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騎士、困惑が続く

 間も無く日付が変わるだろう。そんな時刻になってしまった。フィラントは遠くからジャン・シュテルン子爵邸をぼんやりと見上げた。まだ1階の灯りがついている。しかし、こんな時間ではエトワール令嬢に会いにいけない。


 酒場で起こった喧嘩の仲裁。少年ギャングにヤイヤイ絡まれ、変な客から逃げる娼婦には縋りつかれる。挙句に強盗事件。ジェラール小隊長に少し話を、という予定だったのに疲れた。結局、週末の仕事調整は出来ていない。明日、仕切り直ししないとならない。


——オットーにフィラント様の夕食を用意してもらいます


 無理そうですという伝令を出す余裕が無かった。


 門の前に騎士団から貴族邸へ出向している護衛兵が立っている。彼等がいなければ、ジャン・シュテルン邸は自分の所有物で従者の雇用者だからと屁理屈こねて屋敷へ入れる。いや、入ってどうする。エトワール令嬢はもう寝ているだろう。一言謝罪をするにも非常識な時間。


 朝一で謝罪しよう。フィラントは護衛兵に労いの声掛けをして帰るかと、彼等に近寄った。


「お帰りなさいませフィラント様。エトワール様がお待ちです」


 門の前に立つ、今夜の護衛騎士ビルに騎士挨拶をされた。


「お役目ご苦労。ありがとう。あー、お帰りなさいにお待ちです?」


 この屋敷は建前上ではジャン・シュテルン邸で、フィラントとは無関係。ということになっている。それから、お帰りなさいなんて台詞は滅多に聞かない。とてつもない違和感。


「何故ですかフィラント様。どうやって、お帰りなさいなんて関係になったんですか!」


「どういう事ですか副隊長! 自慢ですか⁈ 何で夜間警備で上司の惚気を見せつけられないといけないんですか!」


 夜だというのに、少々喧しい声を出したビルに彼の後輩マルク。


「エトワール様、1時間ごとに私達に差し入れの紅茶を持って来てくれるんです」


「そうだなマルク。それで、俺とマルクのどちらへのアプローチなのかと、当然俺だと思って浮かれていました」


「そうです。ちんちくりんな先輩ではなく自分だと思って、心の中で先輩を見下していました。とても気分の良い勤務時間です。4時間程前までは……」


 2人揃って、遠い目をしている。それに大きなため息。


「フィラント様がお見えになったら、お帰りなさいとお迎えして下さいね」


 エトワール令嬢とは全く似てない高い声を出したビル。


「フィラント様、大変なお仕事なんですね」


 マルクもビルと似たような声を出した。


「フィラント様は激務なのですね」


「フィラント様、いらっしゃいました?」


 ビルとマルクの目が据わっている。どうやらエトワール令嬢はレグルスが用意した筋書きに実に忠実らしい。


「フ、フローラ様を通して少々な……」


 誰かに何か聞かれたら、この言葉を使うことにしている。しかし、何でこんな面倒な嘘をつかないとならない。上官の命令で、いたいけな子爵令嬢と無理矢理結婚して子爵の座を簒奪する。それが真実なのだから、ありのままを語りたい。まあ、立場上許されないのは理解している。レグルス新領主に良い印象を。その為の嘘。


 トトトトトと微かな足音がして、フィラントは音の主を探した。屋敷の方からエトワール令嬢が駆け寄ってくる。エトワール令嬢はせっかちらしい。いつも走っている気がする。


 夕方少し前に見た水色のドレス姿。ふわふわとプラチナブランドの髪が揺れている。


「はあ……可憐だ……」


「俺だけの妖精を見つけたと思ったのに……」


 ビルとマルクに恨めしそうに見られる。違う! とつい口にしそうになって慌てて唇を結んだ。しかしまあ、エトワール令嬢は見目麗しいので、もうこのように男の心を鷲掴みにしているのか。いや、中身か? 両方なのか?


 やはり、そのうち何処かの誰かと恋に落ちるのだろう。想像したら胸がチクチクした。槍で肩を刺されたより、は大袈裟だな。あの時の方が痛かった。しかし、辛い。「今晩は」と言う、至福の挨拶時間が無くなるのか……。


 ユース王子やレグルスの顔を立て、伯爵位を維持した上で、エトワール令嬢を逃す方法。この難題の解答は思い浮かんでいない。


「フィラント様! お仕事お疲れ様でした。お帰りなさいませ。お腹が減っていますよね? 疲れていますよね? 寒かったですよね? お怪我はありませんか? 無さそうですね」


 突然の質問責めに、返事をする隙が無い。


「はい。怪我などしておりません。エトワール様、夕食に招いていただいたのに、仕事に追われてしまい申し訳ありませんでした。あの、こんな夜更けに……」


「ええ、ええ! フィラント様。働き者だと、頼られると捨て置けないと噂で聞いております。なので、遅くなるだろうとお待ちしておりました」


 両手を握りしめて、祈るような仕草。視線は下。困ったような微笑。これは、どういうことだろう?


「談話室の暖炉をつけてあります。どうぞ、疲れた体を労ってソファで寛いで下さいませ」


 エトワール令嬢、完璧な演技力である。これならビルとマルクはフィラントとエトワール令嬢が恋人だと思うだろう。思ったらしい。顔が引きつっている。ビルなど少し涙目。


「お仕事お疲れ様です。朝、スープをお持ちしますね」


 エトワール令嬢がビルとマルクへ優しい笑顔を向けた。


「このビル、例え足が折れてもエトワール様をお守りします!」


「マルク騎士は地獄から蘇ってでもエトワール様をお守りします!」


 少しムスッとしてから、エトワール令嬢がクスクス笑い出した。


「護衛で怪我や死ぬなんて困ります。どうか危ない時は逃げて下さい。連日、護衛兵となって下さる騎士様は、皆様頼もしそうで安心しています。ありがとうございます」


 エトワール令嬢の優雅な一礼に、ビルとマルクがデレデレした表情を浮かべた。その後、2人に冷ややかな目で見られる。


 さあ、行きましょう。そういうようにエトワール令嬢に目で合図を送られた。


 フィラントはエトワール令嬢と並んで歩き出した。

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