伯爵夫婦、帰宅する
食器が入った箱が全部で6つ。紙袋に3つずつ入ったその箱をフィラント様は涼しい顔で運びました。大変、力持ちです。
後日、買った物を屋敷まで運んでくれると言ってくれた店主。しかし、フィラント様は断りました。多分、私が「購入したティーポットでお茶をしたい」と口にしたからです。店主に店の奥へ連れていかれて、買いたくないものを買わされたら怖い。そう思って、別室に行くのを断るための台詞でしたが、フィラント様には言葉通りに伝わったようです。
——すぐ使うので、持ち帰ります
フィラント様がそう言ってくれたのが、あまりに嬉しくて甘えました。フィラント様は荷物を分けてはくれません。屋敷に戻る途中で、フィラント様はアップルパイを買ったのですが、その袋も私は持せてもらえませんでした。
帰り道の間、フィラント様はゆっくりと街並や空を眺めていました。無表情に近いですが、口角が少し上がっていて柔らかな雰囲気。なので、散歩はお好きかもしれません。ステラ湖の周りを散策した際も似たような様子でした。
屋敷に戻ると、玄関ホールで執事のフォンとルミエル、それに侍女のアンナとサシャに出迎えられました。どうして帰宅時間が分かったのでしょう? 窓から見えたのかもしれません。
「お帰りなさいませフィラント様、エトワール様。お持ちします」
フォンとルミエルがフィラント様の荷物を受け取ろうとしました。
「重いので手前の小さい方だけで良い」
小さい方というのは、アップルパイが入った袋です。フォンとルミエルは、フィラント様から袋を全部奪いました。フィラント様、戸惑っています。散歩中、人に世話されるのに慣れないと言っていました。これのことですね。
「談話室で紅茶を飲みたい。私に菓子は要らない。エトワールの分以外は皆で分けてくれ。エトワール、先に休んでいて下さい」
玄関ホールにふんわりと広がるアップルパイの香りにサシャの目が輝き、背筋が伸びました。アンナはちゃんと隠して……いません。嬉しそうに笑っています。
フィラント様はフォンとルミエルと共に食堂の方へ消えました。食器をしまうのでしょう。ティーセットはこれから、残りは今日の夜に使います。
初めての食事の後は、初めてのピクニックで、次はお茶。フィラント様としてみたかったことが、1日で全部叶うとは新婚初日とはなんて素晴らしい日なのでしょう。
しかし、フィラント様とお茶はしません。紅茶ではなくコーヒーです。いえ、アップルパイには紅茶を合わせたいです。フィラント様が「遠慮して」と気にしそうなので、ここは贅沢なことをしましょう。
「サシャ、フィラント様は紅茶と言っていましたがフィラント様はコーヒーの方が良いです。紅茶は嫌いか苦手か、興味がないようなのです。私は紅茶でフィラント様にはコーヒーをお願いします」
「かしこまりましたエトワール様」
会釈をして、サシャが退がりました。食堂へと向かっていきます。
私の手袋や日傘、それに帽子をアンナが受け取ってくれました。1ヶ月経っても、このように世話をされるのは全く慣れません。
「エトワール様、楽しかったですか?」
「楽しい所ではありません! 私、世界で1番幸せな人間になったようです」
「顔にそう描いてあります。あんなに柔らかな表情のフィラント様を初めて見ました。良かったですね奥様」
ピクリ、と私の耳が反応しました。奥様? 今、奥様と呼んでくれました? 是非、もう1度聞きたいです。
ぼけっとしていたのか、ドレスの裾を自分で踏んで転びそうになりました。
「奥様! 転ばなくて良かったです。お気をつけ下さい」
また奥様。なんて胸がキュンとする呼称でしょう。そうです。私は昨日からこの世でたった1人だけのフィラント様の奥様。唯一無二の席を手に入れたのです。
「夕方、カンタベリ公爵ご夫婦の前でこのようなみっともない所は見せられません。なので、奥様ではなくエトワールと呼んで下さい。いえ、奥様が良いです。私、フィラント様の奥様ですもの。どんな時も平常心が大切なので、鍛錬です」
「ふふふ、そうですか奥様。では、失礼します」
アンナは私の手袋などを片付けるためにか、一礼した後に階段を登っていきました。実に優雅な会釈や挨拶。私、まずはアンナの所作に追いつかないとなりません。伯爵夫人に相応しい動きはその先。この場で踊りたい気分ですが、アンナのように歩きます。私は談話室へ移動して、ソファへ腰掛けました。
1人掛けソファではなく、2人掛けの方に座ります。フィラント様と横並びが良いからです。隣を空けておきましょう。
少しして、フィラント様が談話室に現れました。もう微笑んでいません。無表情でもありません。少し不機嫌そうな、しかめっ面。何かあったのでしょうか?
フィラント様は1人掛けのソファに座りました。隣は隣です。せっかく横並びになれるかもと思ったけれど、これはこれで近いので良いです。
話しかけ難いのは、フィラント様が私を見ないでジッと床を見つめているから。散策や買い物で疲れたのでしょう。馬に私と2人乗りで湖へ行ったり、購入した食器が重かったりと、疲れるに決まっています。
お喋りしたいですが、我慢です。程なくして、サシャが現れました。アップルパイとコーヒーの良い香りがします。
目の前のテーブルに並べられていく、フィラント様と一緒に買ったお揃いのティーセット。ちゃんと、私には紅茶でフィラント様はコーヒーです。フィラント様、少し驚いています。
私の目の前に買った覚えのない星型の小皿が置かれました。気になりつつも、次回の買い物時に検討してもらおうと思った品です。お散歩にお揃いの食器と、あれこれおねだりしすぎだと反省していたからです。
それなのに、少し見ていただけの品が目の前にあります。
星型の小皿の上には、スライスレモンが1枚乗っています。アップルパイもレモンティーも、私の好む物。
「フィラント様、これ……」
私がフィラント様を見た時、フィラント様は複雑そうな顔で、首に手を当てていました。
「気に入ったようでしたので……」
私、やはりとんでもなく優しくされて大切にされるみたい。なんて幸せなのでしょう。
しかし、相手が私ではなくても結果は同じ……。フィラント様は私の浮かれっぷりや我儘に付き合って疲れている……。それに思い至ったら急に苦しくなりました。私はフィラント様の横を死守したいので罪悪感はゴミ箱に捨てます。私、こんなに性格悪かったのか。
目に涙が滲んできます。嬉し泣きなのか、切なくて泣きそうなのか、自分でもよく分かりません。
1つ分かるのは、私は本当に心の底からフィラント様が好きです。こんなに優しい人、滅多にいないと思います。




