騎士、激怒後に挨拶をする
馬車の揺れが、二日酔いの頭痛を悪化させている。それに、レグルスが風呂と服を貸してくれたが、酒臭い。
こんなに飲んだのは人生初めて。朝起きて、身支度したのに、ホールで寝ていた。階段に座って爆睡。レグルスに起こされ、血の気が引いた。幸いにもレグルスは「珍しい」と大爆笑しただけだった。
気持ち悪いので朝食を断り、俺の屋敷へ向かうまで部屋で寝させてもらった。こんな自己管理出来ていない状態は人生初。恐らく、浮かれ過ぎ。
俺は斜め向かいに座るエトワール令嬢からなるべく離れようと、馬車の隅に体をくっつけている。自分でこんなに酒の臭いが分かるとは、絶対にエトワール令嬢に近寄ってはいけない。ただでさえ、大酒飲みで節度のない男というレッテルを貼られているだろうから、失態を増やしたくない。
俺、欠点しか見せていないな……と奥歯を噛んだ。ため息を堪える。
エトワール令嬢はフローラ様と窓の外の景色に夢中。ほんのり化粧をしているようで、少し大人っぽく見える。街並みに目を輝かせ、頬を赤らめてあれこれ眺めている姿は、可愛い。ニコニコ、ニコニコと無邪気な子供のようにフローラ様へあれこれ質問している。
女は癒し。今まで、ユース王子やレグルスの発言が理解出来ていなかったが、もう分かる。エトワール令嬢とフローラ様という美女2人が、楽しそうに笑い合っている姿は癒しだ。見ていてホッとする。それに、頭痛と気分不快がかなり和らいでいる気がする。突然、馬の鳴き声がして、馬車がガタンッ! というように止まった。
「許すまじ!」
「かかれ野郎共!」
掠れた男声で名を呼ばれ、ウォー!っというような叫びがしたので、俺は馬車から飛び出した。許すまじとか、かかれ野郎共とか三文芝居でも使わない台詞だと思うが……現実にもいるのか。ザッと10人程の、身なりが悪い汚い男達。昨日、1人逃してしまった盗賊がいる。つまり、報復。襲いかかって来た順に首を刎ねようとして、止めた。剣の柄から手を離す。エトワール令嬢の前で大量殺人は気が引ける。それに戦場ではないので、捕縛第1だとゼロース隊長に言われている。近い者から殴り飛ばし、蹴り飛ばす。それにしても弱い。昨日の盗賊団の仲間なら、たかが知れているか。全員、地面に転がした。
おえっ、気持ち悪い。吐きそう。背負い投げした盗賊の上に、我慢出来ずにぶちまけていた。チラリ、と馬車を振り返り、エトワール令嬢が見ていないのを確認。見ていない。それなら、もう全部吐こう。さすがに可哀想かと、盗賊とは離れた所へ移動する。俺は体を折った。吐く物がないようで、黄色い胃液が出てきてえずいた。
「フィラント様、大丈夫ですか?」
「ありがとうございました! フィラント様!」
顔を上げると、馬車の馬に乗っていた騎士2人だった。赤毛でそばかす顔の若い大男。金髪で四角い顔に鷲鼻目立つひょろりとした若い男。名は確か……ルデルにカイロだっけ? エトワール令嬢の可愛い姿を見るのに夢中で、彼等の自己紹介なんて頭に入っていない。
「大丈夫ですか? ではない! 護衛の癖に何をしている! 主から離れるんじゃねえ!」
足元でもぞもぞ動いた盗賊を蹴っ飛ばす。騎士2人は「ひっ!」と顔を青くした。
「怒声くらいで怯むな! ありがとうございました? 加勢せず何をしていた!」
味方への裏切り行為に、職務怠慢。おまけに即座に謝罪しないなんて……ここは、ぶん殴ろう。赤毛騎士ルデルの胸倉を掴み、しかし、と手を止める。まだ自分は騎士団副隊長に着任していない。俺は赤毛騎士ルデルの首元の鎖帷子から手を離した。
「仲間への裏切り行為。戦場での部下なら首を刎ねている」
ルデルとカイロを睨みつける。益々青ざめているが知らん!
「俺はまだ副隊長でもないし、命拾いしたな。ぶん殴って、性根から叩き直してやるところだ。まあ、来週の着任時に直っていなかったら地獄を見るぞ」
こんな弛んでいるとなると、根本的改革が必要。昨夜、ゼロース隊長が嘆いていたのはこれか。不要な者はクビにして、使える者を再雇用したいという案は、その通りだろう。根性がある盗賊が1人、フラフラと起きようとしていたので、回し蹴りをしておいた。仲間を労わるような者も、立ち上がると困るので殴っておく。ルデルやカイロよりも、こいつ等の方が使えそう。
「貴様等よりこいつ等の方が余程根性と騎士道持っているぞ!」
恐怖でなのか、固まっているルデルとカイロを軽く突き飛ばす。返事は無い。
「ルデル、 カイロは市内巡回騎士を呼んできてこいつらを引き渡せ! 馬車操作は俺がする!」
ルデルとカイロが、転びそうになりながら走り出した。ただでさえ痛いのに、頭が痛いとはこのこと。2人が去ったので、蹴り飛ばした盗賊達全員を、順番に睨んだ。
「貴様等、 死ぬか、改心するか牢でよく考えろ! 刑で処罰される前に話くらい聞いてやる」
盗賊団は兄弟や底辺層の仲間同士での徒党が多い。上手く操れば、絶対服従の部下になりそう。使えそうな者は部下にして、残りは人手不足の農村や建築場などの重労働にでも就労させる。まあ、いつものようにレグルスが上手くやるだろう。ルデルとカイロが騎士達を呼んできて、盗賊団が連行されると、俺は馬車へと戻ろうとした。気がつけば、人だかりが出来ている。
「私の秘書官、それからアストライア騎士団副隊長を務めるフィラント・シュテルン伯爵となる騎士です!」
レグルスが馬車から降りて、騎士の護衛をつけて、華麗な会釈をした。拍手喝采である。
「彼こそゴルダガ戦線の英雄獅子の切り込み隊長! このレグルス・カンタベリが招聘致しました! レグルス・カンタベリはアストライアの治安を良くすると約束します!」
相変わらずちゃっかりしているというか、周りの空気を持っていくのが上手い。市民はレグルスの名前を大合唱。英雄獅子の切り込み隊長ではなく、囮役にして捨て駒なのだが……。レグルスの目が俺に挨拶をして、愛想を振りまけと訴えている。苛々と二日酔いで笑えそうもないので、足を揃え、騎士挨拶のポーズを取った。
「フィラント ・シュテルンはレグルス・カンタベリ閣下とその市民の騎士です!」
後は何だ? レグルスの目線が、もっと何か言えと訴えている。
「アストライア騎士団副隊長に着任します。必ずや皆様の安全を守る礎となります! よろしくお願いします!」
これが限界。拍手と歓声が大きくなったので、一安心。レグルスも満足気な表情。いつも手柄は上官のものだったので、自分に拍手や褒め、期待の声が掛けられるというのは奇妙な感覚。それにしてもレグルスに借りた貴族服が返り血で染まり、拳や靴も赤い。これでは、また血塗れ騎士とか呼ばれてしまうだろう。レグルスを馬車へと乗るように促す。操者のルデルとカイロの代わりに、馬車の馬に乗る。俺の屋敷へ向かう。しかし、馬の上は二日酔いには最悪の場所だ。おまけに、小窓の向こうに見えるエトワール令嬢は、すっかり怯えている様子。両手を握りしめて、眉間に皺を刻み、祈るように身を縮めている。生活していく街の治安への不安に、伴侶となる俺への恐怖だろう。
「はあ……」
自然とため息が漏れた。エトワール令嬢と知り合ってまだ2日。なのに、どんどん距離は離れている気がする。