後日談・第9話 詠唱時間短縮計画
前回:「後日談・第8話 門番日記」
世界を救った翌週から、彼女は宣言通り、次の目標に取り掛かっていた。手帳の『本日の進捗、100。次の目標――詠唱時間の、短縮』の一行である。百点を取った人間の翌日の朝が、こんなに早いとは思わなかった。俺が現場詰所で朝の書類を揃えていると、窓の外を真紅のローブが訓練場へ走っていく。毎朝である。天才とは、続ける才能の別名らしい。
「発表する! 新目標、『詠唱時間の短縮』! 目指せ、十分の壁!」
訓練場(人家から五キロ。復興委員会公認の「ミラベル専用地」である。地形が変わっても怒られない、大陸で唯一の土地だ)に、ミラベルの宣言が響いた。世界を救った魔女の、次なる戦いである。聴衆は俺たち三人と、弟子三人と、見物の暇人が若干名。世界一を既に取った人間が、まだ上を目指す姿は、見物料が取れると思う。
第一案、早口詠唱。結果、三十秒で盛大に噛んだ。「原初の闇より出でて灯りし、ひとちゅ、火」。魔法は様式に厳格で、噛んだ時点で最初からやり直しになる。三回試して三回噛み、三回目は「ひとちゅ」の同じ箇所で噛んだ。呪いの域である。却下。
第二案、省略詠唱。「天地創造のくだり」を飛ばしてみた。結果、発動そのものが起きない。詠唱は虚空に吸われ、魔力は微動だにしなかった。
「様式不備で、受理されないってことか」
「魔法にも受付があるのか……」
「あるんだよ。世界のどこかに、多分、ものすごく頭の固い受付が」
世界の受付と聞いて、俺は妙な親近感を覚えた。頭の固い受付は、書式を直せば通してくれる。つまり、勝ち筋はある。
第三案。ここで、正式に俺が呼ばれた。
「リド。君、書類の無駄を削るの、得意だろ」
「まさかお前」
「詠唱リストラ会議、開催!」
卓上に、全文書き起こした詠唱十一分三十八秒分の紙束が積まれた。書き起こしただけで丸二日かかったという労作である。俺は申請書類を査読する目で、赤ペンを構えた。
会議は、丸一日かかった。俺が「ここは削れるか」と印をつけ、ミラベルが「そこは駄目、安全条項」「そこは様式の礼儀」「そこは……削れる、かも」と一つずつ裁定していく。面白かったのは、削れない箇所の理由だった。「第三節の『廻れ、廻れ、廻れ』、三回は要るのか」「要る。一回目で魔力が目を覚まして、二回目で並んで、三回目で回り出す。二回だと、寝ぼけたまま走り出す」。……つまりあれは、魔力への点呼なのだ。詠唱とは魔力に対する説明責任の履行である、という新説を、俺はこの日、確信した。どこの世界も、現場を動かすのは、丁寧な段取りなのだ。
「まず総論。この詠唱、要は『魔力の経路指定書』だな。宛先、経由地、出力、根拠。……で、前半七分の歴史語りは何だ。天地創造から世界が七回滅ぶまで」
「『前例の援用』だよ。大魔力を通すには、過去に大魔力が流れた実績を、詠唱で参照して道を保証するの。だから古くて大きい前例ほど――」
「――待て。前例は『古くて大きい』必要があるのか? 『新しくて大きい』じゃ駄目なのか」
「……え?」
「一年前、この世界には新しい大魔力事象が観測されてるだろ。三百年分の魔力貯蔵を、一撃で、一点に、消し飛ばした事象が。観測者は八百人からいる。国際条約の前文にまで載った。――お前自身の『終焉』だ。天地創造を引用する代わりに、自分の実績を引用しろ。前例援用が、実績援用になる。書類の世界じゃ、自分の過去の決裁例を引くのが一番速い」
ミラベルは、紙束を、まじまじと見た。それから猛然と書き換えを始めた。世界七回分の滅びの叙事詩が、『一年前、魔王城において』から始まる、たった一節に置き換わっていく。書き換えながら、彼女は途中で手を止め、少し笑った。
「……ふふ。前例が、私。詠唱の中で、私が私を引用する。――これ、史上初の様式だよ、事務屋」
「様式の新設は、実績のある奴の特権だ」
騒ぎになったのは、試射の前である。書き換えの噂が魔導院に伝わり、王都から長老格の魔導士が三人、抗議に来たのだ。曰く、「詠唱様式は千年の伝統。素人の事務屋と小娘が書き換えてよいものではない」。ミラベルは反論しなかった。代わりに、手帳を差し出した。百七回の記録。三から八十七まで、毎日の数字。長老たちは頁を繰り、繰る手が止まり、一番年嵩の一人が、老眼鏡を外して言った。「……儂は五十年、詠唱の研究をしとるが、百七回、実測した阿呆を初めて見た。研究とは、こういうものだ」。抗議団は、その場で観測団に鞍替えした。伝統とは、実測に弱いものである。
――一週間後。訓練場に、新詠唱の初撃が試された。見物人は倍に増えていた。どこから聞きつけたのか、丘の下には夜店まで出ていた。
試射の前夜、ミラベルが俺の詰所に来た。手帳を差し出して、「明日の分の欄、君が書け」と言う。
「自分で書くのが流儀だろ、それは」
「百七回、失敗の数字は全部自分で書いた。百八回目からの数字は、時間を計ってくれた奴と半分こにする。……そういう流儀に、変える」
断る理由が、見つからなかった。俺は懐中時計を卓に置き、明日の欄に、日付だけを先に書いた。数字の欄は、空けて。
当日。俺の合図で、新詠唱が始まった。歴史語りの七分は、もうない。『一年前、魔王城において』――自分の実績を、自分の声で引用して、魔力の道を通す。傍で聴いていて、鳥肌が立った。これは詠唱であると同時に、宣誓だった。私はあれを成した、故に、これを成す。世界で一人しか使えない書式である。
「詠唱完了――九分五十一秒!!」
放たれたのは、破壊ではなかった。彼女は今回、全出力を「逃す」方に振った。夜空に向かって解き放たれた魔力は、百七回分の手癖で千々にほどけ、色を持ち、咲いた。
花火だった。丘を消し、山を削った魔法が、夜空一面に、大輪の花を描いていた。赤、金、白。開ききった花弁が、灰色の平原まで届く光で、地上を照らした。五キロ先の街から、歓声が聞こえた。夜店の親父が「もう一発ー!」と叫び、弟子三人が泣きながら手帳に書き付けていた。記録すべき夜だった。
観測に来ていた魔導院の長老三人は、花火の余韻の中、長いこと黙っていた。やがて一番年嵩の一人が、杖をついて立ち上がり、ミラベルの前まで歩いてきて、深々と頭を下げた。
「……七百年前の文献に、一行だけある。『魔法は本来、祝いの技であった』と。儂は今日、初めてその一行の意味を見た。――貴殿の様式、魔導院の正式記録に登録させてほしい。様式名は、いかがなさる」
ミラベルは、少し考えて、答えた。
「『ミラベル式・実績援用詠唱(仮)』で」
「(仮)……?」
「うちのパーティの様式だからね。(仮)は、取れないんだ」
長老は怪訝な顔をしたが、そのまま登録された。魔導史に、うちの呪いが刻まれた瞬間である。
その夜の手帳には、こう記されたという。数字の欄の筆跡は、二人分だった。約束通り、半分こである。
『進捗100(二回目)。所要、九分五十一秒。……備考。今日のは、誰かを、笑わせた』
破壊の魔法が祝いの魔法に戻るまで、百と九回。長かったのか、早かったのか。彼女の答えは決まっている。「最短記録だよ。史上、誰もやってないんだから」。……ごもっとも。
次回「後日談・第10話 それでも、(仮)」は、9月1日(火)18時30分更新です。




