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惚れられた喜久蔵 (後編)

 

 さきは静かに濡れ縁へ出てこまの後ろ姿を見送り、次に喜久蔵の様子を見るべく、そっと隣の部屋を覗いた。

 喜久蔵は横になって布団を顔近くまでしっかり被っているらしく、残念ながら濡れ縁からは顔が見えなかった。

 仕方ないと、さきはそっと部屋に入った。とたんに喜久蔵が布団を胸元まで下げて言った。

「おさき、隣の部屋で何してたんだ?」

 その顔つきに照れは全くなかった。


「おとっつぁん、おこまさんのこと、どう思ってるの?」

 今しがたまでこまが座っていた枕元に座りながら、さきは喜久蔵に尋ねた。

「どうって?」

「良い人だなとか、きれいだなとか……」

 喜久蔵の顔はきょとんとしている顔だ。

「良い人だとは思うけど……ああいう人が『きれいな人』なのかい?」

 怒れていたとおり、喜久蔵の人間の女に対する感覚は、本来の人とは違っていた。

「きれいな人だと思うよ。好みは色々だとは思うけど」

 さきの言葉に「ふーん」とあまり気乗りしていない感じの返事をしただけで、喜久蔵は話題を変えた。

「おさき、上方へ行こうと思うんだ。海沿いのこの大きな村へ来ようと思ったのも、ここなら、津野屋のことが何かわかるんじゃないかと思ったからだよ」 


「えっ?上方へ?どうして?」 

「銀次郎さんの言ったことを確かめないといけないよ。おさきも知りたいだろ?」

 さきは返事に詰まった。知りたい気持ちがあるだろうかと、自問した。知りたい気持ちと知るのが怖い気持ちがあった。

「知って……どうするの?」

 喜久蔵は不思議そうな顔をした。

「どうするって……おさきが銀次郎さんの言うとおり、津野屋という大店の娘なら、こんな旅ぐらしをしなくて良くなるんだよ」

 喜久蔵の言ったことに、嬉しい気持ちがさきには湧かなかった。ひとつにはピンと来ないのだ。自分が大店の娘だと、どうにも思えない。

「もしも、銀次郎さんの言ったとおりだったら、おとっつぁんはどうするの?」

「そりゃあ……おいらは人じゃねぇから……」

「一緒にいられなくなるの?」

「しばらくは津野屋に居候させてもらうさ」

 喜久蔵の言葉は嘘だと、さきは思った。

「……嫌だ……」

 小声でさきは言った。

「え?何が嫌だって?」

「上方へ行くことないよ」

 喜久蔵は驚いた顔で上体を起こした。

「おさき……」

「あたしは平気だもん、今の暮らし。おとっつぁんと一緒だから、平気」

 さきは涙ぐんでいた。そんな顔を見せたくなくて、俯いた。

 このおとっつぁんと離れたくない。それが今のさきの気持ちなのだ。

 さきの肩にそっと手が置かれた。

「とにかく、上方へ行ってみようじゃないか。後のことは確かめてからだよ」



 翌日、喜久蔵はこまに話していた通り、朝から樽運びを手伝った。さきより五つくらい年上の丁稚と仲良く話しながら、午後には顧客宅への樽集めにも出かけた。

 夜食は台所で皆と一緒に食べた。

 こまは甲斐甲斐しく、喜久蔵の丼に飯を盛り、酌をした。その姿はどう見ても、喜久蔵にほの字である。

 ――おとっつぁん、気がついてないなぁ……

 さきはやきもきしてきた。

 すると、そんなこまとさきの様子を見てとってか、年長の丁稚が樽集めの逸話を披露した。

「喜久蔵さんは、女の人にウケが良いですよ。明日も喜久蔵さんが樽集めについてきてくれたら、集めやすいし、次の注文が増えますよ、きっと!」

 丁稚の話にこまの顔には赤味がさし、さきは思いきり戸惑った。

 ――おとっつぁんが女の人に好かれるなんて、思ってもみなかった……おこまさんだけじゃないなんて……

 肝心の喜久蔵はというと、

「あの、キ……なんとかいう居酒屋以外なら、明日も喜んで樽集めに行くよ。あそこだけは勘弁してくれ」

 と、答えた時にも照れた風は全く無い。

 さきは「何があったの?」と、つい訊いてしまった。

 先輩丁稚から話を聞いたらしい年下の丁稚が吹き出した。そのあとには丁稚二人が顔を見合わせてくすくす笑っている。

「喜久蔵さんが困ってるなら、助けないとダメでしょう!」

 こまが丁稚二人を睨みながら言った。

 丁稚たちは女将に怒られ、一瞬はしゅんとなったが、すぐにまたくすくす笑い始めた。

「だって、喜久蔵さんが面白すぎて!あのおたかさんが一生懸命口説いてるのに、とんちんかんな答えばっかりしてたんですよ!」

 喜久蔵は隣に座るさきに何か訊きたそうな素振りを見せたが、やめて酒を口にした。

 ――丁稚二人の笑いが止まらない理由がわかってないんだ……

 こまの「大人をからかうもんじゃありません!」の一声で、その話は止めになったが、何があったか一番知りたいのは、こまではないかとさきは思った。


 食べ終わる頃に、突然、喜久蔵がこまに向いて言った。 

「ここから上方へ行くにはどう行ったら、いいんでやしょう?」

 いきなり振られ、こまは驚いていた。

「大事な用というのは、上方へ行くことなんですか?上方も広いですよ。上方のどちらに?」

「ええ〜と、津野屋という飛脚屋に行きてぇんです。知り合いがそこにいるらしいんで……」

「上方の津野屋さん……あたしは聞いたことないけど、佐原屋さんなら知ってるんじゃないかしら。廻船問屋の。明日、訊いてみますわ」

 こまの表情に、ほんの少しだが、翳りが見えたと、さきは思った。

 上方へ行くより、ここで暮らしたい。そんな思いがさきにも湧いた。



 翌朝、早々にこまは佐原屋へ出かけて、津野屋のことを聞き出してきた。

「津野屋という飛脚屋の本店は、大坂は北船場(きたせんば)にあるそうですよ。ここからだと船に乗るのが一番早いと思いますけど、山道の方が良いんですね?」

 見世の帳場でこまは喜久蔵とさきに佐原屋が教えたことを告げた。口ぶりからは、やはり少し気落ちしている。

「なんとなく察しておられると思いやすが、あっしは堅気じゃありやせん。手形ってのを持ってねぇんです。それに山には慣れてやす」

 こまは俯いた。

「あっしがここに長くいると、おこまさんに迷惑がかかりやすから、明日の夜明けに旅立ちやす」

 こまが顔をあげた。

「あなたのようなお人がすすんで悪いことをしたとは思えません。よかったら、事情を話してもらえませんか?力になれるかもしれない……」

 喜久蔵は軽くかぶりを振った。

「騙されたとはいえ、盗っ人の仲間に入っちまったんです。見抜けなかったあっしが悪い。どうしようもありやせん」

 喜久蔵の言い訳に、さきは銀次郎が言ったことを使って、こまを振ろうとしているのだと思った。

「刃傷沙汰を起こしたんですか?」

 喜久蔵は大きく首肯した。

「お頭(かしら)を殺っちまいやした」

 こまは驚いた顔を見せたが、出てきた言葉は落ち着いていた。

「相手が盗賊のお頭なら、お咎めは軽くなるのではありませんか?……あ、仲間の仕返しを恐れている?」

 こまの推測に喜久蔵は何の反応も見せず、さきに向いた。

「おさき、今日のうちに必要なものを買ってきてくれ。おいらはここを手伝うからな」

 しかし、こまの話は続いた。

「あ、それから、佐原屋さんがもう一つ、不思議なことを教えてくださいましたよ。おととい、喜久蔵さんとおさきさんが海岸に居た日、あの辺りの沖に光るものが二つも落ちたんですって。佐原屋さんの船から何人も見たそうなの。だから、夢でも幻でもないって。お二人は見なかった?」

 こまの問いかけに身が固くなったさきだったが、喜久蔵は顔色も変えず、即座に返していた。

「へ〜ぇ、そんなことが!あっしは具合が悪かったんで、気がつきやせんでした。何も言わなかったところからすると、おさきも見てねぇな?」



 さきは村の目抜き通りを歩いて必要な物を買い回りながら、明日にはこの村を去るのかと思うと、寂しくなっていた。

 初めて訪れた漁村は、魚特有の臭いが所々できつく漂っているのには閉口したものの、さきがこれまでに訪れた中では一番大きな村で、見世は種類も数も多く、町行く人も、見世の人も、皆気さくだった。

 そのうえ、見渡す限り広がる海を眺めると気持ちが軽くなるのだ。

 もう少し海の近くで過ごしたかった。

 けれど、ここにいたら、またすぐにあの黄色い光が現れると、喜久蔵は思っているのかもしれない。


 さきが買い物を終えてこまの営む酒屋へ戻ってきた時、さきを追い越してこまの酒屋に駆け込んだ女がいた。皆、地味な着物を着ているのに、少し派手めの着物を着た女だった。

 そして、女が見世に入った途端、何やら騒がしくなった。

 さきは急いだ。酒屋の戸口へ来た時、今しがた入っていった女と思われる声が聞こえた。


「お客に樽集めさせたのかい?」 

 続いてこまの声が聞こえた。

「昨日はどうしてもって仰るんで、樽集めを手伝っていただきましたけど、もう二度とそんなことさせませんから」

「それなら、うちに来るのがようござんすよ。ここと違って旅籠もしてますの」 

 さきが開けたままの戸口から中を覗くと、帳場の真ん中にこま、その斜め前に喜久蔵が座り、上がり框に派手めの着物を着た女が腰掛けていた。さきに見えた横顔からは、きれいに厚化粧している。

「旅籠だってんなら、そっちに泊まる方がいいのかな……いつまでもおこまさんに迷惑かけられねぇし……」

 喜久蔵の顔つきも言い方も、少しおどおどしている。

「おたかさんのお店は居酒屋じゃないですか。いつから旅籠になったんです?」 

 こまの声にはトゲがある。

「あら。酔っぱらった旅人を二階に泊めてるのよ。ちゃんとお許しももらってるんだから。さ、喜久蔵さん、うちへいらっしゃいな。お酒にあう肴も用意してますしね」

 そう言いながら、女は喜久蔵に流し目を使った。

「あちら様がお客を呼ぶのは商売。うちにいればただですよ」

 すかさずこまが微笑んで喜久蔵に言った。

 喜久蔵はどうしていいかわからず、こまとたかという居酒屋の女将の顔を交互に見ている。こまとたかの間に険悪な気が高まっていることは感じているのだ。しかし、どうして二人が険悪な仲になっているかはわかっていない。さきはそう思った。


「あんたって人は、よく懲りずにまた男をひっかけて……」

 たかが呟くように言った一言に、こまの顔が赤くなった。すっくと立ち上がり、上がり框へと歩きながら、言葉を返した。

「また男をひっかけてるですって!それはあなたでしょう!」

「山城屋さんも佐原屋さんも、ここへよく来てるじゃありませんか」

「お酒を買ってくださってる、うちの大事な常連様ですよ」

 こまとたかの視線の間に、さきは火花を見たと思った。

「手代や丁稚に買いに来させず、ご主人、御自(おんみずか)ら買いに来るのに?下手な言い訳ね」

 ここは邪魔をした方が良いと、さきは戸口の敷居を跨いだ。

 その刹那、パン!と弾けるような音がした。

 直後に「あっ」という女の声が二つ。

 視界の隅でさきは何が起こったか目撃した。

 なんと、こまが喜久蔵の頬を叩いたのだ。

 怒りに手を挙げたこまを喜久蔵が止めようとして、女二人の間に入った結果の悲劇だ。

 ――ど、鈍臭すぎるよ、おとっつぁん……


「喜久蔵さん!大丈夫?」

 こまは青ざめて喜久蔵の両頬を包むように手で触れた。

「大丈夫、大丈夫」

 喜久蔵は笑ってこまの両手首を掴んで顔から離すと、たかに向いた。

「え〜、ということで、おたかさん、申し出はありがてぇが、あっしとおさきはおこまさん家にご厄介になりやす。あともう一日のことでやすしね」

 ――「ということで」?

 喜久蔵の発言の冒頭に面食らったさきだが、こまの家に居続けることに異論はない。


 思わぬ展開のせいか、たかの方は戦意を喪失したように見えた。

「そんな……もっとゆっくりしていってくださいよ。急ぐ旅ではないんでしょ?」

 たかの言葉に喜久蔵はかぶりを振った。

「いや、急ぎやす。早い方がいいんです」 

 こまもたかも黙って喜久蔵の顔を見つめ、喜久蔵はというと、さきに気づいて、笑顔で手招きした。

 さきが近づく間に、不思議なことに、喜久蔵の左頬にあった、こまが叩いた痕らしい、赤味が消えていった。

 ――普通、逆だよね?叩かれた直後は変わらなくて、後から赤くなったり痣が出てきたり……



 その夜、喜久蔵はこまに呼び止められ、さきは一足先に一人で布団に入ることになった。しかし、

 ――今頃はおこまさんがおとっつぁんを口説いてるのかな?

 気になって眠れない。


 そっと布団を抜け出し、さきはこまの部屋へ向かった。すると、こまの部屋の外には女中がいた。障子を閉めた直後に見えた。手に盆を持っていて、台所の方へ歩いていった。

 女中と入れ替わるように、忍び足でこまの部屋に近づいたさきの耳に、こまの声が聞こえた。

「はしたない女だとお思いでしょうね。でも亡くなった旦那様以外、初めてなんですよ。こうして男の人と二人で呑むのは……人を叩いたのも初めて。おたかさんとは昔から、なんというか、馬が合わないんですけど……自分で自分に驚いたわ。ホントにごめんなさいね」

「いやいや、あっしが割って入ったんで。もっとうまく止められたらよかったんでやすけど」


 ということは、二人で酒を呑んでいるのだ。さきはまずいと思った。夜食でも喜久蔵は一合呑んでいたのである。

 ――こうしている間に、つい気が緩んで、目と目の間が広がって、ぼやけたら……

 だが、恋路の邪魔をして無粋なやつと思われたくはない。

 二人は部屋の奥の方にいるらしく、障子に影が映っていない。中の様子がわからない。

 ――ああ、どうしたら、いいの?

 さきは二人の邪魔をする、うまい手立てを探して、辺りを見回した。

 半月の明かりに照らされた庭に動くものは無く、庭の向こうに蔵が見えるだけだ。

 焦って周りを見回しながらも、聞き耳を立てていたさきは異変に気づいた。

 部屋の中の声が途絶えたのだ。

 変な声も聞こえない。かすかに人が動く物音はしている。

 さきは思い切って障子をそろりと開けた。


 見えたのは、喜久蔵がこまを布団に寝かせる後ろ姿だった。

 さきはホッとすると同時にどっと疲れを感じた。

「おこまさん、眠っちゃったの?」

 さきの声に振り向いた喜久蔵の顔は、目と目の間が大きく広がり輪郭はぼやけていた。

「うっ」という短い声が、さきの口から漏れた。

「おいらがちょいと額に触れたら、眠ったよ。相当疲れてるんだね」

 ――そうだった。おとっつぁんはそんなこともできるんだった……

 喜久蔵は、疲れていたり、眠かったりする人物を、即座に眠らせることができるらしい。

「眠くない相手には効かないよ」

 前にそう言っていた。さき自身もそのテで眠らされたことが何度かある。


「おこまさん、そんなに疲れてたの?」

 さきは喜久蔵のそばへ行き、こまの寝顔を見た。すやすやと穏やかな顔で眠っている。

「旦那が亡くなってから、気を張り続けてるんだろうね。見世をつぶしちゃいけないと。この世界はどうやら男中心の世界らしいから、男たちに負けまいと必死なんだよ」

 さきはテキパキと手代や丁稚に指図していたこまの姿を思い浮かべた。

 ――あれは、気を張って頑張ってたんだ……

 そう思ったら、こまが喜久蔵に惹かれた理由がわかった気がした。樽集めの先で、喜久蔵に惹かれた女たちも、こまと同じように、気を張って商いをしている人たちだったのだろう。

 ――あのおたかさんも、だからこそ、おとっつぁんに惹かれた……

 さきが感じている、喜久蔵の穏やかでとぼけた雰囲気は、そんな女たちに安らぎを与えるのかもしれない。


「ねぇ、おとっつぁん、今夜はおこまさんの横で寝てあげて」

 喜久蔵は驚いた顔を見せた。一段と輪郭がぼやけている。

「目と目の間を戻して、そのぼやけを無くせたら、だけどね」



 喜久蔵は夜明け近くまでこまの部屋で眠り、夜明けに喜久蔵とさきは予告通り旅立った。

 こまだけでなく、住み込みの丁稚と女中も早起きし、二人を見送ってくれた。

 そうして、この朝のこまの顔つきは、それまでよりすっきりして見えた。

「あたしったら、誘っておきながら、すぐに眠ってしまったのね。ごめんなさい」

 こまが小声で喜久蔵に謝っているのがさきに聞こえた。

「これだけの見世を切り盛りするのは大変でやしょう。疲れて当たり前。よく眠れたようで、よかったでやす」

 そう返した喜久蔵は無邪気とも言える笑みを見せていた。

「ええ、久しぶりにぐっすり眠ったようで、気分はすっきりしてます。喜久蔵さんは不思議なお方ですね」

 そう言ったこまの顔は明るい笑顔から、最後は寂しそうな笑みに変わった。寝込みを襲うことなく、布団を敷いて優しくこまを寝かせた喜久蔵は、こまの中で一段と株を上げたに違いない。


「おこまさんのご親切は決して忘れません。御縁がありましたら、またお会いしましょう」

 喜久蔵は別れの挨拶にそう言ったが、さきは二度と会わないつもりだと感じた。いや、二度と会えないと思っている、と……


 かなり歩いた後でさきが後ろへ振りむいたら、こまの姿が小さく見えた。喜久蔵の姿が見えなくなるまで見送るつもりなのだ。

 さきは喜久蔵に知らせた。

「おこまさん、まだあたしたちを見送ってくれてるよ」

 さきの言葉に喜久蔵は振り向くことなく、前を向いたまま、しんみりした口調で言った。

「幸せになってほしいね。何があの人の望みか知らないけど、かなってほしいね」


 さきは尋ねたくて我慢していたことを村はずれで、やっと切り出した。

「眠ったおこまさんに変な気は起きなかったの?」

「変な気って?」

 さきもよく知っているわけではないので、どう説明していいのか、わからない。

「おとなの男の人は、きれいな女の人見たら、よくちょっかい出してるじゃない」

「それは、悪い連中だろ?三原村のとき婆さんがそう言ってなかったか?」

「あたしが聞いてるのは、良い悪いじゃなくて……」 

「それに、おいらはこの世界の『人』じゃねぇからな」

 やはりそれが一番の理由なんだと、さきは納得した。しかし、そこから、もしも喜久蔵が人間の女に興味がないのだとしたら、自分への感情は何なのだろうと、考えが進んでしまった。

 ――人が飼ってる小鳥や犬をかわいがる気持ちに近いのかしら?

 もしもそうだとしたら、少し寂しい。


 さきにはもう一つ喜久蔵に訊きたいことがあった。

「盗っ人のお頭を殺っちまったって、どこから思いついたの?」

 途端に喜久蔵は悲しげな顔になった。その目は本来の喜久蔵の目だ。

「思いついたんじゃないよ。本当のことだ。おいらがいた世界でおいらがやらかしちまったことだ。だから、黄色いのに追われてるんだ」

 さきは思わず立ち止まった。

 喜久蔵も立ち止まり、さきに向いた。

 喜久蔵が元の世界で罪を犯していたと知って、驚いたことは驚いたさきだが、その驚きは仰天という程ではない。銀次郎から本物の喜久蔵が盗っ人の手先だったと聞かされた時の方が受けた衝撃は大きかった。

 しかも、悪事を重ねたわけではなく、騙された悪人を殺したというのだから、殺してしまったのも、不幸な事故ではないかと思った。素直にそのことを口にした。

「確かに殺すつもりはなかった。けど、結果がそうなってしまったら、そういうことになる。おさきにわかるように話すのは難しいな……」

 喜久蔵は遠い目をした。複雑な事情がありそうだ。

「相手が盗っ人の悪人でも?国を……世界っていうのを超えてまで追われることなの?」 

「ここの『御法度(ごはっと)』という法とおいらの世界の法は違うからね」

「それじゃあ、あの黄色い光はおとっつぁんの国からの追っ手?」

「……の放った武器だ。弓矢の矢だと言えばいいかな。この世界の弓矢と違って、自在に向きを変えてしつこく追ってくるんだけどね……」

 さきは喜久蔵が内に秘めている深い闇を初めて感じた。


「あの黄色い光はまた現れるの?」

「たぶん」

「どうしたら、現れなくなるの?」

「おいらが死んだら」 

「そんなの嫌!」

 さきは思わず出た自分の声に自分で驚いた。

「そんなの、おかしいじゃない!相手はおとっつぁんをだました悪い人だったんでしょ?なのに、どうしておとっつぁんが死罪になるの?」

 喜久蔵は優しくさきの顔を両手で包んだ。

「こんな話してすまねえな。あっちの国でも、たぶん、おいらの知り合いがなんとか罪が軽くなるよう動いてくれてるんじゃないかと思う。それに、あっちからここへはそう簡単に来れないんだ。あの黄色い光が次から次へと現れることはない。忘れた頃に現れる……さ、上方へ急ごう」

 喜久蔵はさきの手を取って歩きはじめた。さきはその手をしっかり握り返した。







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