第二十一話
ストーネスの地下迷宮地下五階、大空洞。
天高くドーム上に広がるこの空間では、他では見られない奇妙な光景が描かれていた。
いくつもの『喚石』が高濃度の魔素を吸いきった結果、溶け混ざり合い、長い年月を経て何かに磨かれ、やがて大きな一つの鏡面を壁に作っている。
ある種幻想的な光景だったが、それは高い位置にある壁面のみのものだ。
十メートルより下の壁にはいくつもの抉られた痕が残り、美しかった筈の大鏡は見る影もない。
そんな場所に、一人と一体。
「あなた、随分と面白い形をしてますね」
リーシャが対峙するドラゴンに似た、しかし大きく異なる何か。
それはあまりに異形と言うに相応しい形体を成していた。
地に付ける足の数は五本、刺々しく波立つ背から生える対をなさない翼は三枚、幾つもある目は横面に張り付くように連なり、それぞれが独立して獲物を探している。
紫と黒と灰とを混ぜた様な体表、それは地下迷宮の壁や地面と全く同じ、どこで生まれたかを明朗に語る体色だ。
何よりも奇妙だったのは、それだけの異形、生物にあるまじき非対象性にも関わらず歪みが感じられない事だ。
(これが完全だと、これが生物だと言いたいのでしょうか)
歪さに欠ける、まるで生き物本来の姿とでも言わんばかりに、整っている。
なぜそう感じたのか、リーシャには自分でもわからなかった。
だから、斬る事にした。
「腸まで整っているわけではないでしょう?」
その巨体を縦に両断せんとする斬撃一閃。
翼を含めず体高十メートル以上あるドラゴンに似た何かに向かって、目に見えぬ切断の意思を飛ばす。
「………………オオイナル、モノ」
「え?」
リーシャの放った斬撃を受け止めず、その巨体に見合わぬ身軽さで後ろに飛び退き回避するドラゴンもどき。
大抵の生物は、自分より遥か小さきものを見れば油断し、傲る。
当然の事だ、人間の大人でさえぶつかってくる子供相手に大げさに回避する様な真似はしない。
ましてこれだけ体格差のある両者ならば、小さく無愛想な剣一つ避けるに値するはずがない。
それにも関わらず、避けた。
そしてそれ以上に驚くべき事実。
「あなた今、人の言葉を……?」
地面を揺らす様な低い声で、確かに人の言葉を喋っていた。
あり得ない事ではないだろう。
魔法を使えるのならば、人並みの知能はあってもおかしくはない。
迷宮地下二階にいた犬の姿をした魔物の様に、ただ本能に刻まれた魔方陣を投射するだけの存在とはこのドラゴンが明らかに異なっているのは、これまでのやり取りでも十二分にわかっていた。
「………………オオイナルモノ、…………オオイナル…………」
「……? 上の階、ですか?」
唸る異形がたくさんの瞳で見つめる先は、大穴の空いた天の上。
"大いなるもの"と、確かに言っている。
状況から察するに、
「まさか、レンガさんの事ですか?」
思えばこの存在は、ずっとレンガを引きずり込み、留めようとしていた節があった。
何の目的で彼を欲するのかはわからないが、おそらくこの考え自体は間違っていないだろう、とリーシャは一人頷く。
しかし、奇妙な点は、"どうして"レンガが尋常ではないと知覚できたかだ。
(あの人の力を、それが形になる前にはっきりと捉える事が出来る、とはどういう原理なのでしょうか)
リーシャ程の人並外れた五感を持ってしても、レンガの神なる力の正体は未だ掴めていない。
"それ"が引き起こした現象そのものは認識出来ても、"それ"が何なのかはわからないでいた。
だが、目の前の異形のドラゴンはそれを成しえている。
「…………オオイナルモノ、………………アァ」
「あんな人食べたらお腹壊しますよ」
天に焦がれた様に嘆くそれに向かって、リーシャは抜剣したまま駆け出す。
彼女の胸中には不思議な想いが生まれていた。
150年前には抱くはずもなかったもの。
ただ殺すために生きていた自分には無縁だと思っていた。
それは知的好奇心。
確かめたい、この存在を。
「………………レンガさんに感化されてますね、私も」
風を断つように走るリーシャを無数の目で捉えた異形のドラゴンは、刹那の合間、それこそリーシャですら一瞬と認識する速さで魔方陣を展開する。
構築が速いなどというレベルではなく、突然完成された魔法が大空洞内で吹き荒れる。
風、と言うよりかは嵐の魔法。
「うわわっ」
一つ断てども、何重にも張り巡らされた乱流がリーシャの足を取り、天井の瓦礫を巻き込んで巨体に近寄らせない。
中にはただの風圧ではなく風の刃も紛れ込んでいたが、リーシャの白い肌を傷付けるには至らない。
だが、その圧倒的物量の前にリーシャの方も攻めあぐねていた。
(あの馬鹿げた発動速度。
体内で、もしくは脳内で魔方陣を構築していつでも取り出せる様に待機させているのでしょうか。
そんな事が本当に可能なのか。ねえ、レンガさん)
この場にいない誰かに声をかけ、リーシャは暴風に躍りながらも一度辺りを見回す。
右斜め後方に見えた横穴、もしくは通路か。
この大空洞への正規の侵入路かもしれない。
このままでは埒が明かないため、リーシャは風に背を押されるままにその横穴に飛び込んだ。
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横穴の中は迷宮の通路と同じ構造で一直線に広がっていた。
異形のドラゴンは追ってくる気配は無く、大空洞の暴風も鳴りを潜めている。
(ひとまず体勢は立て直せそうですけど…………。
問題は……)
苦い顔をするリーシャ。
確かに目論見通り暴風から逃れえる事は出来た。
ただ、この横穴には先客がいた。
「きっ、貴様!? 上階にいたあの!?」
「レジーナ様! 大声を出しては……!」
口やかましく騒ぎ立てる全身鎧の女一人と、他男が六人。
リーシャはあまり人の顔を覚えるのが得意ではない。
覚えるより先に斬る事の方が多かったからだ。
それに今彼女に向かって武器を構えている彼等は、そもそも厚い面当てによって顔を隠している。
しかし、さしものリーシャでも察しはつく。
「ああ、調査隊の方々ですか。
こんな所で何をしてるんですか?」
敬語だが状況にそぐわぬ軽い口調。
それに憤るほど今の中央調査隊の面々は気力が充実している訳ではなかった。
王都随一の鍛治師が鍛えた鎧にはひびが入り、ある者は鎧を脱いで横たわり治癒の魔法による手当てを受けている。
状況からしてあの異形のドラゴンに挑んだのだろうか。
「………………我々はこの地下五階に降り立ち、あの巨大な空間に出た。
奴に挑み、…………撤退……、敗走して今この場で一時的な休息をとっている」
「上の階には戻らないんですか?」
意外にも素直に会話に応じた中央調査隊副隊長レジーナ。
リーシャも茶化す様な真似はせず、普通の会話を心がける。
相手もおそらく争っている場合ではないと理解しているのだろう。
「理由は不明だが、転移の魔方陣が非常に不安定になっている。
無理に使用すれば最悪、迷宮の土の中に埋もれて一生を終える可能性もある」
「なるほど。大変ですね」
「…………………………気楽なものだな、貴様。
この様な事態は初めてだ……。
おそらくあの妙なドラゴンはこの地下迷宮の主。
こんな浅い階層に巣食っているとは…………、予想外だった。
不可侵である迷宮の壁や床をいとも容易く破壊するあの力、おそらく一等星の竜狩りでもなければ相手取るのは不可能だ」
口惜しげにそう言うレジーナ。
彼女には彼女なりのプライドがあるのだろう。
そうは言っても、彼等中央調査隊はあくまで地下迷宮内の探索、マッピングや罠の発見、解除に秀でた者達であって戦闘の達人という訳ではない。
リーシャにそんな事をフォローする気は元より無かったが。
「しかし、貴様どこから湧いて出た?
この階の入り口はこの通路奥の転移の魔方陣だけの筈だが……」
「落ちてきたんですよ、あの大穴から」
事も無げに言うが、一切魔力の無い彼女がどんな手段で無傷で降り立ったのか、中央調査隊の者達にはわからなかった。
こんな状況下であるにも関わらずその超然とした態度、赤い瞳に不思議な光を秘める彼女は、やはりおかしく見える。
信じる事は難しかったが、疑っても仕方が無いという状況。
結局レジーナをはじめ、他の隊員達もその事実を認めざるをえなかった。
「あなた達はあの変なドラゴンについて何かわかった事はありませんか?」
「………………何を言っている?」
「"彼女"の事を知りたいんです」
文脈からして、恐らくはあの異形のドラゴンを"彼女"と呼んだのだろうとはレジーナ達にもわかった。
しかし、なぜ彼女と呼んだのか、そして倒すのではなく知りたいとはどういう事なのか。
悩んだ末に、情報を出し渋る理由もついぞ無くなった為、レジーナが衰弱した隊員達に一目向けた後、ゆっくりと語りだした。
「……………………我々が最初にあのドラゴンもどきを捉えた時、奴は壁に向かって突進していた。
何もないただの壁を攻撃していた理由はわからなかったが、その威力と狂暴性から危険だと判断し、我々は撤退しようとした。
その際魔法で攻撃し、牽制しながら退却していたが、凄まじい威力の風の魔法によって数人が負傷、この有り様だ」
その苛立ちは自分に向けたものだろうか、とリーシャは何となく考えていた。
当然話の内容も頭に入れている。
新しい情報と言えばそうだが、いまいち要領を得ない。
リーシャが漠然と抱いた"知りたい"というこの気持ちが何に起因するのか。
掴むには至らない。
「もっと、何かありませんか?
些細な事でもいいんです」
なぜそこまで熱心に情報を収集するのか。
それで何が解決するのか。
だが、もはや待つばかりで打つ手無しの中央調査隊は、藁にもすがる思いで思考を巡らせていた。
レジーナも、つい数刻前に刃を向けた筈の相手に対して、今や争う気は無い。
ドラゴンなどという強大な存在の前では、人間同士の争いなど矮小で些細なものだと思い知らされる様だ。
「………………………奴は多分、頭部が弱点、ではないか」
「どうしてそう思ったんですか?」
「…………我々の魔法や武器による攻撃は、その殆どが翼や足に当たり、そしてかすり傷すら負わせる事が出来なかった。
それどころか、奴はかわす事すらしなかったのだ。
ただ、翼を狙った攻撃が逸れ、意図せず頭部へ当たりかけたとき、奴は確かに回避した」
頭部が弱点でない生き物などいないだろうが、とレジーナはぼそりと自分に毒づく。
有用な情報を出せなかった事を悔いているのだろうか。
だが、リーシャの受け取り方はまるで違った。
あの異形のドラゴンは、頭部が異常に堅いはずである。
女子供の柔肌から、鋼の山まで斬り伏せるリーシャには、ある程度対象物の硬度が見るだけでわかる。
五本ある足は確かに太く鱗に似た刺々しい外皮に覆われてはいるが、それほど堅そうではない。
当然生半可な魔法など効かないだろうが、剣神の一太刀ならばどうという事はないのだ。
しかしあの頭部は違う。
分厚い頭蓋の上から硬質化した外皮を幾重にも折り重ね、更には硬化の魔法まで巡らせ万全を期している。
守るべき部位なのだからそこまでするのは当然だろうが、それでも違和感は拭えない。
堅牢な頭部への些細な攻撃を、なぜ避ける。
柔い翼や足への攻撃は避けないというのに。
「あ、あの…………」
「なにか思い出しましたか?
どんな小さな情報でもいいんです」
通路の壁に背を預け足を伸ばし治療されている隊員が、おずおずと声を上げる。
どうやら相当躊躇った末の行動の様だが。
「…………あのドラゴン、もどき、何て言うか………………、ちょっと悲しそうなっていうか」
「…………………」
主観混じりの、しかもあまり役に立つ事はなさそうな情報に、同じ隊員達からため息さえ聞こえてくる。
言った本人も気恥ずかしくなったのか、俯いて黙ってしまった。
一人違う反応を見せたのは、やはりリーシャだった。
「………………悲しそうな」
突飛すぎる思考に肉を付け、うわ言のように繰り返した言葉で理を通す。
どくんと跳ねたリーシャの鼓動。
その衝動のままに、すかさず洞穴から身を出し、かの異形のドラゴンを遠目から観察する。
「………………やっぱり……、目だけが…………!」
彼女のその言葉に中央調査隊の者達は心の中で首を傾げる。
目だけがなんだと言うのだろうか。
左右それぞれ十個"ずつ"、宝石のような瞳が長々と連なっているそれは異形そのものだろう。
三枚の翼も、五本ある足も、片側だけ伸びている途中から二つに枝分かれする尻尾も、なんら同じ様に異形のはずだ。
「お、おい! 貴様まさか闘いに行くのか!?」
気付けば剣を握り、リーシャは横穴を抜け広い空間を歩いている。
無謀だ、と誰もが思った。
あの様な存在と戦って勝てるはずがない
あんな、不気味で、美しいドラゴンに。
「闘う気はありませんよ。
会話するんです、お話です」
「ば、馬鹿な……! 通じるはずがない。
いや、通じた所で何が起きるわけが……!」
レジーナ達が見たのは、黒いバトルドレスの背中。
その右手には飾り気の無い剣が握られ、歩みは整然とし、ぶれる気配が微塵も無い。
迷宮そのものを揺らす様な咆哮が響き渡る。
異形のドラゴンがリーシャに気付いたのだ。
勝てるはずがない。そうとわかっていてなお、なぜか中央調査隊の隊員達は皆、黙ってその姿を送っていた。
「会話は何も言葉だけでするものではないんですよ。
私には剣があります」
横殴りに渦を巻いた風の刃がリーシャに向かって襲い来る。
人であれば即死は免れない威力のそれは、しかしたった一振りでそれをつむじ風と撫でられる。
彼女はその握る剣に負けない程に真っ直ぐに背筋を伸ばし、毅然と言い放つ。
「私は剣神、リーシャ・マナガレウスです。
少しだけお話、しませんか」




