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騎士と子爵令嬢、結婚する

 正円十字架、平等の象徴である神の印。祭壇に飾られる女神像をぼんやりと眺める。フィラントの中の女神というと、高熱で浮かされていた時に見た、薄ぼんやりとした視界の中の女性。あの時、顔ははっきりしていなかったが、慈愛に満ちた小さな歌や、労りの手つきはよくよく覚えている。そのエトワール令嬢と、これから婚姻……。


 スタンドグラスから差し込む光が、特別礼拝室を七色に輝かせている。半年前に、返り血を浴びながら戦場を駆け抜けたのが嘘のよう。


 鳴り響くパイプオルガン。他は水を打ったように無音。


 布が擦れる音と、足音が近寄ってくる。


 今なら間に合う、今ならまだ間に合うとフィラントはグルグル、グルグルと自問自答した。


 目で見て愛でたいというだけで、エトワール・シュテルン子爵令嬢の一生を縛ることになる。引き返すなら、取り止めてもらうなら今しかない。手元に置いたら、離せない自信がある。今、もう既にその状態か。


 神父に目で促されたので、フィラントは花嫁の方へ体を動かした。


 真っ白いドレスに、長い花柄のヴェールを纏ったエトワール令嬢がジャン・シュテルン子爵に連れられて、真紅の絨毯をゆっくりと進んでくる。


 血染めの道を、傷つきながら歩いてくるのではないか。そんな気がしてくる。後方の扉が開いて、誰かがエトワール令嬢を攫いに来れば良い。フィラントの足は全く動かない。


 この場で彼女を待っていたい。間も無く、エトワール令嬢がフィラントの腕に触れる。今日、この日だけフィラントはエトワール令嬢の頬にキス出来る。彼女をいつか手離さなないとならないが、今は嫌だ。いや、一生嫌だと思い続けそう。


 レグルスに「お前はすぐ諦める」と言われたが、ちっとも諦められていない。利己的な自分に嫌気がさす。


 ジャン・シュテルン子爵がエトワール令嬢のヴェールを上げた。少し派手な化粧なので、大人っぽく見える。天使というより、祭壇前の女神像のよう。フィラントの足が微かに震えた。


 青でも緑でもない瞳に見つめられ、微笑まれると、もう動けなかった。1日中、遠くから眺めていたい。自然とフィラントの腕はエトワール令嬢へと伸びた。掌にそっと乗せられたエトワール令嬢の手はとても小さかった。剣を持つように握ったら、骨が砕けてしまう。細心の注意を払わないとならない。


 エトワール令嬢の手を自分の腕に誘導して、フィラントは神父へと向き直った。宣誓の台詞は暗記済み。エトワール令嬢を逃す気なんてさらさら無かったということだ。


 フィラントは奥歯を強く噛んでから、口を開いた。


「病めるときも、辛いときも、悲しみのときも、貧しいときも、苦しいときも、恐怖に襲われていても、心臓を突き刺されようともこれを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、命ある限り、真心を尽くすことを誓います」


 大きく呼吸をして、続きを口にする。


「フィラント・セルウスはエトワール・シュテルンを伴侶として迎え、神への宣誓に従い続けます」


 フィラントに続いて、エトワール令嬢がゆっくりと唇を動かした。


「エトワール・シュテルンはフィラント・セルウスと同じ宣誓を神へと捧げ、従い続けます。死が2人を分かつまで愛し、慈しみ、貞節を守ることをここに誓います」


 ん? とフィラントは首を傾げそうになった。打ち合わせ段階と台詞が違う。死が2人を分かつまで? そんな宣誓をしたら……。愛し、慈しみ? 貞節を守る?


 向き合って、エトワール令嬢を眺める。中腰で目線は少し下。穏やかに微笑んでいる。


 エトワール令嬢がゆっくりと体を起こして、フィラントを見上げた。やはり、優しげな笑顔。とても親しげな表情に見える。罪悪感で胸が苦しいが、嬉しい結婚なので幻覚と錯覚?


「神は2人を祝福するでしょう。誓いの証の交換を」


 神父が差し出した結婚指輪を手に取って、エトワール令嬢の細い左手薬指へ嵌める。エトワール令嬢も同じようにフィラントの左手薬指へ結婚指輪を嵌めた。


 彼女の華奢な肩に手を添え、頬に唇を寄せる。


 ……ん?



 ☆★



 私は勝手に宣誓の台詞を増やしました。


 そして、次は誓いのキス。アピールすると決めたので、とことんします。


 私は頬に顔を寄せたフィラント様の唇目掛けて特攻しました。


 正真正銘のキス。フィラント様の唇に自分の唇を重ねます。フィラント様の胸元の服を引っ張って、目一杯背伸びをしたら届きました。


 そっと、触れるだけ。


 柔らかくて、温かい。緊張で爆発しそうな心臓の鼓動が、私の耳を攻撃しています。この音、フィラント様や神父様にも聴こえているかもしれません。


 初めてのキスは、終わりのキスかもしれない。神様にフィラント様への永遠の愛を誓ったので、私はフィラント様以外の花嫁にはなりません。出会ったばかりなのに、この決意に何の迷いもありません。


——すみませんエトワール様……宝物だと思って大事にします。どうかいつも笑っていて下さい


 あの夢の中か現実なのか分からない言葉、本当に言われたと思うのです。


 フィラント様は私を宝物として大事にしてくれる。この1ヶ月、ずっとそうでした。なので、間違いなく私は幸せ者になれます。なので、私もフィラント様を宝物のように扱います。


 いつも笑っていて下さいということは、私を傍にいさせて見ていたいという意味でしょう。それなら以心伝心です。


 離れた時、フィラント様がどんな反応を示すのかが大切。私はそっと目を開きました。


 ぼんやりとして、赤黒い顔でした。驚きと照れ。多分、そう。これなら、大丈夫。生理的嫌悪がないなら、どうにかなります。


「神の名において、フィラント・セルウスとエトワール・シュテルンを正式な夫婦として認めます」


 神父様がそう告げると、特別礼拝室内に祝福の拍手が巻き起こりました。参列者の大半は私やフィラント様の顔見知りではなく、カンタベリ一族です。おざなりな拍手ですが、両親が祝福してくれれば十分。レグルス様とフローラ、私達の従者も心の底から祝ってくれているように見えます。十分より幸福なことです。


 私はそっとフィラント様の手を取りました。ギュッと握りしめます。


 フィラント様に思いっきり素敵な笑顔——素敵であろう笑顔——を見せます。鏡で何度も練習し、侍女達やフローラにも確認してもらった笑みです。


 それで、私はもう一度目を閉じました。


 神様。私はフィラント様と2人で幸せになります。どうか、欲深い娘を見守って下さい。毎日祈り、感謝し、奉仕活動もしてきました。これからも続けます。



 ☆★


 

 フィラントは目の前で目を閉じたエトワール令嬢に、そっとキスをした。


 何故、エトワール令嬢は再度また目を閉じたのか?


 誓いのキスは2度が正式だったか?


 覚悟してフィラントの妻となるというのなら、歩み寄らないとならない。挙式の宣誓の一部だから許される。そういう言い訳。建前。


 単にキスしたかっただけ。


 最後かもしれないので、少し唇を離すのが遅くなった。

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