第二十話
「地下迷宮の存在は人間にとってあまりに都合がよすぎるのです」
いつの間にかカシウスの部下達は武器を置き、彼の言葉に傾注している。
地下迷宮は魔族が作った。
それも、人間界侵攻の為の前線基地として。
荒唐無稽に思えるそれは、しかしカシウスの確信じみた語りによって段々と真に迫っている様な気さえしてくる。
「火や水、時には風や光などを生み出す、今や人々の生活に欠かせなくなった『喚石』。
あれは地上を魔素で汚染し、魔族領と同じ濃度にする事で魔族達の活動を活発にさせるために存在しているものです」
「…………全部が嘘ではなさそうだな」
「全部真実ですよ。
今さっき、あなたが通ってきたあの横に繋がる転移の魔方陣。
どうやって生まれたか知っていますか?」
地下迷宮は、発生したときには既に内部構造は完成されており、罠や転移の魔方陣の類いも既に仕込まれているのが通説だ。
それが誰に仕込まれたのかはさておき、新しく仕掛けが発生するというのは珍しいとされる。
「まあ、生まれたという言い方は語弊を招きますね。
正確には起動した、と言った方がよいでしょう」
「………………魔族だけが通行可能な、いや違うな。
魔族だけが起動可能な潜伏魔方陣か」
「概ね正解です。
目的の都合上、魔族は人間に極力発見される訳にはいきません。
その為に、魔族領から人間界の地上まで、そして他の地下迷宮へ、それぞれ魔族のみが起動可能な転移の魔方陣によって秘匿通路が存在します。
もっとも、その性質上、私達は『本道』と呼んでいますが」
聞く限りでは矛盾らしいものも見当たらない。
それならばルシアとウィンがひた走り逃げた結果、ストーネスまで行き着いたのも納得が出来る。
だが、最初の地下迷宮が生まれたのは遥か昔の筈だ。
魔族の侵入路として作られたのならば、昨今の対魔族の均衡、膠着状態は少し妙である。
「もしかして、魔族は使ってないのか、その本道とやらを」
「彼等がこの路を使用していればとうに人間は滅んでいますよ。
街の近くに強大な力を持つ魔族が突然湧いて出るのですから」
「……………………この事実、どれだけの人間が知ってるんだ?
本来ならこんな場所とっとと破壊すべきだろ」
人々の生活に密接に関係している地下迷宮。
その実、すぐ傍で魔族が爪を研ぎ武器を貯えている。
危険どころではない。街の一つや二つが襲われる程度ならばまだいい。
最悪、内外からの挟撃により人類そのものの存続が危ぶまれる。
『喚石』にしてもそうだ。
レンガはその鉱石の奇妙な力を今しがた知ったばかりだが、確かに魅力的な物だと認識していた。
清められた水が簡単に手に入り、瞬く間に湯が沸く。
街は光で溢れ、約束された繁栄を人々は今享受している。
カシウスの言ったことが本当ならば、人々は今確実に地上に魔素を振り撒いている事になる。
高まった濃度はやがて土に染み、空気に呑まれ、魔族領と同じ様に生態系に大きな変化をもたらすだろう。
「知りませんよ、誰も」
「………………はあ?」
「正確には、私達以外誰も知らない、ですね。
この事実を最初に知ったのは私です」
カシウスは国に認められた一等星のドラゴンハンターのはずだ。
それがなぜ国に仇なす様な真似をしているのか。
「言ったでしょう。
人を滅ぼす、と」
「………………」
人類の敵であると、声高に宣言する。
それに賛同する様に、カシウスの部下達も瞳に力を宿し、レンガを強く睨む。
いつの間にかカシウスの右手人差し指の先には魔方陣が浮いている。
それをレンガにぴたりと差し向け、茶色の瞳を薄く細める。
「最後に聞いておきたい事があります。
あなたは、人は滅ぶべきだと思いますか?」
半ば脅しの様なやり取り。
カシウスとしてはここまで話してしまっては後には退けない。
あまりに相手の反応が薄く、つい余計な事まで伝えてしまった。
普通ならばこれ程の真実、どれ程豪胆な者であろうと知らされれば狼狽える筈だ。
だと言うのに、対面する濁った金色の瞳は、揺れる事なくただ世界を映している。
別に派手な反応を期待していた訳ではない。
ただ、あまりにも関心が無い。
「知らねえよ。滅ぼしたきゃ勝手に滅ぼせ。
滅ぶ"べき"だとか、滅ば"なければ"とか、誰に言い訳してんだ」
「………………」
「あんたらが何を企んでるのかは知らねえが、多分無理だ。
この世界はお伽噺なんだよ。
悪は栄えども、人は滅びない。書き手がいなくなるからな」
帰って来た答えもまた、あまりに無遠慮なものだった。
人に仇なす自分達を、まるで止める気が無い。
あまつさえ理解に苦しむ内容の忠告さえ投げ掛けてくる始末である。
しかし、なぜかカシウスにはこの赤黒い髪の男が、今は狂人には見えずにいた。
理性もある。考える頭も多少はある。
だが、おそらくこれは人に属していないのだろう。
草木が人を意識しない様に。
風が、空が人に興味を示さない様に。
人間だけが世界ではないと知っている。
「せいぜい頑張れよ。
面白い情報くれた礼に、俺をぶっ殺した事は不問にしとく。
ああ、そうだ。
後であんたらが奥に隠してるそこの道、使わせてくれ。
繋がってんだろ、魔族領」
カシウスの指先からはもはや魔方陣は消え失せていた。
たじろぐ彼等に見向きもせずに背を向け、レンガは宙に魔方陣を描く。
背中越しにそれを見ていた者達は一目で気が付く。それが転移の魔方陣だと。
塵より小さく、光だけを残しその魔方陣に吸い込まれたレンガを、カシウス達は黙って見届けていた。
あれは初めから逃げる事が出来たという意趣の表れか。
「………………カシウス様、よろしかったのですか」
同じ方向を見つめつつ、一人の男がカシウスに話しかける。
あの存在をむざむざと逃がした事、事情を事細かに話した事。
完璧でなければならない計画に穴が生まれないかと危惧していた。
だが、カシウスの瞳に恐れも不安も浮かびはしていない。
「風に語って広まる噂が無い様に、あの者に何を伝えたところで意味を成すことはありませんよ。
敵対する方がよほど危険です」
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一人、また一人と、その身体から部位を取り落としていく。
紫と黒と灰を混ぜた色の迷宮の床は、今や血みどろである。
阿鼻叫喚の地獄絵図。
叫び発狂する者、腕を抱えて泣き赦しを乞う者。
血走った目で果敢に戦う者。
ルシアとウィンは先程まであれほど憎悪し、死を願っていた者達が、のたうち回り苦しむ様を見て吐き気を催していた。
彼等はもう逃げることも出来ない。
ステルクと名乗った茶髪の男だけが、かろうじて五体を留めている。
治癒の魔法で無理矢理身体を繋ぎ止め、間隙を狙ってリーシャへと攻撃の手を緩めない。
二等星たるその名に恥じない闘いぶりだった。
彼が得意とする、魔法弓による追尾と高速化を伴った矢による波状攻撃は対人対ドラゴン問わず脅威である。
素行に問題があるにも関わらず、実力だけで大鷲の猟団の副団長という地位に就いたのも異例の事だった。
「治癒の魔法、初めて見ました。
凄いですね、現代の魔法は。斬り放題です」
ついに魔法弓が中心から二つに割られ、ステルクの瞳には絶望が浮かぶ。
頼もしい仲間達は皆芋虫の様に転がり、声をかける気にもならない。
なぜこうなったのだろう、と走馬灯の様に自分の人生が脳裏に浮かぶ。
王都近くの貧民街に生まれ、奪って生き続け、気付けば抱えきれない程の財産が積もっていた。
全能感に浸り、あらゆる事をした。
気に入らない猟団に言いがかりを付け、男を殺し女を売り払った。
遊び半分でいけすかない貴族の家に火を放った事もある。
自分の汚点たる貧民街を商地にして商族に売るために、住民の共有井戸に無臭の毒を投げ入れたのも記憶に新しい。
我ながらろくでもない人生だ。
それでも仕方の無い事だ、自分が味わった苦痛は他の人間も味わわなければならないだろう。
奪わなければ、奪われるのだ。
「あなたが一番健闘したので、関節ごとに斬ることにします。
痛かったら言ってくださいね」
だからって、あんまりだろう。
こんな悪鬼羅刹も逃げ出す様な存在をあてがうなど、天の女神も随分容赦が無い。
罰にしては、重すぎる。
赦しはあまりに遠く、解放は望むべくもない。
目の前で金の髪が揺れるたびに、身体のどこかに激痛が走る。
声を出す間もなく、ステルクの意識は血だまりに吸い込まれていった。
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「うわ、なんだこれ」
突如背後から現れたレンガの軽い口調に、ルシアとウィンはやっと恐慌から意識を引き剥がす。
割れた皿でも見た様な驚き方はあまりにも場違いに響き渡る。
手足が散乱し、血しぶきが広がっている。
その惨状の真っ只中に、ただ一人、血を知らないかの様に清廉な身で立つ姿がある。
「あっレンガさん」
無邪気な子供を思わせる顔で、彼女は振り返る。
喜びも悲しみも無い。
ただ、待ち人がやっと来てくれたことに安堵している様なそれだけの顔だ。
「いや、あのなあ。
お前が"そういう風"に出来てるのは知ってるが、さすがにここまでしたらダメだろ。
殺すなら嬲らず、首を落とせ。
必要以上の痛みは不要な歪みを生み出す」
リーシャに駆け寄り、子供を諭す口調でレンガはそう告げる。
彼女が殺すために作られ、教育されているのはとうに知っている。
誰彼構わず手にかけようとしないのは彼女自信の心の働きかけによるものだとも知っているから、レンガは強く怒る気は無い。
「ごめんなさい、レンガさん。
我慢できませんでした」
「…………………まあ殺っちまったもんは仕方無い。
生きてる一人以外は俺が弔う。いいな?」
少しばつが悪そうに頷いたリーシャの肩を軽く叩き、レンガは浄滅の炎で足元に転がる死体を現世の痛みから解放する。
まつろわぬ怨念とならぬように、命を赦す。
灰すら遺さず、彼らの身体や衣服はここではないどこかへと消えた。
ルシアとウィンにはレンガが何をしているのかわからなかった。
なぜ脳と心臓が共に停止している者らの肉体に祈っているのか、理解が出来ないでいた。
「さて、あとは生きてるこいつだが」
「ステルクと名乗っていました。
ここで待機していたら突然彼らが襲いかかってきたんです。
レンガさんの方は何かありましたか?
随分と遅かったですけど」
何かと言われれば、中々に色々あった。
だが今は説明よりも先に、この茶色い癖毛の男をどうしようかと、レンガは悩んでいた。
片手片足それぞれから血を流して気絶している。
止血は既にレンガがしていたため、これ以上出血して死に至る様なことはない。
「俺の話は後にしよう。
おい、聞こえるかあんた!」
膝を折り、身体を曲げ頭だけ地面に付けているステルクの格好は見ようによっては跪いている様にも見えたかもしれない。
怪我などお構い無しにレンガは彼の肩を揺すり、覚醒を促す。
「…………ぅ……」
「あっ、起きましたよ」
「……へっ…………? ひぃっ……!?」
頭上にある金髪赤目を見るなり、腰を抜かした様にステルクは尻餅をつく。
その衝撃で傷の残る手足に激痛が走ったが、今は恐怖が勝ったようだ。
あらゆる殺戮を振り撒いた女と、見知らぬ男が一人。
それも最低最悪の金眼である。
「お、おお、俺に、俺達にこんな事して団長が、お前ただで済むと……!
それにカシウスさんだって…………」
目が左右にぶれ、鼻水とよだれを垂らしながら叫ぶ彼は、現れたときの偉ぶりは見る影も無く、もはや泣き叫ぶ子供と変わりない。
リーシャは呆れた様に目を伏せ、収めたはずの剣に手を伸ばしかける。
レンガとしては彼の放った言葉に引っ掛かるものがあったため、右手でリーシャを制してゆっくりと語りかける。
「カシウスの差し金か」
「ひっ…………、なんだよ、お前!
知ってるんだろ、カシウスさんをよ!
あの『魔族殺しのカシウス』だぞ!?
俺を殺したら…………、お前ら、皆殺しだぞ!」
魔族殺し。
一等星のドラゴンハンターであるカシウスならば、何か異名のようなものも付いていておかしくはないだろう。
しかし、それが魔族殺しとはどういう事なのだろうか。
「なんで魔族殺しなんだ?」
「………………は、はあ?
そんなの誰だって知ってるだろ!?
あの人は両親と妹を魔族に殺されたんだよ!」
「……………………へぇ」
望む情報を出しているのだから殺さないでくれと、目で訴えかけるステルクを無視して、レンガは顎に手をあて思考していた。
どうにも何かがおかしい。
矛盾、とまではいかないが、違和感の棘が脳裏に刺さって抜けない。
時を止めたかの様に静寂が保たれる。
その時だった。
「…………レンガさん! 下!」
突如出現した膨大な魔力の気配。
場所は遥か地下。
そして、それは今レンガ達が立っている階層まで凄まじい勢いで迫ってきていた。
ただ魔力を固めて射出しただけの攻撃。
それが正体だった。
しかし形容の簡素さに対して、その威力は絶大。
「なぁっ!? 床が!」
堅牢な迷宮の床を破壊し、天井にぶつかり階層そのものを大きく揺らす。
攻撃の余波にこの場にいた全員が大きく体勢を崩し飛ばされる。
床が抜け宙に浮くレンガが刹那の間に真下に見たのは大空洞。
床と天井が大きくくり貫かれた、おそらく地下三階と四階の更に下。
地下五階と呼ぶべき空間は、高さ五十メートル以上もある巨大な広間だった。
(飛行の魔法……!くそっ、リーシャにかけるのが限界だ!
ルシアとウィンは………………!?)
ゆっくりと進む時の中で状況の把握に努めるレンガの目が捉えたのは、謎の攻撃魔法により吹き飛ばされた魔族の姉弟の姿。
そして、飛ばされた先にはとある魔方陣。
リーシャも黙って見ていた訳ではない。
崩壊した床を蹴り、吹き飛ばされた二人に手を伸ばす。
間一髪で届かなかったその手は空を切り、二人は魔方陣の中へと消えていく。
「レンガさん! あの魔方陣の先には何があったんですか」
飛行の魔法により宙に身体を留めたリーシャが叫ぶ。
そう遠くない位置で同じく空を飛ぶレンガは、転移の魔方陣に向かって猛進しつつ答える。
「カシウスがいるんだよ! 今さっきあのステルクとかいう奴が言ってただろ!
魔族殺しの一等星だ!」
転移の魔方陣を転写するには少し時間がかかる。
先ほど帰って来た時に使った、ルシアとウィンが呑まれた魔方陣に向かってレンガは宙を駆けていた。
そして、それを妨げるように地底に空いた穴の底から暴風が吹き荒れる。
空中で遊ばれたレンガは大きくバランスを崩し、そのまま階下へと吸い込まれていく。
「……あぁ!? 今度はなんだよ!」
「レンガさん、あそこ!」
元いた場所の一つ下、地下三階のくり貫かれた床の縁に立ち、レンガとリーシャが見据えた地下にいたのは。
「…………ドラゴン、なのか、あれ」
レンガの声に呼応するように更に強い力 で風が二人の頭上から叩き付け、レンガはそのまま最下層、地下五階の地面へと叩き付けられる。
どれだけ頑丈だろうと、二人の体重は平均的なそれである。
レンガに気を取られリーシャが風を斬り損ねた結果、二人は成す術もなくそのドラゴンの形をした何かの前に立たされていた。
(転移の為には横の軸を合わせないと駄目だ。
上に上がるか? リーシャが補佐してくれれば出来るだろうが。
これしかないか……!)
眼前に佇む巨体を前にして、レンガは杖も握らず考えていた。
「リーシャ、ここは任せていいか」
「わかりました、行ってらっしゃい」
飛び立ったレンガに向けて、再び行かせまいと大嵐が吹き荒れる。
だが、その暴風はレンガの身体を捉える寸前、天に向かって放たれた一閃によって霧散する。
剣神の赤い目が、暗がりでいっそう輝いていた。
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転移の魔方陣に吸い込まれたルシアとウィンは、その先で緑を見た。
それも初めて見るものではない。
三日、四日前に、白い服を着た人間達に追いかけられた場所だ。
魔族領特有の草木が繁り、先ほどいた地下迷宮より生温い空気が漂っている。
「ね、姉さん! ここって……」
ウィンがそう声を上げたときだった。
「………………魔族」
いつの間にか、白く長い髪の男が目の前に立っている。
冷たい目の下に強大な魔力を秘めている事がルシアには一目でわかってしまった。
弟を庇うように前に立ち、その見下ろす視線に意思を交差させる。
背後の魔方陣はなぜか明滅し、その効力を上手く発揮できていないようだった。
「カシウス様! ……………こ、こいつら、魔族!?
まさか先ほどの男が言っていた……!?」
男の後ろから、上下ともに白い服を着た男が駆け寄ってくる。
その叫びにはとても聞き逃せない単語が含まれていた。
『魔族殺しのカシウス』。
二人の脳裏に先ほど耳にした会話が強く浮かび上がる。
両親と妹を魔族に殺され、強い恨みを持つ者。
どんな星の巡り合わせかは知らないが、おおよそ考えうる限り最悪の事態だ。
助けも望めない、今日何度目かの絶体絶命。
「…………なぜあなた方だけで来たのかはわかりませんが」
「……………い、いや……!」
カシウスはルシアとウィンに歩みより、その目をじっと見る。
二人の背筋は凍り付き、もはや叫ぶことすら叶わない。
蛇に睨まれた蛙のように硬直した二人を見て、カシウスは口を開き、
「では、お茶にしますか」
「……………………………………へ?」
そのまま踵を返し、二人から離れていった。




