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EP 4

帝都ルナミス、内務省の豪奢な執務室。

分厚いペルシャ絨毯の上に、最高級のワイングラスが叩きつけられ、赤い液体が血のように広がった。

「……一個小隊が、全滅だと?」

ルナミス帝国内務卿、オルウェルは、顔に青筋を立てて怒鳴り声を上げた。

彼の足元では、昨晩ポポロ村の検問所へ向かったはずの徴税官が、ボロ雑巾のような姿で這いつくばり、ガタガタと全身を震わせている。

「ひぃぃっ……! ば、化け物です! あの村のウサギは、化け物ですぅぅ!」

「ええい、五月蝿い! 貴様ら、魔導ライフルで完全武装していたのだろう!? たかが辺境の農村相手に、魔法一つ使われずに無力化されたとはどういうことだ!」

「わ、罠だったんです……! ゴルド商会の男が、口車で我々にサインを……そうしたら、体が石のように動かなくなって……!」

徴税官は両手で頭を抱え、思い出すだけで発狂しそうな恐怖に顔を引き攣らせた。

「あのウサギが……笑いながら、何度も、何度も靴で俺たちの骨を砕いて……ヒールをかけて、また砕いて……あ、あああああっ!! 安全靴が! 安全靴が来るぅぅぅ!」

発狂した徴税官が白目を剥いて気絶する。

オルウェルは忌々しげに舌打ちをし、近衛兵に命じてその男をつまみ出させた。

「……ゴルド商会の、調停者だと? 小賢しい商人風情が、帝国の威信に泥を塗ったというのか」

オルウェルは窓枠を強く握りしめた。

あの村が産出する『ポポロ煙草』や、異常な栄養価を誇る農作物は、泥沼の戦争を続ける帝国にとって喉から手が出るほど欲しい戦略物資だ。

どうしても、あの村を帝国の管理下に置かねばならない。

「よかろう。武力と理屈で守りを固めるというなら、干上がらせてやるまでだ。……おい!」

「はっ!」

「ただちにポポロ村への一切の街道を封鎖しろ。経済封鎖だ。塩も、鉄も、帝国領からの輸出をすべて止めろ」

オルウェルの顔に、残忍な笑みが浮かぶ。

「さらに……『炎上神』ヴァンダルに供物を捧げよ。あの目立ちたがり屋の神に、『ポポロ村を燃やせば、世界中の注目(PV)が集まるぞ』と吹き込むのだ」

神の理不尽な暴力と、大国の経済封鎖。

いくら口の回る商人がいようと、これで終わりだ。

オルウェルは新しいグラスにワインを注ぎ、勝利を確信して喉を鳴らした。

***

「……ふむ。見事なエルゴノミクス(人間工学)だ。前世で座っていた二十万円のオフィスチェアよりも腰に優しい」

同じ頃、ポポロ村の村長宅の一室。

俺、力武義正は、真新しい木製の椅子に深く腰掛け、感動の吐息を漏らしていた。

俺の専属オフィスとして用意されたこの部屋には、村のDIYマスター・スアイ(元魔皇国将軍)が、世界樹の枝と魔物の皮を使って一晩で組み上げた「超快適デスクセット」が鎮座していた。

座面は絶妙な反発力を持ち、背もたれは俺の背骨のカーブに完璧にフィットする。

異世界のスローライフとは、かくも文化的なものだったのか。

コンコン、と控えめなノックの音がして、扉が開いた。

「義正さん、おはようございます! 朝ごはん、お持ちしましたよ♡」

フリルのついた可愛らしいエプロン姿のキャルルが、大きなお盆を抱えて入ってくる。

昨晩、帝国兵三十人を安全靴でミンチにしていた姿とは結びつかない、百合の花のように可憐な笑顔だ。

「ありがとう、村長。……おお、これは美味そうだ」

お盆の上に並べられていたのは、こんがりとキツネ色に焼かれた厚切りのトースト。

そして、その上に乗せられた、プルプルと震える巨大な目玉焼きと、厚切りのベーコンだった。

「『コカトリスの極厚目玉焼き』と、『シープピッグの燻製ベーコン』です! パンには、ルナちゃんが絞り出した世界樹の樹液バターをたっぷり塗ってありますからね!」

「……朝からなんて暴力的なカロリーなんだ。最高じゃないか」

俺はナイフを入れ、黄金色の黄身がトロリと溢れ出した目玉焼きごと、トーストを口に運んだ。

――サクッ、ジュワァァァッ。

「……ッ!!」

美味い。美味すぎる。

コカトリスの卵は信じられないほど濃厚で、チーズのようなコクがある。そこに、燻製の香ばしい脂と、世界樹バターの芳醇な甘みが完璧なハーモニーを奏でている。

前世のコンビニ飯とは次元が違う、魂を揺さぶるような「本物の食事」だ。

俺が夢中で朝食を平らげ、食後のポポロ・コーヒーで一息ついた時だった。

「ガチャーン! 義正さーん! 大変ですのぉぉぉ!」

オフィスの扉が勢いよく開き、人魚のリーザが涙目で転がり込んできた。

その後ろから、執事のリバロンが深刻な顔つきで姿を現す。

「騒々しくて申し訳ありません、義正殿。……先ほど、ゴルド商会の情報網から緊急の伝書鳩が届きました」

リバロンは、銀色の毛並みを逆立てながら、一枚の羊皮紙を俺のデスクに置いた。

「ルナミス帝国が、我がポポロ村に対する『完全なる経済封鎖』を宣言しました。村へ続く主要な街道にバリケードが築かれ、塩や鉄などの生活必需品の輸入が完全にストップしました」

「塩が! お魚を焼くためのお塩が入ってきませんのぉ! このままじゃ私、ただの生臭い人魚になっちゃいますのぉ!」

リーザが床をバンバンと叩いて嘆き悲しむ。

「さらに、悪い報せがもう一つ」

リバロンの眼光が、かつてなく鋭く細められた。

「帝国が、厄介な存在をけしかけたようです。……信者の祈り(PV)を稼ぐためなら、どんな土地でも灰にする危険な神。『炎上神』ヴァンダルが、この村を標的にして接近中とのこと」

「神様が……!?」

キャルルが息を呑み、その両手がギュッと握りしめられる。

経済を止められ、物理的に村を焼き払いに来る神。

村を完全に孤立させ、恐怖で支配しようという、帝国のあからさまな報復だった。

「……義正さん」

キャルルが、不安そうに俺の袖を掴む。

「私、神様でも誰でも、村を燃やそうとする奴は絶対に許しません。ぶっ飛ばします。……でも、街道を封鎖されちゃったら、村のみんなの生活が……」

どんなに彼女の物理戦闘力が規格外でも、「経済の流通」ばかりは暴力で解決できない。

だからこそ、帝国の内務卿は自分の勝ちを確信しているのだろう。

だが。

「……くくっ」

俺は無意識に、喉の奥から笑い声を漏らしていた。

「義正殿?」

「いや、失礼。あまりにも滑稽でね」

俺はコーヒーカップをソーサーに置き、スーツのネクタイをゆっくりと締め直した。

顔に貼り付いた「温厚な調停者」の仮面が剥がれ落ち、冷酷な「商社マン」の素顔が覗く。

「……大国の政治家というのは、どいつもこいつも経済の基本を理解していないらしい」

俺は立ち上がり、世界地図が広げられたボードの前に立った。

「ルナミス帝国ごときが、大陸の物流を牛耳る『ゴルド商会』を相手に経済封鎖? ……笑わせる。サプライチェーンの恐ろしさを、骨の髄まで教えてやろう」

俺はデスクの引き出しから、新しい契約書の束を取り出した。

「リバロンさん。直ちに各国の先物取引所に使いを。ルナミス帝国の通貨を全力で空売りします。さらに、帝国が輸入に頼っている『魔導石』の流通ルートを、商会の権限で一時的にすべて差し止めろ」

「なっ……!? それは、帝国全体の経済が麻痺しますぞ!?」

「ええ。数日で帝都の物価は高騰し、暴動が起きるでしょう。村への封鎖を解くよう、市民が勝手に内務卿を吊るし上げてくれますよ」

やられたら、法と経済ルールで百倍にしてやり返す。

それがビジネスの鉄則だ。

「それと……『炎上神』とかいう迷惑系配信者ストリーマーでしたね」

俺は眼鏡をクイッと押し上げ、冷たく言い放った。

「PV(注目)が欲しいなら、くれてやりますよ。……ただし、莫大な『違約金』と『肖像権の譲渡』を盛り込んだ、最悪の専属契約書にサインさせてからですがね」

「あはっ! さすが義正さんです! 私、神様を殴ってみたかったんです♡」

キャルルが嬉しそうに安全靴の踵を鳴らし、床板をまた一枚粉砕した。

「さあ、忙しくなるぞ。……午後のティータイムまでに、神様を一人、自己破産ハメさせに行こうか」

圧倒的知略と、圧倒的暴力。

大国と神を相手取った、ポポロ村の悪徳で最高なスローライフ防衛戦は、いよいよそのスケールを拡大しようとしていた。

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