騎士、混乱する
上着を羽織り終わる。ふうっ、と小さく息を吐いた。エトワール令嬢を放置するなと叱責するはずが、従者に逃げられた。
それに、彼等の発言がよく分からない。エトワール令嬢が家族や家を背負って、自分に気を遣い、ごま擦りするのを手伝おうなど……。
レグルスが用意した従者だからか。今のところ、全員良い働き手だと思っているので、他の者と交代させるか悩みどころ。
それに、監視役も兼ねているだろうフォンやヴィトリアは変えられない。
「あ、あ、あの……フィラント様。本日も、もうお帰りですか?」
背中にタタタタタという駆け足の靴音と、エトワール令嬢の小さな声。
心臓がいきなり騒ぎ出す。振り返ったが、心の準備をしていないので顔が見れない。
「はい。仕事がありますので。走るとまた転びますよ」
初対面の時よりは、普通に話せてホッとした。
それにしても、ドレスの裾さえ可愛い気がする。
淡い水色のドレスは似合っているが、伯爵夫人の普段着にしては質素で地味。今度フローラ様や侍女達と買い物に行けるように手配しよう。
いや、質素で地味でも本人が落ち着くなら良いか。
好きなものを、好きなだけ買ってもらいたい。その為にうんと働こう。
「粗忽者ですみません。気をつけます。そうですか……あの、明日もお忙しいですか? 明後日も?」
あまりにも寄る辺のない、悲しそうな声色。しかも、小さい。思わず顔を上げていた。
エトワール令嬢は困り笑いを浮かべていた。今日は灰色にみえる瞳が潤んでみえる。
俺が買ってきた白いデイジーが、まだ髪に飾られている。気がついていないのだろう。それか、贈り主を知らない。寝てる間に勝手に飾ったので当然か。
床で丸まって寝ているのは如何なものかと談話室のソファへ運んだが、許可も得てないのに触ってしまった。今、謝っておくべきだろう。
口を開きかけた時に、不意にフォンの言葉が脳裏によぎった。
——おい、フィラント。言われた通り、エトワール様とお茶をして、雑談して、夕食も摂っていけ
そして、エトワール令嬢の台詞。悲しそうな声。
——本日も、もうお帰りですか?
本日も……。
「明日、明後日は領地の端まで視察です。遠いので泊まりがけで……」
そうですか、と口にしたエトワール令嬢はとてもションボリして見える。
従者達の指摘はこれ? エトワール令嬢は俺とお茶をしたい……? 苦手な相手を克服しようということか?
「その分、今夜は体が空いてます」
お茶をしたいと思われている。それが、勘違いだったら、こう言い訳しよう。
——なので、忘れていた仕事をしに職場に行きます
しかし、エトワール令嬢の反応は予想とは大きく違った。ぱああああと花が咲いたように笑ったのである。微笑みではなく、もっと屈託無い笑顔。
か、可愛い。眩しくて見てられない。しかし、見たい。視線が彷徨う。
「それでお仕事に……。どうか体には気をつけて下さいませ」
また萎れ声。
「……エトワール様。マドレーヌはお好きですか?」
「へっ? あ、はい! 先日買ってきてくださったマドレーヌ、大変美味しかったです。ありがとうございました」
「では、あの、本日はまだ何も買ってきてませんので戻る時にでも買って……」
言葉は途中で行方不明になった。エトワール令嬢がまた笑っている。可憐な笑顔で、口元を手で覆って、楽しそうに肩を揺らしている。
「いえ、毎日美味しいものばかり食べて太りますのでお気遣いいただかなくて大丈夫です。あの、戻ってくるのですね。お時間があって、戻ってくるのですね。オットーにフィラント様の夕食を用意してもらいます」
何がそんなに楽しいのだろう? クスクス笑いながら、エトワール令嬢は俺の顔を覗き込んだ。
「いってらっしゃいませフィラント様。あの、お待ちしております。エトワールはなるべく早く本日の課題を片付けておきます」
優雅な会釈をしたエトワール令嬢は、背中を向けて、ゆっくりと談話室へ向かっていく。途中から速度が上がり、談話室に駆け込んでしまった。
これは、どう判断するべきだ?
「あれか、何かねだりたいとか……。式前に俺に取り入っておこうとか……そういう計算では無さそう……」
ポソリと独り言が漏れた。
苦手な相手とお茶をしたい? 頬を抓ってみる。痛い。夢では無いらしい。
——毎日美味しいものばかり食べて太りますのでお気遣いいただかなくて大丈夫です
レグルスの言っていた通りだった。今のやり取りについても、レグルスに意見を聞くべきか。しかし、フローラ様といちゃいちゃしている所を邪魔すると怖い。女絡みのレグルスの恨みは恐ろしい。
——そうだ、俺はエトワール令嬢がごますりしないといけない相手。なので彼女を大事にしていれば、談笑くらい普通に出来るかもしれない
もう?
何もしてない。
腑に落ちないが、取りあえず週末の仕事の予定調整に行くかと屋敷を去った。
エトワール令嬢と夕食。向かい合って食事をする?
気を遣われているのだ、そう自分に言い聞かせつつも、俺の足取りは軽くなっていった。




