07話 訓練
イーリスとエミリの二人とは食事の後笑顔で別れた。
中々面白い娘だったなとテオはイーリスの事を思う。
さて今日はどうするかと考える。これからスライム討伐を行なうには時間が少ないだろう。それにテオはFランクにしては相当稼いでいる。ストークベアーの報酬――いや依頼の前金も手に入った。
急いで稼ぐ必要もない。
明後日の依頼の準備をこれから始めてもいいだろうか?
そう考えるが準備は明日一日で行えばいいと考え直す。
今はそれよりも訓練をしたい。
冗談であろうとも自分の事を『大陸を揺るがすような人物になる』と褒められれば、気分は良くなる。
彼女の評価に相応しくなる為には、己の力をもっと高めないといけないだろう。
テオはゲディックの街をしばし歩き、訓練に相応しい場所へ向かう。
大通りから一本外れた道の先にある住宅街。その一角にある空き地だ。あまり広さは無いが程よく周囲から視線が遮られている。
昨日、街中を歩いて居る時に見つけていた場所だ。広さが無い為にもっと良い場所を探す為に候補の一つとしておいた場所だ。
人目につくような派手な訓練はゲディックの街中ではできないと判断したが、派手ではない訓練ならばここで十分だろう。
派手な方の訓練をする時には街の外に出るしかないだろう。音や衝撃が出る様な事は近隣住人に対して迷惑が掛かる。
しかし今できる訓練は音もしなければ迷惑もかからない。
テオは空き地の中央に立つと前方にスッと手を伸ばす。
行なう訓練の対象は当然、アイテムボックスだ。
アイテムボックスのスキルを発動させると、手の先に出入り口が出現する。
イーリスとエミリに見せた時の様に波紋を立てる事は無い。あれは他者に分かりやすいように見せて居ただけだ。
通常この出入り口が見える事は無い。発動した本人だけがこの出入り口を認識できる。
テオはこのアイテムボックスの出入り口の事を門と呼んでいる。
他のアイテムボックス持ちにはこの門という概念は無いらしい。彼らは手にしている物を目に見えない空間に出し入れしているとしか考えていない。
『スキルとは使い手の認識次第でいくらでも変わる』
アイテムボックスを使い倒してきたテオの持論だ。
二人に言った通り、アイテムボックスの本質とは物を出し入れする事である。物を保管する事は副次的な物だ。
アイテムボックスで現実世界に対して影響を強めるには、門の能力向上が必須だ。
テオは門を動かし、地面に落ちている小石を幾つか収納する。これで訓練の準備は整った。
離れた場所に門を位置させると、その場に小石を一つ排出する。
その次の瞬間、素早く門を右に動かしてもう一つの小石を排出する。
そして始めに排出した小石が地面に落ちる前に、門を動かして収納する事によってキャッチした。
収納した一つ目の小石を元の高さで再び排出すると、落下中の二つ目の小石まで門を動かし回収し、元の高さで排出する。
空間に現れた二つの小石を地面に落ちないように、テオは素早く門を左右に振り動かす。それだけではなく、徐々にその間隔も広げていく。
音もなく続くその曲芸のような訓練も、首を振らないと目視できないくらいに間隔が広げすぎてしまうと限界を超える。
ポトリと小石が地面に落ちた。
「まあ、こんなもんか」
地面の小石を回収すると、今度は左右ではなく遠近で距離を離して行なう。こちらは首を振る必要は無いため左右の時よりも続いた。だが不意に集中を乱し、収納を失敗して地面に落としてしまう。
次は間隔を増やすのではなく数を増やしていく。
二つ、三つ、四つ。たった一つの門を素早く動かして、小石が落ちないように維持させる。しかし五つ目で地面に落としてしまう。
中々難しい。しかし門を素早く動かし、収納と排出を正確に行なうのは基礎中の基礎だとテオは信じている。
アイテムボックスだけで戦闘を熟す先駆者など誰もいない。自分こそが先駆者だ。だからこそ、鍛える為の訓練が正しいかは分からない。しかし、テオにはこれこそが正しい基礎訓練だと信じるしかない。
幸い、門の移動速度と収納排出の速度は上昇するという結果は出ている。それによる弊害も今のところ起こっていない。
間違っている訓練だとしても、続けないという選択肢は無い。
幾度となく、それらの訓練を繰り返す。
続いて今度は門を移動させるのではなく、収納排出地点に発現、消失を繰り返し行って、同様に小石を地面に落とさぬように維持をする。
こちらは門移動の速度、精度の向上訓練ではなく、門展開の速度、精度の向上訓練だ。
繰り返し訓練続け、疲労を感じてきたテオは休憩を取る事にした。
その場に腰を下ろし、取り出した水筒から水を飲む。
訓練結果は、まあ、いつも通りだ。劇的変化は無いが、ほんの少し、向上の兆しは見えると言った所だ。
焦る必要は無い。
だがその昔、劇的変化を何度か迎えた身としては、再び劇的な向上が見込めないかとも期待してしまう。
一番初めの劇的変化は、アイテムボックスに生き物を入れる事はできないと言うこの世界の常識が誤りだと気がついた時だ。
この世界。そう、テオにはこの世界以外の世界の知識がある。それに気がついたのは子供の頃だ。それ以前から見聞きする世界がなにかおかしいと思ってはいた。それはこの世界以外の世界の常識から外れていた事による齟齬だった。
その知識の事に気がついた時の前と後で変わった事は、靄がかっていたような曖昧な知識が明確なものになった程度だ。
テオは『この世界で産まれ育った幼いテオ』であることに変わりはなかった。異世界の知識の存在など、分厚い事典があるのと変わらない。
分厚い知識の事典を読めるようになったらと言って、劇的に性格が変わるはずもない。
アイテムボックスに対しての認識も同様だった。他の人と同様に、アイテムボックスに生き物は入れられないという認識に変わりはなかった。
その認識が変化したのは、村にやって来たアイテムボックス持ちの行商人がキノコ類をアイテムボックスから取り出したのを見た時だ。
『あれ? キノコって菌類で……。菌類は生き物じゃないの?』
と思ってしまった。
しかしそれを言ったら植物も生き物だ。
なのにテオは、今までごく当たり前に収穫したばかりの瑞々しい野菜などもアイテムボックスに普通に入れていた。
その時に初めて、この世界でいう『アイテムボックスには生き物を入れられない』の生き物とは、動物のことを指している事に気がついた。
しかし、この世界以外の知識を持っていた幼いテオにとっては、菌類も植物も、動物と同様に生き物の一種だとしか思えなかった。
生き物である菌類も植物もアイテムボックスの中に入れられるのなら、動物を入れられない理由などあるのだろうか。
テオは考えてみたが明確な答えを出すことはできなかった。
だからこそ、試してみる事にした。
実験対象はそこらじゅうにいくらでも居るバッタだった。
『キノコも野菜も生き物で、生きているのにアイテムボックスに普通に入る。
なら生きた君がアイテムボックスに入らないはずがない』
捕まえたバッタを手にそう言い聞かせ、収納してみた。すると当然のようにバッタはアイテムボックスの中に収納されたのだ。
『スキルとは使い手の認識次第でいくらでも変わる』
テオがその言葉を己の持論にする初めのきっかけだった。
今現在、テオのアイテムボックスの構造に対する認識は、大きく三つに分かれている。
門。
保管世界。
目録索。
以上の三つだ。
門はアイテムボックスの出入り口の事で、今訓練をしている機能だ。現実世界と保管世界を接続する文字通りの門だ。
収納――現実世界から保管世界への移動と、排出――保管世界から現実世界への移動を管理している。
保管世界はアイテムボックスに入れたモノを保管している保管庫の部分の事。
目録索は、アイテムボックスに入れたモノを管理し、一覧表としてテオの脳裏に提示する。
この中で、今最も優先して訓練しなければならないのが門だ。
テオがスキルを用いて現実世界に直接関与する事が可能となるのは門の能力に依存するからだ。
門の扱いが拙ければ、冒険者として生きていく事はままならない。
テオは短い休憩を終えると、水筒をアイテムボックスに放り込み立ち上がる。
今度は門の応用訓練だ。
収納排出には二つの方式が存在している。
一つが門方式と呼んでいる、門を通過させる方法。
もう一つが浸透方式と呼んでいる、収納排出する物体を門で包んでから――と言うよりも門を対象に浸透させてから一瞬で転送する方法がある。
前者がイーリスとエミリに見せたナイフを半ばまで門に入れた方法で、後者がスライムやストークベアーを収納した方法だ。
それぞれに利点と欠点がある。
門方式の利点は門を開いておけば意識しなくとも門を通過するモノを収納できる。欠点は、大きな収納対象だと全体を一瞬で収納できるわけでないこと。
浸透方式の利点は大きなモノを一瞬で収納排出できる事。そして、別の物に挟まっていたり他の者が持っている物だとしても、抵抗される無く収納できる事だ。
欠点は、収納する対象を意識していなければならない事と、門方式よりも収納にワンテンポ遅れが出る事だ。
一瞬を争う戦いの中でモンスターに対して浸透方式を使っているのは安全の為だ。
昔、軟体系のモンスター相手に門方式で収納しようとした時、そのモンスターは収納された体の一部を自切して逆襲してきた。
なんとか切り抜けたが、その時は冷や汗をかいたものだ。
それ以来、距離をとって浸透方式を使い、接近されたのならば展開速度の早い門方式を最後の守りとする方針を取っている。
幸い今までその最後の守りを使う事は無かったが。
浸透方式は収納する対象に門を触れされる事になる。しかし門とは基本的に収納排出を行なうまでは、なんの影響も与えず、また見える事も無い。
また門が体を突き抜けたとしても、実体が無い物として気が付かれる事はない。
しかし門の持ち主であるテオには、門が何かに触れた事は分かるのだ。
門は基本的に円盤形をしている。しかし門方式を編み出すまで――浸透方式しか使えなった時、今は門と呼ぶそれは、対象を指定する点でしかなかった。
点から平面へ。門の形状は変化し、今はその使い分けができる。ならば二つの形状の中間である、線の形状へ変化ができない訳がない。
その考えの元に作り出したのが帯状門だ。
糸状まで細くする事が理想なのだが、今の限界は帯状までだ。
テオは空間中に漂う長い帯を出現させる。テオ自身にしか見えない帯状の門だ。
帯状門は渦巻き状にテオを取り囲むように広がる。空き地の広さを超えて近くの民家の壁を突き抜けているが、何の影響も無く帯は揺らめく。
渦巻き状に広がる帯は、民家一件分を超える頃に広がる事を止める。
空き地に隣接する民家の住人には、その帯状門の存在に気がつく事は無かっただろう。しかし、広がる過程で多くの住人が帯に触れた。テオにはその事が知覚できた。
触れた人を目に見ている訳ではないので詳しい事は分からない。ただ触れたのが動いているモノかそうでないかがわかる程度だ。それでも動いて帯に触れられれば人であろうとは推測ができる。
これは門を利用した感知結界だ。
他の者ならば『生命察知』や『気配察知』などの感知系スキルで周辺警戒を行える。それらに及ぶ事は無いが、視界の利かない森の中で行動する時には重宝する。
慣れてないせいだろう、一つの巨大な門を作るよりも狭い範囲にしか、感知結界を作れていない。
「――まだまだだなぁ。出せる長さもそうだけど、もうちょっと早く展開できるようにしないと」
テオは帯状門を消して、再び一から帯状門を作り出す。
その訓練をテオは日が傾いてくる頃まで続けたのだった。