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騎士、悶絶する

 エトワール令嬢が熱を出したと、護衛騎士ビルから報告され、3階の寝室へと呼ばれた。

 何だ、この部屋。ここだけ屋敷内と雰囲気が違う。それで、白いレースの天蓋付き寝台にエトワール令嬢がすやぁと眠っている。頬が赤くて汗ばんで見えるが、気持ち良さそうな寝姿。


 天使が眠っている……。


「すみませんフィラント様。私、エトワールの熱に気がつかなくて。微熱みたいです。色々考えていて眠れてないって言っていたので、大丈夫だと思います。一応、お医者様に診てもらいましょう」


 申し訳なさそうなフローラ様が、俺にハンカチを差し出した。ハンカチ?


「レグルス様に頼んで、お医者様を呼びますので、看病をお願いします。夫婦になるんですものね」


 フローラ様はレグルスそっくりなウインクを残して、護衛騎士ビルを連れて、部屋を出ていった。

 レグルスと屋敷の構造や部屋、それに明日会う従者についての確認をしていたのに、突然エトワール令嬢と2人きり。フローラ様に渡された白いレースのハンカチを見つめ、エトワール令嬢を眺める。

 手は洗った。騎士が持ってきてくれた服や靴にも替えてある。なので、俺にもう血はついていない。

 しかし、汗を拭いている時にエトワール令嬢が目を覚ましたら、恐怖で叫ぶかもしれない。凶暴な男に触られたと、怖がる姿は見たくない。


 結婚式まで毎日屋敷に顔を出して、挙式後はエトワール令嬢と一緒に暮らす。なるべく近寄らずに、遠くから眺めないとならない。

 豊かに、楽しく暮らしてもらって、今日馬車の中で見たような無邪気な可愛い笑顔を見れたら幸せ過ぎる。うんと大切にして、エトワール令嬢の生活を守らないとならない。


 ……。


 体が冷えて悪化したら困る。言い訳を探して、俺はそっとエトワール令嬢に近寄った。

 起こさないようにして、起きそうになったら離れて部屋から出よう。

 無垢な寝顔。やはり、天使のよう。俺にとっては嬉しいことこの上ない政略結婚だが、血塗れ騎士の妻とはエトワール令嬢にとっては厄災。やはり、逃してやるべきか……。ユース王子やレグルスの好意を無下に出来ない。それに、俺もエトワール令嬢を眺める日々を送りたい。


——私に可能な限り、貴女様の望む暮らしを提供致します


 その発言通りにしよう。で、怖がらせないように近寄らない。警護など必要時以外では触らない。妻だからキスくらい、という欲望はしかと自制。レグルス曰く、恋仲の男は居なかったらしい。だから口説けと言われたが、ビクビク怯えられて既に嫌悪の対象みたいなので、そんな相手に口説かれるなど可哀想。口説くのは禁止。そもそも、そんなスキルを有していない。

 悪評が立たないようにするのは、出世や婚姻の援助をしてくれた方々の為にも当然だが、エトワール・シュテルン伯爵夫人の為にもなる。気をつけて働こう。

 張り切って働いて、良い評判が立てば、談笑くらい出来るようになるかもしれない。よし、当面の目標はそれだ。そうしよう。

 俺はフローラ様のハンカチで、そっとエトワール令嬢の額の汗を拭いた。


 戦地の急造病院での看護師従事は志願制。親に頼まれたのかもしれないが、あの働き振りに労わりの声は嫌々とは思えなかった。決して綺麗な仕事ではないのに。

 他人に奉仕出来る中身にこの見目麗しさ。ジャン・シュテルン子爵はそれはそれは大事にして、立派な淑女になるように育てたのだろう。髪を隠す帽子を忘れただけで、あんなに怯えて落ち込むような娘だ。成り上がり騎士の妻にされるなど、ジャン・シュテルン子爵は悔しくてならないだろう。

 カンタベリ一族の政敵側らしいので、こっそりになるが、なるべく会わせてやって元気な姿を見せないとならない。愛娘が無下にされているかもと、気が気じゃない筈。


「ん……」


 エトワール令嬢が身じろぎしたので、俺は気配を消して遠ざかった。扉を開けようとした時「フィラント様」とか細い声で呼ばれた。呼ばれた? まさか、と一応振り返る。

 起きてなかった。エトワール令嬢に動きはない。


「フィラント様……ふふっ……」


 ふふって、笑い声っぽかった。呼ばれた? いや、寝言? 迷いながらそろそろとエトワール令嬢へと近寄り、天蓋をそっとどかす。

 エトワール令嬢は目を閉じていた。すー、すーという規則的な呼吸音。

 

 微笑んでいるような寝顔。


 白いシーツと枕に広がる、艶々としたプラチナブロンドヘアー。真珠のような色の肌は瑞々しくて滑らか。整った容姿。睫毛も長い。少し厚めの、血色の良い唇はどう見ても柔らかそう。

 やはり天使だなとぼーっとしてしまう。可愛いし眩しい。


 微笑んでいるのは、幸せな夢でも見ているのだろうか? 俺の名を口にしたとは、少しは信頼されているのかもしれない。フローラ様が何か俺のフォローをしてくれているのかもしれない。

 あのウィンクはそういう意味か。てっきり、片想いを笑われたのかと思った。


「猫足……可愛い……」


 むにゃむにゃとまた寝言。つい、クスリと笑ってしまった。無垢な寝顔に、寝言とは子供みたいだ。幼い頃のユース王子の寝所護衛を思い出す。

 猫が好きなのか。犬だと番犬になるが……と思ったら寝台の脚が猫足だった。女性の寝顔を凝視などしてはならないと、部屋を観察していて見つけた。「猫足……可愛い……」とはこれのことか。フローラ様が寝室を用立てたと言っていたので、この部屋を気に入って、夢に見ているのかもしれない。

 フィラント・シュテルン伯爵は今までの仕事よりうんと稼げるようなので、好きなものをうんと買ってやろう。早速、フローラ様と親しい様子なのでフローラ様から聞いて貰えば良い。もし、惚れた男でも現れたら……。

 この清楚可憐で愛くるしい天使に、誰かが触れることを許され、満面の笑顔を返して貰える。そんなの、羨ましくてならない。俺には決して立てない位置。想像しただけで、気分が沈む。殴られた訳でもないのに、胸がズシズシ重たくて痛い。

 その時考えよう。善処してやらないといけないが、嫌過ぎる。これは保留。


 レグルスが用意した従者はとりあえずの面子。吟味して入れ替えして良いというので、エトワール令嬢に親切にする気立ての良い従者——仕事が出来るのは当然——を揃える。

 彼女の為になりそうな事をあれこれ考えてみたが、思いつく事は、そのくらい。


「すみませんエトワール様……宝物だと思って大事にします……」


 彼女の額に浮かぶ汗を拭くハンカチを持つ手が、微かに震える。


「どうかいつも笑っていて下さい」


 汗も拭き終わったし、部屋の外で医者を待つかと立ち上る。

 気配がして、癖で勢い良く振り返った。これも癖で、エトワール令嬢の腕を掴んで、持ち上げていた。流石に手が出たり、ナイフや剣を鞘から抜いたりはしていなかった。

 エトワール令嬢がが、目の前で身を縮めている。一気に全身の血がサァッと引いていった。そうっと手を離し、後退。やらかした。


「も、申し訳ございませんエトワール様。長年の癖でして……」


「癖? 倒れそうになったのを支えるのが癖とは素晴らしい事ですね。ありがとうございました」


 予想外の台詞に、俺は喉を詰まらせた。


「なのに、こちらこそ申し訳ございませんフィラント様。私、あまり若い男性に慣れていなくて、誰でも少々怖いのです……。助けていただいたのに……」


 彼女は真っ赤な顔で俯いた。小さな声で「すみません」と口にして、小さい手で布団をギュッと握りしめている。


「夫婦になるのですから、フィラント様には慣れていきます。優しいのはもう良く良く分かっておりますから直ぐに慣れます」


 背後から手を伸ばされて、癖で捻り上げようとしたのだが……好意的に見てもらえるとは思わなかった。


 慣れていきます?


 優しいのはもう良く良く分かっております?


 エトワール令嬢は顔を上げて、柔らかく微笑んでいる。俺に笑いかけている。


 言葉の背後に親や家の事があるのだろうが、俺に慣れようと思う、その気持ちだけで胸が熱い。優しい、そう言ってくれた時の表情はお世辞には見えなかった。今の笑顔も嘘臭くない。


——フィラント様がこんなにもお優しい方とは安心しました。父や父の知人の方々と、話し合って色々と考えてきました。私、誠心誠意尽くします。どうかご慈悲をお願い致します


 そうだった。何の勘違いか、初対面時に優しいと評価してもらった。で、また勘違いでそういう評価がついた。この誤解は解かないでおこう。


「いえ、我慢しなくて大丈夫ですエトワール様。無理に慣れなくて良いです。適切な距離を心掛けます」


 会釈をして、俺は逃げるように部屋を出た。また何かやらかして、誤解が解けたら困る。

 扉に背中をくっつけると、足の力が抜けた。ズルズルとしゃがみ込む。


 そうだ、俺はエトワール令嬢がごますりしないといけない相手。なので俺が彼女を大事にしていれば、談笑くらい普通に出来るかもしれない。


 そうなったら、幸せ過ぎる……。

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