後日談・第7話 剣聖の弟子
前回:「後日談・第6話 聖女と、二冊目の手帳」
「弟子にしてください!」
アステルのギルドの真ん前、往来のど真ん中である。中級冒険者証を握りしめて頭を下げたのは、カインだった。装飾のない鉄の剣は、よく使い込まれ、よく手入れされていた。聞けば、王都からアステルまで、乗合馬車を使わずに歩いてきたという。「弟子入り志願は、自分の足で行くものだと思ったので」。広告塔を三年やらされた男は、儀式というものの重さを、誰より知っているのだった。
レーヴェは、剣を見て、目を見て、一言で答えた。
「いいよ。じゃ、第一課」
即答だった。カインの方が面食らって、「え、あの、試験とか、覚悟を試すとかは」と聞き返したほどである。師匠の答えは明快だった。「王都からここまで歩いてきた足と、三年間錆びさせなかった剣。試験なら、もう二つ受かってるよ」。見るべきものを見て、即断する。それが剣聖である。
「はい! では素振りですか、型ですか!」
「傾聴」
「けい……?」
剣聖流の修行は、カインの想像の斜め上を行った。第一課、傾聴(酒場で三時間、老冒険者の昔話を聞く。相槌以外の発言は禁止)。初日のカインは一時間で膝が笑い、三時間で「素振り千回より疲れました」と述べた。師匠の講評は「聞くのは、構えと同じ。力むと三時間保たない」。第二課、観察(市場で半日、人の歩き方だけを見る)。三日目、カインは「荷を左に持つ人は、右足から値切りに入ります」と謎の知見を披露し、師匠に「よく見えてきたじゃん」と褒められた。剣の話は、まだ一度も出ていない。
市場観察の最中、一度だけ、カインが往年のファンに気づかれかけたことがあった。「あら、あの人、公認勇者の……」。囁きに、カインの背中が一瞬、板のように固まった。三年間、練習した笑顔を作る直前の、あの硬直である。だが次の瞬間、彼は普通に会釈して、普通に「人違いです。よく言われますけど」と笑った。練習していない、下手な笑い方だった。ご婦人は「そうよねえ、あんな地味な剣のはずないものね」と去っていき、カインはしばらく、自分の鉄の剣を見下ろして、それから、もっと下手に笑った。師匠は何も言わず、屋台の焼き菓子を二つ買って、一つを弟子に投げた。あの日の観察日誌の最後の行は、こうだったという。『本日の収穫。地味な剣は、自由の別名』。
「師匠、あの、剣は」
「もう始まってるよ。あんたの剣はね、三年間『見られる』ためだけに振られてた。だから今は逆をやるの。『見る』方を、身体に入れ直す。……剣ってのは、最後の最後、相手を見てないと当たらないからね」
第三課、ようやく実戦――と思いきや、討伐依頼の現場で師匠は言った。
「斬る前に、三つ質問しな。『なんでここにいる』『なにが欲しい』『どうなったら帰る』。……答えを聞いてから、剣を抜くか決めても、あんたの速さなら間に合う」
カインの初仕事は、街道を荒らす魔狼の群れの討伐だった。依頼書の文言は「群れの排除」。現場に着くと、痩せた群れが街道の荷を狙って唸っていた。カインは剣の柄に手をかけ――教えを思い出して、止めた。
「……なんで、ここにいる」
唸り。師匠の通訳いわく、「山を追われた」。
「なにが、欲しい」
唸り。「食い物。子供の分」。
「どうなったら、帰る」
長い唸り。師匠が、少し目を細めて訳した。「……帰れる山があるなら、今すぐ」。
カインは剣から手を離し、群れの長に歩み寄った。牙を剥く長の、後ろ足の古傷。大型魔獣にやられた咬み痕だと、彼はもう「観察」で分かるようになっていた。気づけば、傷に薬を塗り、ギルドの地図を広げて空いている狩場を探していた。群れは三日後、護送依頼の隊列に見送られて(妙な光景である)山へ帰り、討伐報酬は、ゼロだった。
「師匠……これ、報酬が」
「――ようこそ、こっち側へ」
「こっち側、報酬がないんですね……」
「代わりに、街道の護送依頼が増えるよ。魔狼が出なくなった街道はね、荷が増えるの。ギルドの依頼板を見てごらん。……討伐一回の報酬と、平和になった街道の依頼十回分。どっちが日銭になるか、うちの監督官なら即答するね」
経済まで教える剣聖流である。なお、後日その通りになった。魔狼の消えた街道は隊商が三割増え、カインへの護送指名は今や一月先まで埋まっている。ギルドの帳簿を預かる身として言うが、「殺さない討伐」は、収支で見ても正しい。討伐は一回きりの売上だが、平和は毎月入金される。この理屈を最初に体現したのがうちのパーティで、いま二人目が育っている。窓口冥利に尽きる眺めである。
帰り道、焚き火を挟んで、カインは聞いた。
「師匠は、どうして、そんなに敵の話を聞くんですか」
レーヴェは、剣の柄を、指でなぞった。
「あたしの師匠……田舎道場のばあちゃんの、受け売りだけどね。『剣は、最後の言葉だ』って。『持ってる言葉を全部使い切って、それでも残ったものにだけ、抜け』って。……あたしはさ、言葉を使い切ろうとすると、どうしても途中で泣けてくるんだよ。人の話ってのは、ちゃんと聞くと、大抵、泣けるから」
「……はい」
「でも、悪い体質じゃないよ。言葉を使い切った後の剣は、迷わないからね。――あんたの剣も、もう迷ってない。三年前より、いい剣だ」
カインは、しばらく俯いていた。焚き火が、ぱちりと爆ぜた。三年前、王都の北の森で、彼が初めて本音を零した夜と、同じ音だった。あの夜と違うのは、俯いた顔が、上がるまでの速さである。
「ばあちゃん師匠って、どんな人だったんですか」
「んー。小さくて、皺くちゃで、大根を抜く手つきで人の懐に入る人。……あたしが道場に来たのは七つの時でね。親に置いてかれたの。ばあちゃんは事情を聞かなかった。代わりに三年間、あたしの話を聞いた。剣を教わったのは、その後。だからあたしの中では、順番がそうなの。まず聞く。剣は、後」
「……順番、ですか」
「そ。あんたは逆の順番で育てられた。まず見せる剣、話は聞くな、って。だから今、順番を入れ直してる。時間はかかるよ。でも、剣ってのは正直だからね。順番が直ると、剣筋も直る。……もう直り始めてるけどね」
「俺、いつか自分のパーティを持ちます。後輩に、俺みたいな契約を結ばせないための、ちゃんとしたパーティを。名前も考えてあるんです。――《暁の宝剣・弐》!」
「センスが広告時代のままだねえ」
「じゃあ《(仮)・弐》で」
「うちの呪いを継ぐな」
笑い声が、夜の街道に響いた。ちなみにこの師弟、月末の精算業務は俺のところに来る。師匠は報酬を「んー、適当でいいよ」と言い、弟子は師匠の分まで几帳面に領収書を揃えて持ってくる。先日、カインの提出した精算書に、見慣れない品目があった。『砥石・二個』。一個は師匠の分、もう一個は――「いつか弟子を取ったら、渡そうと思って」。第四課は「弟子を取ること」。彼はもう、教程の先を、自分で歩き始めている。差し戻しなしで受理した。当然である。修行は、まだ第三課である。第四課の内容を聞いたら、「弟子を取ること」だそうだ。教わったものは、教えて初めて身につく。ばあちゃん譲りの教程は、そこまで含めて一巡らしい。カインが誰かに「傾聴」を課す日は、そう遠くないのだろう。
次回「後日談・第8話 門番日記」は、8月30日(日)18時30分更新です。




