閉ざされた社
天王寺遥に対する違和感。
それは日を追うごとに、小さな棘のように六花の胸へ刺さり続けていた。
悪い人ではない。
むしろ、優しい。
話も合う。
神話や歴史の話になると時間を忘れてしまうほど盛り上がる。
だからこそ、自分が感じる違和感を説明できなかった。
「今日は図書館行く?」
「ごめん、今日はバイトだから。」
「じゃあ途中まで送るよ。」
「大丈夫だよ、一人で帰れるから。」
そう笑って断る。
それでも遥は自然な笑顔で歩き始める。
「途中まで一緒なら問題ないでしょ?」
断る理由が見つからない。
押し付けるわけでもない。
怒るわけでもない。
ただ自然に隣へ並ぶ。
その距離感が、六花には少しだけ苦しかった。
(……なんでだろう。)
(鳳ちゃん達がいたら相談できるのに。)
しかし鳳凰たちは戻ってこない。
社を守るため、各地を飛び回っている。
玲弥たちも連日出動。
誰にも相談できないまま、日々だけが過ぎていった。
⸻
ある日の講義帰り。
夕暮れの空は朱色に染まり、大学から駅へ向かう学生たちで道は賑わっていた。
六花もその流れに乗って歩いていた。
その時だった。
――ぞくっ。
背筋を冷たいものが走る。
「……え?」
立ち止まる。
今まで感じたことのないほど強い霊力。
いや。
もっと懐かしい。
胸の奥を優しく引っ張られるような、不思議な感覚だった。
「……何、この力。」
視線が自然とある方向へ向く。
一本道の先。
古い石段。
鬱蒼とした木々。
小さな神社が見えた。
(呼ばれてる……?)
そんなはずはない。
それでも足は勝手に動き始める。
「ちょっと見るだけ……。」
誰に言うでもなく呟いた。
石段を一段、また一段。
登るたびに霊力は濃くなっていく。
鳥居をくぐった瞬間だった。
バンッ!!
空気が震えた。
透明な壁が神社全体を覆う。
「え……?」
六花は慌てて振り返る。
出口へ向かう。
しかし。
見えない壁に弾かれた。
「いたっ!」
手を伸ばしても、透明な膜が行く手を塞いでいる。
「結界……?」
鼓動が速くなる。
何度試しても出られない。
「誰か!」
声を上げても返事はない。
境内は異様なほど静かだった。
その静寂を破るように、足音が響く。
コツ……。
コツ……。
ゆっくりと近付いてくる。
六花は振り返った。
「……天王寺さん?」
夕日に照らされた遥は、いつものように穏やかに微笑んでいた。
「やっぱり来てくれた。」
その笑顔は優しい。
けれど。
六花は初めて、その笑顔を怖いと思った。
「……これ。」
結界へ視線を向ける。
「天王寺さんが?」
遥は静かに頷く。
「そうだよ。」
「どうして?」
「ダメだよ?」
遥はゆっくり歩み寄る。
「六花。」
優しく語り掛けるような口調だった。
「これは君を守るためなんだから。」
六花は理解できない。
「守る?」
「誰から?」
遥は迷いなく答えた。
「あの四霊達から。」
六花の瞳が揺れる。
「……四霊?」
「鳳ちゃん。」
「亀さん。」
「麒麟さん。」
「龍さん。」
名前を一人ずつ口にする。
「みんな優しいよ?」
遥は悲しそうに笑った。
「そう思わされてるだけだ。」
「違う。」
「君は騙されてる。」
「そんなことない!」
六花は思わず声を上げた。
「みんな私を助けてくれた!」
「ずっと守ってくれた!」
遥の表情が少しだけ歪む。
「守った?」
「違う。」
「君を殺したのは、あいつらだ。」
六花は息を呑んだ。
「……え?」
「何言って……。」
遥の声が少しずつ震え始める。
「君は分かってない。」
「千年前。」
「君は死んだ。」
「四霊を守るために。」
「四霊がいたから。」
「君は命を失った。」
「だから今度こそ。」
「俺が守る。」
「もう二度と、あいつらには渡さない。」
その瞳は真剣だった。
嘘をついているようには見えない。
だからこそ恐ろしい。
(この人。)
(本気で信じてる。)
六花は一歩後ずさる。
「……何の話?」
震える声になる。
「私は生きてる。」
「命なんて危なくない。」
「鳳ちゃん達だって。」
「君は何も知らない!」
遥が初めて声を荒げた。
境内へ怒声が響く。
「四霊の正体も!」
「千年前に何をしたかも!」
「全部隠されてる!」
六花は肩を震わせる。
知らない。
何も知らない。
鳳凰たちは昔の話を少しだけ教えてくれた。
桜という巫女がいたこと。
自分がその子孫であること。
それだけ。
最後に何があったのかは、一度も聞いていない。
「……何を。」
「言ってるの?」
その時だった。
境内に冷たい風が吹く。
ぞわり、と空気が変わる。
遥の背後。
黒い霧がゆっくりと集まり始める。
その中から、一つの人影が浮かび上がった。
人にも見える。
妖にも見える。
しかし、そのどちらでもない。
黒い瞳だけが異様に光っていた。
六花は全身が凍り付く。
(この気配……。)
(悪霊じゃない。)
(妖怪でもない。)
(何……この存在。)
遥とは全く違う力。
底知れない悪意。
本能が警鐘を鳴らしていた。
黒い影は静かに笑う。
その笑みには、温度というものが存在しなかった。
「初めまして。」
男とも女ともつかない、不気味な声。
「桜の生まれ変わり。」
六花は思わず後退する。
「あなた……誰?」
影はゆっくり頭を下げた。
「私は朧。」
その名を告げた瞬間、境内の空気がさらに重くなる。
「千年前。」
「全てを見届けた者です。」
六花は息を呑む。
「……千年前?」
朧は口元だけで笑った。
「ええ。」
「貴女の祖先である巫女は。」
「四霊が原因で起きた事件によって命を落としました。」
「そして。」
「この天王寺遥の祖先は、その巫女を誰よりも愛していた神主だったのですよ。」
遥は静かに目を閉じる。
その横顔には、長い年月を越えてなお消えない執着と悲しみが宿っていた。
一方、六花はただ立ち尽くしていた。
頭が真っ白になる。
(四霊が原因……?)
(桜さんが……亡くなった……?)
(鳳ちゃんたちは……何も言ってなかった。)
胸の奥で、小さな不安が静かに広がっていく。
そして朧は、その揺らぎを見逃さなかった。
(そうだ。)
(疑え。)
(四霊を。)
(仲間を。)
(信頼を壊せ。)
誰にも聞こえない声で、悪意だけが静かに笑っていた。




