子爵令嬢、嫉妬する
フィラント様とお茶を出来なかった事件から3日経過しました。フローラは大袈裟と笑いますが、私には死活問題です!
あの日から3日、フィラント様が早い時間に来訪することはありません。声が小さいことで好機を棒に振るなんて……と寝る前に会話の練習をしています。見つかったら恥ずかしいので、1人でです。
侍女アンナへの刺繍指導が終わり、窓の外を見ました。今日は雲が多くて、今にも雨が降りそうな天気。まだ昼間なのに、薄暗いです。
アンナは指導なんて要らないくらい刺繍が上手いです。なので、単なる雑談会。
アンナはミレーやサシャと違って子爵令嬢。フローラのところで働いていたのは、お金のためだけではなく花嫁修業です。私はフローラからアンナの世話役を引き継ぎました。でも、アンナはもう一通りの事を学んでいるので教えることなんてありません。なので、アンナのレッスン時間は私の息抜き、相談時間です。
私は密かにアンナを友達だと思っています。多分、アンナもです。
「私の縁談もエトワール様のようだと良いです。父がそろそろ、と言っていますが不安しかないです」
「最近、恋愛結婚も増えているそうですから社交場でこっそり気になる方と接触するのはどうです? 私とフィラント様の結婚式が終わった後、私の付き添いで社交場へ顔を出すように……」
言いかけて、私は唇を結びました。私とフィラント様の結婚式。2週間程度で、私とフィラント様は夫婦。お茶くらい、焦ったり悩まなくても出来るようになります。
それとこれとは別です。私は今日、今、フィラント様とお喋りがしたいです。1回しか見ていない笑顔を見たい。
「エトワール様? エトワール様? 話の途中で惚けないで下さい。もうすぐ結婚で浮かれるのは分かりますが、今は私の話です」
「っは! ごめんなさいアンナ。そう、そうです。アンナは社交場で気になる方を探して、フィラント様に頼めば良いのです。私がアンナとフィラント様の間に立つ。フィラント様にはレグルス様がついているので人脈豊富になる予定。預かっている貴族侍女への世話は伯爵夫人の仕事です」
少しムッとしていたアンナが、嬉しそうに笑いました。
「エトワール様ならそう言ってくれると思っていました。是非、よろしくお願いします。幸せ、分けて下さい」
もちろんです! と私は両手の拳を胸の前で握りました。
「その仕草、可愛いですけど屋敷外では禁止ですよエトワール様。ヴィクトリア様に大叱責されますからね」
くすくす笑いのアンナ。
「これだと、世話役がどっちなのか分かりませんね」
コンコン、とノック音が響きました。
「エトワール様。緊急事態です。旦那様が屋敷へ向かってきています」
サシャの声に、私は慌てて扉を開きました。
「まあサシャ、ありがとう。フィラント様がこんな日の高い時間に?」
「3階の掃除をしていたら、通りの向こうに見えました。そんなに時間はかからないかと思います」
これは、どうしましょう。今日、美人化粧という魔法を使えるミレーはお休みで実家に帰っています。私、あまり器用では無くて、まだミレーの技を取得出来ていません。
「まあ、困りました。ミレーはいないし……服くらい変えましょう」
「エトワール様ならそのままで可愛らしいですよ。服もそうです。支度時間、無さそうですよ」
そう言いながら、サシャが窓の方へと近寄っていきました。
「旦那様速い。さすが疾風の黒隼騎士」
私はサシャの隣に並びました。フィラント様の姿、見つけられません。アンナも私の隣へ来ました。
「疾風の黒隼騎士?」
私とアンナが小首を傾げると、サシャが窓の向こうを指差しました。
「ほら、あれですエトワール様。黒い身なりに黒毛馬。あっ、加速した。うわっ、あれが隼。痛そう……」
痛い⁈ 私は窓に張り付きました。フィラント様が怪我をしただなんてどうしましょう! 通りの向こうに黒い馬を見つけました。他にも馬がいます。遠いし人も多いのでよく分かりません。
「サシャ、フィラント様がお怪我を? それなら行かないとなりません」
「いえ、エトワール様。怪我をしたのは何かの罪人です。馬の上から、こう、急降下する隼みたいな突きでブスッ、ブスブスッて。私、隼につつかれたくないので常にエトワール様の味方でいます」
手振りを付けて説明したサシャ。想像をして、身震いしました。フィラント様は騎士なので、そんな風に人を傷つける。あの優しい手が、誰かの命を奪っているかもしれない。きっと、とても心苦しい思いをしているでしょう。しかし、それがフィラント様の仕事。世の中、大半の者が仕事を選べません。
「エトワール様、フィラント様が怖いです?」
アンナの問いかけに、私は小さく頷きました。
「ええ、少し。私、フィラント様がどんな風に生きていたのかまるで知らないのですもの。暗闇の向こうが怖いのと同じです」
「あちこちの戦場に行ったり、毒味役とかしてたらしいですよ」
え?
私は発言主のサシャを見つめました。
「一昨日、マドレーヌをありがとうございますって報告した時に聞いたんです。エトワール様、知りたいかなって思いまして。あー……良くなかったようですね……」
引きつった顔になり、後退りして、頭を下げたサシャ。私の眉間に自然に皺が出来ます。
「いえ、何も悪いことでは……。そうですか、私の為に……」
サシャは悪くないのに、非常にモヤモヤします。グルグル、グルグル、黒い影が私の中で回っているみたい。かなり、不愉快。私はこの2週間少々、フィラント様と「今晩は」くらいしか会話していないです。でもサシャはフィラント様の過去という、とても深いところに踏み込むことを許された。黒隼騎士という名前も、いつ知ったのでしょう……。
「私……私はとても心が狭いようです……」
こんな些細なことで泣いてはいけません。
「あー、エトワール様がヤキモチ妬きなことを覚えておきます」
「ヤキモチ……」
今まで読んだ小説で、何でそんな嫌な態度を他人にするのかな? こんな事で、と思っていましたが腑に落ちました。これがヤキモチ。かなり、良くないと思います。私は鏡の方へと移動しました。
ぶすくれた、不機嫌そうな女が映っています。これは、かなり不細工です。それにサシャの立場に立ったら、嫌なだけではなく怖いでしょう。些細なことで主を不機嫌にさせたなんて、恐ろしいことです。
「酷い顔……こんなの、気をつけます。私が自分でフィラント様と会話をすれば良いだけです。前回は声が小さくて、昨日と一昨日も緊張し過ぎました。自分のせいで、サシャは悪くないです」
パンパンッと自分の頬を両手で叩いて、私はサシャに謝りました。それから、フィラント様が来るようなので、玄関ホールで待ち伏せします。
——宝物だと思って大事にします。どうかいつも笑っていて下さい
夢だったような気はしていますが、フィラント様にそう言ってもらいました。努力不足で会話出来ていないだけなのに、サシャを妬んではいけません! 先程の鏡の中の嫌な雰囲気の女性だと、宝物だと思ってはもらえない。
部屋を出て、1階の玄関ホールへ向かいます。呆れられたのか、サシャとアンナはついてきません。
「僻んだり、妬んだりするより自己改善をしなさい。お母様にそう教わったのに忘れていたわ」
つい、独り言を零していました。意気揚々と玄関ホールに来ました。フィラント様、来ません。
会釈と挨拶の練習をして待つことにしましょう。




