騎士、手離せない
明日、ついにエトワール令嬢と結婚となる。俺はレグルス・カンタベリ領主邸のベランダから、ぼんやりと夜空を見上げた。闇夜にちらちらと光る星々。
あまり好きなものや興味のあるものはないが、星を眺めるのは落ち着く。
——フィラント様に歩み寄ってもらわなくて結構です。私が勝手に近寄ります!
先週、サン=ガリル聖堂でそう怒ったエトワール令嬢。
——嫌な相手にごま擦りするのは大変そう、と可哀想そうに思うなら擦り寄る必要がないようにお前自ら近寄って、情報提供してやったらどうだ?
レグルスにそう指摘され、自分でもその通りだと納得したのに、上手く出来なかったからだ。それにしても、エトワール令嬢は情報収集が下手なのではないか? あんな、感情的に怒っては密偵役にはなれない。
そう思ったが、そんなことはなさそう。あれからエトワール令嬢は俺に突撃してくる。会うたびに質問責めである。一昨日、職場にまで顔を出したのには驚きしかなかった。門番の騎士を味方につけたらしい。
——こんにちはフィラント様。近くまで来ましたので差し入れです。サンドイッチはお好きですか?
バスケットを持って、ニコニコ笑いながらそう問いかけてきたエトワール令嬢。食べ物の味は、毒以外はあまり良く分からなくなっているので、好きなのか? と聞かれても困る。好きでも、嫌いでもない。無味なので興味が湧かない。
今まで、誰も俺の食の好みなんて聞かないので困る事は無かった。これからは、大雑把に食の好みを設定しておくべき。社交場で困惑する前に気がつけて良かった。しかしなんで質問事項が、食の好みや景色の感想など雑談ばかりなのか? ジャン・シュテルン子爵が求める情報だとは思えない。
「マリッジブルーか? いや、お前はずっとブルーか。そんなに、心底嫌なら撤回してもらおうか? 明日、ユース王子が来るから2人で頼み込めば多分逃げられるぞ」
気配がして、声を掛けられたので振り返る。レグルスがワイングラス2つとワインボトルを持っていた。
「まさか、そんなことないだろう」
「いや、そんなことある。お前は何でも最初から諦める。そりゃあ長年そういう生活だった。でもよ、これからは違う。フィラント、お前にも選択権があるんだ。そんなにエトワール令嬢に申し訳なくて、可哀想で仕方なくて、近寄りたくないなら止めろ。手回ししてやるよ」
信じられない発言に、動揺しているとレグルスにワイングラスを渡された。大事な挙式前に飲む気にはなれない。それも、苦手な血のような赤ワイン。食事同様に酒の味も良く分からないが、酩酊感は好きだと思う。ただ、赤ワインは見た目が苦手だ。
「ありがとうレグルス」
ヒョイっとワイングラスを俺から遠ざけたレグルス。
「大事な挙式前に飲んだりしない。それに赤ワインは苦手だ。何故、それを言わん。俺は長年見てきたからお前のことを知っているが、他の奴には言わないと伝わらんぞ」
赤ワインを苦手だなんて、レグルスに話した事はない。
「どうして知ってる? さあ、どうしてでしょう? で、どうするんだフィラント。自分で決めないなら、俺が決めてやろう。明日の式は中止。婚約破棄に結婚破断だ」
「え? おい、レグルス、そんな事……」
「出来ると言っている。何せ真面目で勤勉かつ優秀で忠実なフィラントへ、ユース王子からの褒賞だ。言わないけど相当、国王陛下に頭を下げたぞ。奴隷身分抹消に騎士爵授与の際と同じだ。告げ口するなって口止めされているが、お前が阿呆なのでバラす。ユース王子に質問したりするなよ。下手すると俺、過疎地に飛ばされる」
衝撃的事実に俺は固まった。思考が追いつかない。
「嘘……ではないんだな……何でまた俺なんかの為に……」
「さあ? 俺はユース王子ではないから知らん。まあ、気持ちはとても分かるけどな。よし、良かったなフィラント。お前の可愛い天使は逃げられる。 今回の件を踏まえて、欲深くて堂々と浮気するような娘を選んでやろう。というか、そっちならすぐ見つかる」
レグルスは部屋に戻っていった。と、思ったら戻ってきた。ワイングラスとワインボトルは消え、今度はショットグラスを持っている。中身は恐らくレグルスが好きなテキーラ。
「挙式が無いから飲めるな。祝杯しようフィラント」
差し出されたグラスに俺は手を伸ばしかけて、途中で腕を下ろした。これを受け取ったら、本当に明日の結婚式は中止だろう。レグルスの真剣な目がそう訴えている。
——すみませんエトワール様……宝物だと思って大事にします
その言葉が俺の気持ちの全てだ。全力で逃すより、自分の気持ちを優先させた。挨拶をして、笑いかけられたいし、いつかは談笑してみたい。ここで手放したら、永久にそんな日は来ない。
「ふーん。その顔、難儀な男だな。なら、俺は寝る。ユース王子に俺が話したことは言うなよ。自分で決めろ」
1人で2杯テキーラを飲むと、レグルスは去っていった。
俺は、自己嫌悪と葛藤で一睡も出来なかった。




