伯爵夫婦、初の夜 3
フィラントは、目で促されソファに座るユース王子の前まで進んだ。代わりに、隠れていた貴族服姿の王宮騎士達が部屋から出て行った。
「ユース王子、今後も私に会いに来る、いやアストライア領地の視察に来るのですね」
「まあ、そうだ。兄弟ということで頼むぞ。似たようなものだから嘘はあまり必要ない」
フィラントはため息を堪えた。
「いいえ、ユース王子。私と貴方は奴隷上がりの騎士と王子です。嘘ばかり必要になります。細かい設定をしましょう」
「生真面目クソ野郎め。そう言うと思って設定資料集を作らせた。読んだら燃やせ」
ユース王子の上着の内ポケットから羊皮紙が出てきた。受け取って、ザッと目を通す。2人兄弟。北西アシタバ領地の首都料理人の息子。貧しくて、フィラントは売られてうんぬんかんぬん。ユース王子は店の後継として残された兄。
フィラントの経歴は、あまり偽りがない。兄はずっと親元で暮らし、流行り病で両親を亡くしたが、店を継いだので何とか生活している。2人は数年前の国境線戦にて再会。以後、不定期に連絡を取り合っている。他人に偽りを語るには、実に簡単な内容。
架空の父親や母親の名前ではなく、ユース王子の両親の名前が記載されている。これ、隠す気はないということか?
「その顔、王や王妃の名は民がよく真似をする。それに、15年近く前に亡くなった側室妃の名を覚えている者も少ないだろう。嘘に嘘を重ねると、収集がつかなくなるし矛盾が出る」
「見抜かれても構わない、そういう程度の嘘だということですね」
「まっ、その通り」
ユース王子が立ち上がり、ベランダへ行こうと顎で示された。フィラントは懐に羊皮紙をしまい、ユース王子と共にベランダに出た。ベランダなら、誰かに何かを聞かれないという意味だろう。
ユース王子がフィラントの肩を軽く叩いた。
「結婚おめでとうフィラント。浮かない顔の理由はレグルスに聞いた。それでも、彼女を手離さなかったならいっそ惚れさせろ。その自信がないのだろう?」
「ありがとうと言うべきなのか、余計な事をと言うべきなのか……。何故、彼女の居場所だけ教えるではなかった。惚れさせろって……恐怖を抱いている相手に口説かれるなんて……」
「可哀想? それにしては中々熱烈な誓いのキスだったな。フィラントに女を口説く度胸なんてないと思ったからだ。あの娘、お前が思っているより強かだと思うぜ。身売りさせられそうな貧乏子爵令嬢。延々と身を売るより、たった1人に抱かれる方が気が楽。そんなもんさ。俺が彼女ならそう思う」
ユース王子の発言に、フィラントの頬が自然と引きつった。
「身売りさせられそうな?」
「没落貴族の若い娘、特にあんな美しい少女の末路なんてそんなところだ。なんだ、そんな考察はしなかったのか? 冷静な分析屋も恋をすると脳内が変になるのだな」
「実際にそんな話が出ていたのかと勘違いしそうになっただけだ。だから、俺は彼女に手を出したり……」
「1回くらいしとけ。そうしたら、そのうちお前を信頼して自由気ままに贅沢暮らしをしながら愛人を囲うだろう。処女のまま、そんな事出来るか? いつお前に抱かれるか分からない状態でそんなことはしない。そんな阿呆いるか。怖い騎士に首を刎ねられるかもしれない」
「俺は彼女の首を刎ね……」
ユース王子がフィラントの胸に指を突きつけて、言葉を制止した。
「彼女はそう思う。君の言葉を信用しない。だから、怯えられているんだろう? 妻に関わらないで観賞用として手元に置くなら、今後信頼関係を築けない。なのに自由にさせたい。君は矛盾だらけ。手元に置いて、誰にも触れさせないでおきたい。でも自分も手を出さない。流石にそれは手酷いぞ」
「ユース、俺の為に発破をかけてくれているのは分かる。そもそも、こんなにしてもらわなくても良かったんだ。騎士団副隊長は、まあ背伸びをすればどうにかなる。そのくらいの自信はある。しかし、伯爵位なんて気が重い」
「話をすり替えるなフィラント。それはそれ、これはこれだ。レグルスに逃げ道を聞いたのに、君は彼女を手離さなかった。初夜に手を出さないと、爵位を手に入れたフィラントに用済みと言って捨てられる。そう毎日怯えるだろう。グジグジ、なめくじみたいに悩んでいないで彼女と契約書でも交わすといい。いっそ、そこに父上か私の捺印をつけてやろう」
契約書。
それは、目から鱗。そう思ったらユース王子に頭を軽く叩かれた。避けられるが、受け取る。かなり心配されているので、気持ちを無下に出来ない。グジグジ、なめくじみたいか。確かにその通り。自分でも実に面倒な性格だと思っている。
「阿呆! そんなもの必要ない。君は私との約束を覚えていない。1番最初に交わした、最も尊い誓いだが、綺麗さっぱり忘れている。それでも私と君には強い絆がある。同じように、長い時間をかければ何もないところから信頼関係が生まれる。相手が君だからだフィラント。彼女は君の真心に気がつく」
否定しようとしたら、ユース王子に首を横に振られた。
ユース王子との1番最初に交わした尊い誓いとはどの事だろう? あれこれ約束をしたが、1番古いのは奴隷から騎士へ格上げするというもの。しかし、ユース王子はフィラントが忘れているというのでこれより以前の何か。仕事に必要な事を覚えていくと、日常の出来事は脳みそから溢れていく。
「思い出さなくても良いんだフィラント。私が覚えているからな。では、花嫁を待たせるものではない。手を出す出さない、契約書を作る作らない、この世の果てまで逃げる。好きに、自由に生きよフィラント」
——好きに、自由に生きよフィラント
この台詞、いつか聞いた。うんと大昔。しかしいつ、どんな時だったか全く思い出せない。
フィラントはユース王子の手に追い払われた。フィラントは軽く会釈をした。ベランダを後にして、部屋からも出る。顔見知りなので、王宮騎士達にも一礼した。
「フィラント様、元気そうでなによりです。この度はおめでとうございます。これを、ずっと渡したいと思っていました。聖ヴィアンカ=クロノスに祈ってもらった品ですので、どうぞ使って下さい。あの時の子、もう5つになります」
王宮騎士の1人に声を掛けられた。この騎士は誰で、何の話だ? 面識が無い、年も10歳程度上。5つになりました? 5年前といえば、スヴェト山脈の麓で野営をして凍死しかけた。あれは、中々辛い戦場だった。あの戦いに、王宮騎士は参加していない。
そう思ったが無言で差し出された物を受け取る。
正円十字架の絵柄をあしらった銀色のカフリンクス。質の良さそうな金属で、教会最高権力者に祈ってもらったとはとんでもない代物。
礼を言って、フィラントは王宮騎士へとカフリンクスを返した。
「神聖な品のようですので、お子さんがより息災に生きられるように御守り代わりにどうぞ使って下さい」
フィラントは戸惑う王宮騎士の手にカフリンクスを握らせた。人違いか、勘違いでも感謝は嬉しい。背を向けて、重たいながらもどこか軽い足を動かす。
昨夜、眠れなかったので眠くてならない。軽く湯で体を洗って、いつでも寝れる準備をしてエトワールに契約書の話をしよう。ユース王子は阿呆とバッサリ却下したが、嫌われているところから親しくなりたいという我儘な自分にはもしかしたら有効かもしれない。
夜に話しに行くとは、彼女とあわよくばと思っているのか? 今日だけは結婚初夜であるし、ユース王子が口にしたような言い訳がある。挙式の時のキスのように、手を出すのか? キスとは次元が違う。
嫌われて怯えられているなら、それ以下はもうないし、いっそ。実に利己的。自分本位。
フィラントは消えようとしている理性と葛藤しながら、1階へ向かった。




