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第三話 本能寺前夜 ― 信長の次を読む男 一

天正十年。春。

信濃国木曽谷には、かつてない緊張感が漂っていた。

俺は木曽福島城の城下を歩いていた。雪が消え、山肌には新しい緑が芽吹いている。

前世の日本では観光地として知られる木曽路。しかし、この時代では違う。ここは戦国の最前線だった。


「殿」

家臣が声をかける。

「織田家より書状が届いております」

俺は受け取った。内容は予想通り。

織田信長による甲州征伐。武田家を完全に滅ぼすための出陣準備だった。

俺は静かに息を吐いた。来た。歴史の流れが。

史実では木曽義昌は武田家から離反し、織田軍の先導役となった。

その結果、武田家は滅亡する。


だが、俺には別の目的があった。

「勝つことではない。残ることだ」

天下を取る必要はない。織田家の重臣になる必要もない。徳川の時代に木曽家を残せばいい。

それが58年間、何も残せなかった男が得た答えだった。


織田家が動き始めた。信長の軍勢は圧倒的だった。

鉄砲。兵力。組織力。武田家とは比較にならない。

俺はそれを見ていた。

「これが織田家の力か」

前世で知っていた歴史。しかし、実際に見る迫力は違った。

兵士一人一人が統制されている。

武田の騎馬軍団のような華々しさはない。

だが強い。


俺は確信した。

「信玄公が偉大でも、時代は止められない」

織田信忠率いる軍が甲斐へ進む。

武田家は崩壊した。勝頼は逃亡。家臣は離散。

そして、武田家は滅亡した。歴史通り。

しかし、一つだけ違った。

木曽義昌は「滅ぼした側」としてではなく「次の時代へ移る準備をする者」として消極的に動いていた。

その為、史実のような加増は無かった。それで良かった。



武田滅亡後、信長は俺を呼び出した。

安土城。初めて見る天下人の城。俺は内心で驚いた。

巨大だった。

山城ではない。

権力を見せつける城。

信長という男は、戦だけではなく、人の心を理解している。

「木曽」

信長が呼ぶ。

「はっ」

「貴様は面白い」

突然の言葉。俺は頭を下げた。

「ありがたきお言葉」

「武田を捨てた理由を聞こう」

来た。試されている。俺は慎重に答える。

「家を残すためでございます」

信長は笑った。

「皆そう言う。しかし、多くは自分を残したいだけだ」

鋭い。俺は思った。やはりこの男は怖い。人を見る目が違う。

「では問う」

信長は続けた。

「貴様は何を残したい?」

俺は迷わず答えた。

「名ではございません。土地でもございません。木曽という家が百年後にも存在すること」

信長はしばらく黙った。そして

「欲がないな」

と言った。しかし、その目は悪くなかった。


俺は織田家の中で、微妙な位置についた。完全な家臣ではない。しかし敵でもない。

信長にとって俺は。

武田を知る案内役。

信濃への入口を守る武将。

扱いやすい地方大名。

それでよかった。俺は目立つ必要がない。

歴史上、多くの武将が失敗した理由。

それは「時代の中心に近づきすぎたこと」だった。

明智光秀。

柴田勝家。

羽柴秀吉。

徳川家康。

天下を狙う者たちは必ず大きな危険を背負う。

俺は違う。生存者になる。それが目的だった。


しかし、俺には一つの不安があった。

本能寺。

六月二日。

明智光秀の謀反。

信長死亡。

歴史を知る俺にとって、それは避けられない未来だった。


問題は、どう動くか。

信長に伝えるべきか。

否。

それは危険すぎる。

未来を知っていると言えば、狂人扱いされる。そして、信長ほどの人物なら。

「なぜ知っている」

と疑う。

信長が生き残れば歴史は大きく変わる。

だが、その変化が木曽家に幸運とは限らない。むしろ、天下人の側に近すぎれば、巻き込まれる。

だから、俺は別の道を選んだ。

「本能寺の後に動く」


六月二日。夜。信濃国木曽谷。

俺は空を見ていた。星が見える。静かな夜。

しかし、京では歴史が燃えている。

「……始まったか」

遠く離れた場所。本能寺。

織田信長、死亡。

その知らせが届いた時、多くの武将は混乱した。

誰につくべきか。

誰を倒すべきか。

しかし、俺だけは違った。


次の時代の中心人物を知っている。

「秀吉ではない。家康だ。」

もちろん、羽柴秀吉は強い。天下人になる。

しかし、俺は知っている。

豊臣政権は長く続かない。

徳川幕府は約260年続く。

ならば、選ぶべき相手は決まっている。


本能寺の変から数日後。俺は動いた。

まず、徳川家康へ使者を送る。

「木曽義昌、三河殿との友誼を望む」

これは単なる挨拶ではない。未来への投資だった。

家康は警戒する。当然だ。

戦国武将同士。信用など簡単にはできない。

しかし、家康には木曽谷の価値が分かる。

甲斐。信濃。美濃。その接点。重要な土地。

「木曽殿は、なぜ今、徳川に?」

家康の問い。

使者は答えた。

「乱世の先を見ているからです」

家康は考えた。そして、小さく笑った。

「面白い男だ」


その頃。俺は一人、書状を書いていた。

宛先。徳川家康。内容は簡潔。

「互いに争わず。互いの領地を尊重する。いざという時、助け合う。」

表向きは同盟。歴史の歯車は少しずつ変わり始めた。


武田を離れた男。

織田に接近した男。

そして、徳川へ未来の道を作った男。

木曽義昌。


だが、次に待つのは最大の試練。

信長亡き後、羽柴秀吉と徳川家康。二人の巨大な力の間で。小さな木曽家は生き残れるのか。


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