遣う? 私、今日はずっと我儘ばかりでしたけれど……」


 目と目が合って、沈黙。


 今日はずっと我儘ばかり? 今日、エトワールが何か我儘を言ったか?


「あの、それなら私が何をしたら嬉しいですか?」


 萎れ顔が変化して、期待の眼差しに見えるエトワール。フィラントの勘違いでは無かったらしい。勘違いだとエトワールの好意を無視し、言葉選びも間違えて傷つけた。


 こんな風にフィラントの一挙一動に反応する者は今までいなかった。


 何か、エトワールにして欲しい事を何か言わないといけない。本心そのままは絶対にダメだろう。


 いつか談笑したい。そもそも、フィラントの目標はそれだった。昨夜暴走して、たまたま良い方向に話が転んだからと欲を出し過ぎては痛い目を見る。エトワールが言ってくれた恋の芽というのが、枯れたり腐ったりしたら最悪。


 しかしながら、一体全体、その恋の芽はどうしたら成長するんだ? 離れて眺めていてはエトワールと親しくなれない。それでいて、好意を示すとフィラントを好ましいというような態度が返ってくる。自分で思っているより、エトワールはフィラントを嫌がっていない。怯えも無いよう。


——あの……キスは毎日いつでも良いです


 今朝のあれは、どういう意味だ? 俺にキスされたいって事か? まさか! いや、本当だったら……試してみよう。反応で見定める。


 単にキスしたいだけである。何せ夜にした数多のキスの甘さがちっとも忘れられない。


「フィラント様? やはりお疲れですか?」


「え? いや、俺は疲れていない」


 緊張で口調が素になった。私と使うことは疲れる。このまま屋敷内、エトワールの前でも俺と使おう。どうせまたうっかりしてしまう。エトワールの前だと特にそうなり易いのは、この半日で自覚した。


 意を決してエトワールの隣に移動する。少し驚いてはいるが、嫌そうではない。


 ここまでは大丈夫。


 アップルパイのかけらがエトワールの唇にくっついているのが、ずっと気になっていたので指で払う。


 エトワールの眉間には皺。怒ったようで顔が赤い。急に唇を触ったから当然だ。キスなんてとんでもない。もうこれ以上は許されない、ダメそうな雰囲気。


 そう思ったら、エトワールはフィラントの膝にそっと手を乗せて、こちらを向いた。フィラントの胸ポケットを見ている。何を確かめようとしたのだろう? 胸ポケットにはハンカチしか入っていない。


 エトワールが目を閉じて、少し唇を尖らせて、フィラントへ近寄った。それで、彼女は真っ赤である。


 え? キスしてって意味か?


 しかし、エトワールの眉根は寄っている。怒っていないが、恐怖? それなら仰け反るとか、フィラントからさり気なく離れたりするだろう。 するだろう、そういう決めつけは良くない。


 ずっとフィラントの想定は外れているので、フィラントはエトワールの顎に手を添えて顔を近づけた。


 数年ぶりに、林檎の味というのを思い出した。

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