騎士、困惑する
真冬なので寒い。王都から馬で3日。久々の野宿は堪えた。家が貧しくて捨てられたので、俺は貧乏性。途中にある領地の宿に泊まるより、野宿を選んでしまった。
こんな性格で、子爵令嬢と上手くやっていけるのだろうか? 無理だろう。国王宰相が選んだ娘なので散財癖があったりはしない筈。常に執事や侍女に確認して、一般的な生活をしてもらう。貧乏性の俺目線の独断と偏見による判断は禁止。
そもそも、若い女性とロクに話した事がない。更に伯爵位に騎士団副隊長の役職。不安しかない。
無事に何事もなくアストライア領地に到着したが、日が落ちてしまった。レグルスへの挨拶は明日にしよう。まずは宿の確保。安い宿で良いが、今夜は寝台で寝たい。
アストライア領地の大通りは、中々賑やかだった。夜市をやっている。3年前から交易で潤い始めた領地だと聞いているが、確かに住居の数に比べて人が多い。健全そうに見える夜市だが、強盗やスリなどが横行しているだろう。酒場周りも騒がしい。
裏路地にチラホラ見える娼婦らしき女達の姿。そっと路地に消える男達。これは、そこそこな規模の人身売買があるな。
レグルスが何故この領地の領主になるのか理解した。運営が難しそうな土地を調べて、それとなく頼んだのだろう。レグルスは自信家で、やる気に満ちている。レグルスの父親が用意するレグルスの側近や俺は援助役。
騎士団副隊長だけでも気が重いが、レグルスの側近にもされる。誇らしいし、自分なりにレグルスの力になるが、胃の辺りがキリキリする。
安い宿を見つけ、部屋を確保したので、俺は地図を見ながら勝手に買われた屋敷を探した。チラリと確認したかった。
質素倹約が信条で、それはもうお金を貯めに貯めていた。アルタイル城の金庫に預けていた私財。その俺の貯金がガクンと減っていた。
倒れると思った。これからの給料を聞いて、倒れた。格差社会は恐ろしい。貧困による口減らしで森に捨てられた自分が、拾われてからは税を使われる側。
で、今回のとんでもない出世でその金額が一気に跳ね上がった。レグルスを上手く誘導して、アストライア領地を住みやすい国にしたい。捨て子なんて出ない方が良い。
「うわあ……俺に合わせて地味な屋敷を探したって……嘘だろう……」
見つけた自分の屋敷は暗闇でも立派な屋敷だと分かるものだった。3階建てで窓が沢山。屋敷を囲う砦と屋敷までは数十歩ある。よじ登るのは無理そうな大きな門。渡された鍵を上着の内ポケットから出した。
開けようとしたら、門はキイイと開いた。鍵のかけ忘れとは不用心。この中古の屋敷には残っている家具がかなりあるらしい。盗まれていたら買い足さないとならない。益々、お金が減ってしまう。
門から屋敷まで続く石畳。庭は殺風景。庭というか単なる土である。来週、職人が来るとか何とか聞いている。それでも出費か……。
屋敷の扉をそっと押してみる。こっちも鍵が掛かっていなかった。
おい! 誰だこのずさんな管理者!
「おかえりなさいませ旦那様」
扉を開けた瞬間、目の前の暗闇に白い影。おまけに話しかけられたので俺は剣を鞘から抜いていた。
「誰だ貴様!」
「はい? 何でしょうか? 旦那様、夜遅くまでお疲れ様です。このナタリア、奥様をお部屋にご案内しておきました」
はあ?
目が慣れてきて、眼前の白い影が老婆だと分かった。白いのは服で、頭もなので白髪だろう。俺は老婆の返事に、喉を詰まらせた。
出迎えなんていない筈なのに「おかえりなさいませ」と俺を迎えたナタリアと名乗る知らない老婆。俺はもう1回、同じことを質問した。殺気がないので、今度は割と丁寧に「どちら様でしょうか?」と。
なのに耳が遠いのか、フィラントの問いかけに返答は無かった。
「奥様はこちらです」
歩き出したナタリア婆さん。くすんだ色だが、そこそこ質の良さそうな服を着ていて、中々品のある動作。ボケて徘徊して、迷い込んだのだろうか? これで盗賊なら……ないない。人を見る目はある方。教養が分かる所作や人柄が滲む皺は繕えない。とりあえず、様子見。
奥様とは誰のことだ?
このような老婆、雇用者にはいない。名前と年齢を確認したが下は侍女で15歳、上は執事で61歳。
それだけではない。明後日の朝から、買い足した家具が運ばれて、従者も到着すると聞いている。
なので、やはり誰だこの婆さん。
謎の老婆はニコニコしていて、無害そうな顔に、緩慢な動き。どうも捕らえる気になれない。
「奥様はこちらです」
同じ台詞が5度目。屋敷に入って、ホールで遭遇して1回。こちらですと呼ばれて、3階に行って2回目。向こうでしたと言われて2階へ来て3回。今いる客間の隣の扉を開けた時に4回目。そして今、5回目である。
やはり、このナタリア婆さんはボケている。家族を探して返すしかない。捨てられたとかなら、どうするべきか考えないといけない。
ナタリアが不意に扉を開いた。先程は直ぐ閉めたのに、今度は小首を傾げて、部屋の中へと進んで行く。
「そうそう、ここでした。奥様の鞄がありますもの」
「ナタリアさん、先程から奥様とは誰の事ですか? 貴女はどちらから来ました?」
大きな声を出したが、どうせ返事は無いだろう。やはり、無かった。
俺は部屋をザッと見渡した。寝台があって、机と椅子があって、ソファもある。机の脇に割と大きい鞄があった。ナタリア婆さん、多少はボケていない? それともこれが全部演技? それなら巧み過ぎる。
俺は警戒心を強くした。
「はい? 何でしょうか旦那様? 耳がねえ、遠いんですよ」
またこの言葉。声を掛けても返事が「はい? 何でしょうか?」ばかり。
「まあまあ奥様。こんなところで眠ってしまうなんてどうしたのかしら? 旦那様が帰ってきたのでナタリアは用無しですねえ」
奥へ進んだナタリアが、頬に手を当てて俺の方へ体の向きを変えた。
「ナタリアはお役目を果たしたので、これで安心して寝れます」
おほほほほ、と笑いながら寝台へ向かっていき、布団に潜り込んだナタリア。どう出る、と観察していたが、しばらくしていびきが聞こえてきた。
目に見える範囲にいるし、殺気は無いし、本当そうなので寝かせておこう。当然だが、いつでも斬りかかれるように意識しておく。
机の脇の床に置いてある鞄を軽く確認すると、中身は衣服、それも女性物のよう。机の上に羊皮紙が乗っていた。暗くて読めない。
——まあまあ奥様。こんなところで眠ってしまうなんてどうしたのかしら?
状況不明。俺はナタリアが見た所を確認した。
部屋の隅に人影。近寄ると膝を抱えて座っている女性のように見えた。長い髪にドレスだからという理由だけなので、変装した盗賊という事もあり得る。俯いていて顔は見えないのが不気味。
「もし、貴女はどちら様でしょうか? ここは私の屋敷です」
剣の柄を握る手に力を入れる。チラリと寝台を確認したが、ナタリア婆さんは無反応のよう。
もぞもぞ、と目の前の者が動いた。
「私の屋敷とは、もしやフィラント様? ああ、良かったです……呼ばれたのに高齢の侍女が1人のみで、困り果てておりました……」
震えているが、おっとりとした口調に心地良い音色の声。
俺は固まった。
この声……探していた野戦病院の娘が目の前にいる。この声は間違いなくそう。
瞬時に考察が脳内を駆け巡る。ユース王子かレグルス、または両者がこの娘を探して俺の結婚相手として用意した。
俺の政略結婚相手、ジャン・シュテルン子爵令嬢エトワール。
その人こそ、俺が探していた娘。
「エトワールでございま……」
やはり正解らしい。俺が気がついて隠す前に、エトワール令嬢の視線が、俺が手に握る剣を捉える。彼女は壁へ背中を貼り付けた。身を縮めるエトワール令嬢。
何だこの状況。そしてこの再会の仕方。
俺は結婚相手に最悪の印象を与えたようだ。