Empty そして、Empty
「どうしたっていうんだ、いきなりあんなことを怒鳴り散らして」
青年が息を切らしながらそう尋ねた。ピエロは青年に背を向けたまま肩をこわばらせ、震える声で話し始めた。
「あいつは悪魔なんだ。今日の公演なんかは関係ない。だが今日、俺は気づいた。あいつの本性は、深く深くにしまわれていることに。あいつは、お前を利用していたんだ。そして次は俺を利用しようとしていた。よくある話だろうし、俺も会った時に気づいていたさ。だってあのオーナー自身がこう言ったんだ。一流を育てた人間はその一流を育てる一流だと。その通りだ。それには嘘偽りもなく、まぎれもない事実だろうさ。でも、あいつはそれだけでは終わりはしなかったんだ。それを自らの口で言うことで、いったん自分を下に掘り下げていたんだ。言わぬが花とはこのことだ。俺も最初はそう思っていた。でも違う!あいつはわざとそれを口にして、俺に言っていたんだ!」
やっと青年に向き合ったピエロの瞳は怒りで燃えていた。そして青年に口を開かせる間も与えずに続けた。
「あいつは自分を相手に、この程度の人間か、と思わせて心の底であざ笑っている。だが俺は想像したんだ。俺がもしあのサーカスに入れば、きっと奴はこう言う。俺を育てたのは自分だってな!たわけたことだ!俺がこの術を身に着けたのはなぜだ?お前があの司会を務められるほどの知識がもともとあったのはなぜだ?全部あの男に憧れて、俺達が努力したことだ。だが俺があのサーカスに入れば、あいつはきっと全部自分の手柄にしてしまう。俺の怒りは、これなんだ、ああいう偽善が、気持ち悪くて仕方がない。あの男は俺達に夢を与え、引き離された時に再び巡り会わせてくれた。あの男がいてくれなければ、今の俺たちは存在していないんだ。なのにあの男の存在を、世間はオーナーと同じように知っているか?違うんだよ、あの男こそが俺の憧れなんだ。すべてに憧れた。なのにあいつはお前から奪い取ったように、俺の憧れたあの偉大な男の存在をすべて奪い取るつもりだ!お前だけじゃない!ここのサーカスの団員はみんな奴に奪われている。気づかれないような偉大な存在を、あいつは全て自分のものにしている。まるでここにいる素晴らしい人間の人生には自分しかその素晴らしい影響を与えた者はいないと。俺の人生なのに!あいつは仮面をかぶってそれを繰り返す挙句にそれを認めない!仮面をかぶってることすらみんな知らない!たとえ仮面をかぶっていることに気が付いてもその下の顔なんて少しも見せやしないんだ!だからあいつはいつもあのあいつなんだ!いや!あいつには何もない!仮面の下は空っぽなんだ!」
最後には顔を真っ赤にしてそう怒鳴り散らし、青年は再び唖然としてしまっていた。なぜピエロがオーナーのその一点だけをそこまで責めるのかが理解できなかった。それでも青年は頷き、近くの階段に腰かけてピエロが落ち着くまで側で待ってやった。
灰色の路地を通るものは誰一人としていなかった。だが向こうの大通りにはもやもやとした光が溢れていて、サーカスの丘を下る人々は皆そちらに流れて行った。
「ここの路地の人間は、あのサーカスを見たらどう思うんだろう。なんて言うんだろう」
ふと顔を上げ、ピエロが独り言のようにつぶやいた。なので青年はそれに答えていいのか迷い、反対に俯いた。
「驚くだろうか?感動するだろうか?喜ぶだろうか?」
ゆっくりと青年の方を向いてピエロは再び言った。青年は気づいた時には頷いていた。言葉はその背中を押した気さえした。
「ああ。驚くだろうよ。感動するさ。喜ぶに決まってる。ここの路地に住む奴らはみんなそういう刺激に素直に反応する。俺もそうなんだから」
その返事を聞いたピエロはいきなり立ち上がり、青年に言った。
「作ろう、俺達で。新しいサーカス団を作るんだ。ここのサーカス団よりも優れたものを。あいつが率いるサーカス団とは比べ物にならないようなものを。そしてここの路地の人達にも見てもらうんだ」
いきなりの発言とその突飛で無鉄砲な内容に、青年は思わず腰を下ろしていた階段から二段、ずり落ちた。それから青年は遠慮がちに笑った。
「冗談だろ。たった二人であの巨大なサーカス団に立ち向かうってのか?もうあれは世界が認める団体なんだ。それにあいつらと比べれば、俺たちなんて二人合わせてやっと半人前だ。どうやって力をつけるつもりなんだ?金も道具も人もいない」
それでもピエロは食い下がらなかった。
「もちろん初めから万全を望んでいるわけではない。少しずつでいい。少しずつ力をつけていくんだ。まず通りに出て二人でささやかな芸をして金を貯めよう。もちろんアルバイトもするんだ。そこで人脈も広げよう。ある程度溜まったらもう少し凝った芸にするんだ。そしてそこからはきちんと金ももらうし人も集める。そうやってどんどん力をつけて、いつかあいつらと張り合うんだ。あんな奴がオーナーの団体よりも優れた団体を作るんだ」
ピエロはそう言いながら青年を立たせた。そして荷物を一度取りに行き、誰にもばれないように、あえてサーカスから帰る人でごった返す道を選んだ。青年は、ただただピエロについて行くことしかできなかった。




